はいどうもアバ太郎です
本日はブッダの真理の言葉を紹介いたし
ますどんな作品かと言いますと
ブッダの教えを集めた最も有名な経験の一
つです
仏教や宗教全般に興味のある方はもちろん
のこと
他人の言葉や態度を気にしやすい方
物事が思い通りにならないと不安になっ
たりイライラしてしまう方自分の心を
コントロールし
安らかな気持ちで毎日を送りたいという方
にぜひ手に取っていただきたい一冊です
いやいや私は仏教徒ではないので
ブッダの言葉を聞いても
参考にならないと思いますもしかしたら
そのように思われた方もいるかもしれませ
んしかしブッダの教えはもはや世界の一般
教養でありまたドイツの哲学者
ショーペンハウワーの思想にも多大な影響
を与えたことでも知られていますさらに
書店に行けば
ブッダの本がこのようにずらりと並んで
おりいかに今を生きる人に共感され
支持され続けているかがうかがえます今回
紹介させていただくのはそんなブッダの
教えの真髄が収められた最大にして最古の
敬天の一つになります
心の疲れが傷を癒してくれるような内容
ですのでどうぞリラックスして最後まで
楽しんでいっていただければと思います
それでは参りましょう
ブッダ
真理の言葉さあまずはこの動画の全体像
からを示しいたします
初めに背景知識として
ブッダについて簡単に紹介しその後本書の
内容を苦しみがついてくる人の特徴
賢い人と愚かな人との違い
心を整える合理的な方法という3つの
テーマに沿って進めてまいりますさあでは
早速背景知識から見ていきましょう
ゴー魂ダールター彼は紀元前5から6世紀
ごろインド北部にある車家族という部族
国家の王子として誕生しました日本では
よくお釈迦様と呼ばれますがそこには釈
家族の聖者という
尊敬の意味が込められています
シダールタは裕福な家庭でなり不自由な
育てられ王族の後継者として
周囲から期待をされていましたしかし彼は
少年時代から宗教的これは関心が強かった
ため
王家の跡継ぎではなくいつかは出家をし
たいと考えていたようですそんな息子の
様子を心配した父親は当時16歳であった
しダルタのために
美しい妃を迎えさらには高級な衣服や
食べ物などを好きなだけ与えるなどして
なんとか引き止めようとしました
知って新たはそんな父親の心を察し
しばらくその生活を受け入れていたのです
がある出来事をきっかけに出家を決意する
ことになります
遠出をしようと馬車に乗り宮殿の東の門を
くぐったところひどく痩せ細り腰が曲がっ
た老人の姿が目に留まりました
シッダールタは思わず家来に尋ねました
あの者は何だすると家来はこう言いました
あれは老人ですどんな人間も
次第に肉体が衰えあのような姿になるので
ございますこの時ダルタは初めて追いと
いう現実を知り
強いショックを受け
白に戻ることにしましたそしてまた別の日
に南の門から出発したところ今度は木陰で
横やはり病に苦しんでいる人を見つけまし
た
生まれて初めて見た病人の姿に彼は驚き
また城に引き返すことにしましたそして
また日を改めて西の門から出たところ
シダルタは信じられない光景を目にします
それは
白い布で巻かれた人間の死体でしたあの者
は何だ
シッダールタが尋ねると家来はこう言い
ましたどんな人間も
次第に肉体が滅びあのような姿になるので
ございます
老いること
病気になること
死ぬことこれら3つの現実を目の当たりに
親しんであるたわ人間には決して逃れられ
ない苦しみがあることを知りそれ以降深く
思い悩むようになっていきますそして
しばらくしてから再び馬車に乗り球団の北
の門をくぐったところ
木の前でじっとたたずんでいる人間を発見
しますそしてシダアルタはこう言います
あの者は何だすると家来はこう言います
あれは出家者でございます出家者とは
良き法王実践し
良き静寂を実践しよき善行を実践するもの
でありますこれを聞いたシッダールダは
家来にこう言いました
馬車を宮殿に戻すのだ今すぐ私も紙と髭を
剃り出家をするとしようそして彼は自ら髪
を切り落とし29歳にしてついに出家者と
なります
宮殿の4つの門を通り老人病人
死人出家者と出会い修行の道に進む決意を
したことからこのエピソードは
シモン出流と名付けられていますしかし
一体なぜシッダルタはそこまで
生老病死に対して深刻に悩んだのでしょう
か
彼はもともと王族であり将来も約束されて
いましたそれを捨ててまで出家をすると
いうのはなかなか理解しがたいことです
ここでポイントとなるのがインドに古く
から伝わる輪廻という考え方ですこれは
命あるものが何度も転生し人だけではなく
動物なども含めた生き物に生まれ変わっ
たり地獄に行ったりするという思想や世界
観のことを言います
輪廻は仏教が成立する前から存在してその
源流はバラモン教にあると言われています
この考えに基づくならば人間の生老病死と
は一時の苦しみではなく
永遠に続いていく苦しみと理解されます
そこでシダールタワーどうやったら人間は
苦しみに満ちた輪廻世界から抜けられるの
かと悩み
考え込むようになっていったのですそして
修行僧となった彼は
他の修行者たちの弟子となり瞑想法
苦行断食などを学びそれらを愚直に実践し
ましたその結果
体は痩せ細り目は落ちくぼみ皮膚は黒く
変色しその姿は
死体に間違われるほどであったと言います
しかしこのような過激な苦行に6年ほど
費やしたものの
シダールタは悟りの境地に至ることができ
ず苦行に見切りをつけますそして川で沐浴
をし体を清めた後
ガヤという街の菩提樹の下で
じっと座禅を組むことにしましたそれから
彼は極限の集中状態に入り
7日目にしてついに悟りを開きます
悟りを開くとはすこの世の真理を会得した
ことを言いその境地に到達した人は
通称
ブッタと呼ばれますでは
ブッダが手に入れた真理とは一体何だった
のでしょうかそれがこちら
次第8章堂これは人間の苦悩が生まれる
プロセスを分析しどのような心構えで物事
を考え
対処していくべきかと説いたいわゆる仏教
の基本方針になりますまず注目いただき
たいのが
漢数字の4に
諦めるという字が組み合わさった
次第という言葉です
諦めるという言葉には少しネガティブな
印象がありますが
実はこの言葉の語源は
赤ラムすなわち
真理を明らかにすることを意味しています
例えば今皆さんの心の中にどうしても達成
したい願望があるとしますこの時
親や世間の都合といった
理不尽な理由によって
断念せざるを得なくなったらどうでしょう
か
恨み
後悔愚痴こういった負の感情が延々と湧い
てきて中それなり一生苦しめられる人も
いるかもしれません一方その願望が達成さ
れない理由が明らかであり
自分が納得した上で断念するとしたら
いかがでしょうか
確かにその時は
ひどく落ち込むかもしれませんしかし
自分が納得している分悔いが残らないので
次のステージに向かって一歩踏み出し
やすくなりますこのように諦めるという
言葉には物事の道理や真理を明らかにする
という意味が含まれており
実はそれほどネガティブなものではないの
ですでは
次第の具体的な内容について見ていきます
白井とはブッダの解いた4つの心理躯体
実態
熱帯同体のことを言います
具体とは生きることは本質的に区であると
いう心理
実態とは区の原因は煩悩であるという心理
熱帯とは
煩悩を消すことで
区が消滅するという心理
胴体とは
煩悩をなくし悟りを得るための8つの道の
ことを言いますまずここで考えておきたい
のが
生きることは本質的に苦であるという心理
についてですこれは一切カイクとも表現さ
れ
仏教においては人間の必然的な姿と考え
られています
具体的にはこのように生まれること
老いること
病むこと
死ぬこと人間にはこういった
自分の力ではどうにもならない4つの
苦しみがありそれらはシクと呼ばれてい
ますさらにブッダは日常経験することの
多い苦しみとして
愛する者と別れること
憎むものと出会うこと
欲しいものが手に入らないことなどの
苦しみと
肉体と精神が思うようにならない苦しみを
加えそれをハックとしましたこれが今でも
よく使われている
築ハックという言葉の語源になりますでは
なぜ人間はこんなにもたくさんの苦しみを
抱えているのでしょうか
ブッダはその原因を
煩悩にあるときます
煩悩とは簡単に言えば自分自身や
自分の所有物に執着してしまう
迷いの心のことをいいます例えば人間は
必ず老いて
士気が訪れますにもかかわらず
永遠に若くて
健康で美しく痛いと執着していれば年を
重ねるごとに
生きることが苦しくなってしまいますそこ
でブッダは
煩悩を亡くし
悟りを得るための
8つの道を示しましたそれらは発祥堂と
呼ばれ
具体的には
正しいものの見方
正しい考え方
正しい言葉
正しい行い
正しい生活
正しい努力
正しい心のあり方
正しい瞑想などを実践するための
修行法のことを言いますたくさんあって
混乱しそうですがここで
抑えておきたいのは大きく2点です1つは
正しいという言葉に含まれている意味に
ついてです
結論から言えばこれは自分にとっての正し
さ一人よがりの正しさのことではなく
客観的かつ合理的で偏りのない正しさの
ことを意味しています
要するに正しさとは
固定されたものではないのでその時その
場所において何が正しいのかを客観的に見
て判断しましょうというわけですそして
もう一つが
発祥堂の根底に流れている中道の精神に
ついてです
ぶったりよれば快楽に走りすぎたり
苦行に走りすぎたりといった
極端な生き方や考え方は人間に真の利益を
もたらさないと言いますつまりカイト君
どちらにも偏ることなく中道を意識し
適切で健康的な生活を送ることそれが悟り
を得る上で重要なことであるというわけ
ですそしてブッダは自ら発見した悟りの
内容を5人の修行仲間に伝えここから仏教
の歴史が始まりますそれから45年間に
わたり
ブッダは各地方へと教えを解き
80歳の時に入滅し涅槃に入ります
入滅とはブッダの死のこと
涅槃とは
煩悩が消え去り一切の苦しみから解放され
た状態のことを言いますそれはすなわち
苦しみの連続である輪廻世界が停止され
ついにそこから抜け出すことを意味してい
ますまた涅槃は別名
ニルヴァーナとも呼ばれますがこれは
サンスクリット語で炎の消滅という意味に
なりますつまり煩悩の炎が消え去り
永遠の安らぎが訪れたことを表している
わけですそしてブッダが入滅してから
400年ほどの間にいくつかの仏教
テキストが誕生するのですがその中でも
最高峰と呼ばれる晴天が2つあります一つ
がダンマパだもう一つがすったに
パーティーですこれらはブッダの教えを
簡潔にまとめたもので人間が生きる上で
重要な指針が示されています今回
扱うのは
ダンマパターですが
弾幕はパリ語で人間の心理のことただと
いうのは
言葉という意味であり一般的には真理の
言葉として訳されますただ真理の言葉と
聞きますと人によっては難しい内容なん
じゃないかとか
非現実的で雲をつかむような話なんじゃ
ないかと
少し戸惑いを覚える方もいるかもしれませ
んしかし本書は
誰もが理解できる簡潔なまで書かれており
とても合理的な教えが示されていますその
ため現代人の私たちが読んでもほとんど
違和感なく内容がすっと頭に入ってくると
思われますさあというわけで背景知識は
以上になりますここまでよろしいでしょう
かいよいよこれから
ブッダの心理の言葉の中身に入っていき
たいと思います一つ目のテーマは苦しみが
ついてくる人の特徴ですでは行きましょう
心はすべての物事に先立ち
すべてを作り出し
すべてを左右しますもし人が汚れた心で
話し行動するならばその人には
苦しみがついてきます
車輪が
荷車を引く牛の足跡についていくように
あの人は私を罵ったあの人は私を傷つけた
あの人は私を任したあの人は私から奪った
そういう思いを抱く人からは
恨みはついに消えることがないでしょう
憎む人が憎む人に対し
人が恨む人に対しどのようなことをしよう
とも
邪悪な心はそれ以上にひどいことを
自分自身にするでしょう
恨みは
恨みによって消えるのではなく
恨みを捨てることによって消え去ります
これは普遍的心理なのです
はいここで食べます
心はすべての物事に先立ちすべてを
作り出しすべてを左右するとありました
誰かに話す言葉も振る舞いも苦しみ恨み
怒りといった感情もすべて自分の心が
作り出しているというわけですまたブッダ
はとても合理的な思考の持ち主であり
あらゆる物事には必ず
原因と結果があると考えていました
自分の命も
財産も
感情もどこかの神様が与えたり奪ったり
するものではなく何らかの原因がその結果
をもたらしていると解釈していたのです
これは
因果と呼ばれる考え方で
ブッダロウシエの中でも最も重要なものの
一つになりますそして心が煩悩によって
支配されているとその結果として人間は
怒り恨み嫉妬といった
負の感情を抱きやすくなりますではこの
煩悩を消し去り安らかな心を持って生きる
ためには一体どうすればよいのでしょうか
ブッダは次のように言います一切のされた
ものは無常であると
明らかな知恵を持ってみるときに人は
苦しみから遠ざかり離れますこれこそ人が
清らかになる道なのですなるほど一切の
形成されたものは無常であるとありました
つまり世の中のあらゆるものは一定では
なく
絶えず変化し続けているという心理を理解
すれば
苦しみが遠ざかり
心が安らいで行くというわけですこれは
諸行無常と呼ばれる心理であり仏陀が入滅
する直前に語ったものと言われています
財産にせよ時間にせよ愛情にせよ人間関係
にせよそれらは永遠にその場にとどまって
いるものではありませんお金は使えばヘリ
時間も年々早く進み
愛する人も
憎らしい人も
遅かれ早かれこの世界から消えてしまい
ますところがこういった真理を忘れ今の
状態がずっと続くと思い込んでいるとなん
で思い通りにかないのだと
執着が生まれ
生きることが余計に苦しくなってしまうの
ですその上でブッダ次のように続けます私
には子がいる私には財産があるそう思って
愚かなものは悩みますしかし
すでに事故が自分のものではないのにどう
して我が子が
自分のものなのでしょうかどうして財産が
自分のものなのでしょうかはいこれで止め
ます
要するに人間というのは
財産にせよ子供にせよ何でもかんでも自分
の所有物だと思い込む癖がありますと
けれどもこれは私のものだと言い切れる
ものなんてこの世には何一つありませんと
なぜならあなた自身ですらあなたのもので
はないからですとそのようにおっしゃって
いるわけですこれは初歩を無我と呼ばれる
心理で
簡単に言えばあらゆるものはお互いに依存
しあって存在しており
単独で存在しているものは何もないという
教えのことを言います
例えば今ここにリンゴがあるとしますこの
リンゴはそれを作った農家の人がいて
さらに
太陽し雨といった
様々な自然の恵みを受けてそこに存在して
いるのであって
リンゴが自分の意志でそこに存在している
わけではありませんこれと同じように
私たち人間も
産んでくれた両親
学校や会社といった環境受けてきた教育
こういった様々な外部からの影響を受け
その結果今ここに存在していますつまり
この世界には
絶対的な私という存在もなければ
絶対にこれは私のものだと言い切れる所有
物もないと言えるわけですそこでブッダは
自分以外の人や物に対して
支配的になったり思うようにならない現実
に苛立ったり
悩んだりするのは
処方無我の真理を心得ていない証拠であり
それは愚かしいことだと指摘したのですで
は一体どうすれば人はこういった愚かさ
から脱却し賢く生きることができるの
でしょうかさあというわけで2つ目の
テーマ
賢い人と愚かな人の違いに進んでいきたい
と思いますでは行きましょう
務め励むのは不死に至り
怠り怠ければ死にいたります
勤めはげむ人は死ぬことがなく
怠り怠ける人は死者のごとくです
資料ある人は
奮い立ちつとめ励み
自制し
激流に流されない島を作ります
怠り怠けている人たち
眠っている人たちの中で一人よく目覚めた
賢者は
足の早い馬が
襲い馬の群れを駆け抜けるように
彼らを置き去りにします
わがままで
節度がないことの恐ろしさを知り努力
できる人間は
心の憂いのすべてを
燃え盛る日のように焼き尽くし
前進していくものですはいここで食べます
ストで励む人は死ぬことがなく
怠りな負ける人は死者のごとくとありまし
たつまり際限なくダラダラしている状態と
いうのはもはや死んでいる状態と何も
変わらないというわけですまた人は
ぼーっとしている時間が長いと小さな問題
を大きな問題と捉えたりどうにもならない
問題をどうにかならないかと期待したり
悩んだりするものですこれに対しブッダは
努力できる人間は
心の憂いのすべてを
燃え盛る火のように焼き尽くし
前進していくといいますつまり努力する人
は
瑣末なことにとらわれず本当に大切なこと
に集中して生きているというわけです
さらにブッダは次のように続けます
自分は
愚か者であると自覚するものは
すなわち賢者であり
自分は賢者であるとうぬぼれるものは
まさしく
愚か者です
多く物事を知りそれを解く者が賢者なので
はなく
心穏やかに恨みもなく
恐れもないものが賢者なのです
知恵があり
学ぶところが多く
忍耐強く
戒めを守るそのような立派な聖者よき人
HR人とよく親しむことです
彼らと共にあることは
常に楽しくまた愚かなものと会わないなら
ば
心は常に楽しいものです
愚かなものと共に歩めば
長い道のりにわたって
心の憂いは晴れず
愚かなものと共に住めば
常に辛い思いをするでしょう
旅に出てもしも自分より優れた人か
自分と同等の人に出会わなかったのなら
むしろきっぱりと一人でお行きなさい
愚かなものを道連れにしてはなりません
はいここで止めますなるほど
心が穏やかで
恨みも持たずまた知恵があってもそれを
怒らずさらに忍耐強く
自制できる人こそが賢者であるということ
でしたこれはシンプルに言えば
煩悩を消し去った人あるいは
自分が煩悩を持っていることを自覚して
いる人のことを意味しています一方で愚者
というのは
真理を心得ず自分が煩悩にとらわれている
という自覚がない人あるいは
真理を目指し
煩悩に対する自覚があっても
自分は賢者だと思い込んでいる人のことを
言いますその上でブッダは誰とでも仲良く
するのではなく賢者と交流し
愚かな人とは距離を置くべきことを強調し
ていますつまり自分の心を穏やかに保って
いたいのなら
普段からそういう人と一緒にいるべきで
あり逆に自分の心が苦しくなるような人に
は
近づいてもいけないし
付き合ってもいけないというわけです
さらにブッダは自分の心をコントロール
することの難しさとその大切さについて
次のように説いています
心は動揺し
ざわめき
制御しがたいものですしかし
聡明な人は
弓職人が
矢をまっすぐに整えるようにその心を沈め
ます
心は極めて捉えがたく
軽々とざわめき
欲するがままに赴きますその心を収めるの
は良いことです
制御された心には
安楽がもたらされるでしょうなるほど
確かに人間は思い出したくいうことを
思い出したり考えたくないことを深く
考え込んでしまったりするものです
おそらく皆さんもそれによって
本来やるべきことに集中できなかったとか
なかなか寝付けなかったとかそういったご
経験があるのではないでしょうかまたこう
した制御しがたい心を収めることができれ
ば
安楽がもたらされるとありましたがこの
状態は
涅槃寂静と呼ばれる
心安らかな境地のことを指しています
涅槃寂静に至ることは
簡単なことではありませんが大前提として
先ほど触れた3つの教えを理解しておく
必要があると言われています一つはこの世
の一切は苦しみであるという心理一切書い
てもう一つがあらゆるものは移り変わると
いう心理諸行無常そして
すべての物事はそれ自体ではなく
関係の中で成り立っているという心理初
ホームがこれら3つの真理をきちんと理解
すれば
悟りを得て
涅槃寂静に至るというわけです今挙げた4
つの教えは
四方院というと呼ばれ仏教の根本をなす
競技として重んじられていますつまり
ブッダは絶対的な存在に救済を求め
ましょうと言った特別な方法ではなく
自分の心と真正面から向き合いそれを
コントロールすることによって
自らを救い出すという現実的な道を示した
のですでは私たちが心穏やかでいるために
は
具体的にどんなことを意識して日常生活を
送れば良いのでしょうかさあというわけで
3つ目のテーマ
心を整える合理的な方法に進んでいきたい
と思いますでは行きましょう
他人の過失を探し求め
常に怒り立てる人は
煩悩の汚れが増えていくでしょう
他人の過ちを見るのではありません
他人のしたことしなかったことを見るので
もありませんあなたはただ
自分がしたこと
自分がしなかったことだけを見れば良いの
ですまず自分を正しく整え
次に他人を教えることですそして他人に
教える通りに
自分でもてしまうのです
自分をよく整えたものこそ
他人を整えることでしょうはいここで止め
ます
確かに他人の過ちや
失敗ばかりに注目してしまうと次第に相手
のことを嫌いになったり
憎んだりして
徐々に自分の心も不安定になってしまう
ものですこの問題に対しブッダは
自分がしたこと
自分がしなかったことを見なさいと大変
シンプルな解決策を提示していました
自分の言葉
自分の行動はあれで本当に良かったのか
自分は自分がなすべきことを精一杯やれた
のかもしやれてないのだとしたらそれは
なぜなのかこのように自分自身に目を向け
自らに問いかけることが大切であるという
わけですさらにブッダは次のように続け
ます
無益な語句をセンタビ語るよりも
聞いて心の静まる
有明な語句を一つ引く方が優れています
無益な動くようになるしが線があっても
聞いて心の静まる仕様1つの方が優れてい
ます
戦場において100万人に勝つよりもただ
一つの事故に勝つ者こそ
実に最上の勝利者なのですはいここら止め
ますなるほど
要するに無駄なことを1000回やるより
も
自分の目的にかなったことを一つやり
ましょうというお話ですこういった物事の
本質をつく単純明快な言葉から
ブッダの合理的な思考がうかがえます
仕事にせよ趣味にせよ多くの物事に
取り組むと自分はこんなに頑張ったんだと
それだけで気分が良くなるものですしかし
その満足感や高揚感が
本来の目的やより効果的な手段の存在を
忘れさせる可能性もあるのですまたブッダ
は自分に打ち勝てるものを最上の勝利者と
しましたが
物事の勝敗についても興味深い考えを示し
ています
勝利すれば恨みが起こり
敗北すれば苦しみに悩まされます
勝敗を捨て去ったものが
安らぎの境地へと向かうのですなるほど
勝ち負けにこだわっている状態というのは
誰かよりも上の立場でいたいとか
評価されていたいとかいわゆる承認欲求に
支配されていることを意味しています
もちろん上昇志向を持つことは決して悪い
ことではありませんしかしあまりにも勝ち
とか負けとか上とか下といった尺度ばかり
に執着していると
恨み
嫉妬
怒り悲しみといった感情が
ずっとついて回るので徐々に生きることが
辛くなってしまいますとだからそういった
勝敗も執着も捨て去ってあなたのなすべき
務めに集中してくださいとそうすれば
安らぎの境地に近づくことができるはずだ
というわけです一方でブッダは
安らぎの境地から遠ざかってしまう人の
特徴について
次のように述べています
恥じなくても良いことを恥
外すべきことを恥じない人々はよこしまな
見解を抱いて
悪いところへ赴くでしょう
恐れなくても良いことに恐れ多い
恐れなければならぬことを恐れない人々は
よこしまな展開を抱いて
悪いところへ赴くでしょう
避けなければならぬことを避けなくて良い
と思い
避けてはならぬことを避けても良いと
考える人々はよこしまな見解を抱いて
悪いところへ赴くでしょうはいここで止め
ます
横島原見解を抱いて
悪いところへ赴くとありましたここでいう
悪いところというのは
地獄のことを指しているのですが
要するに発祥堂から大きく外れることの怖
さについて語っているわけです
発祥堂とは
煩悩を消滅させる8つの道のことでその中
の一つに
証券という言葉がありますこれは文字通り
正しく物を見ることであり
具体的には
客観的かつ合理的に偏りなく物事を見る
ことを意味していますところが人は
想像だけで善悪を判断したりその場に
ふさわしくない不適切な言動をしたり
自分の都合で
物事をねじ曲げて解釈したり
証券に基づかないことをついやってしまう
ものなのですここでブッダは自己中心的な
ものの見方ではなく
客観的で
合理的なものの見方を身につけましょうと
説いたわけですそのためには
横島な見解を抱いている人ではなく今挙げ
たような要素を日常的に意識して生活して
いる
善良な人と親しむことが大切だと言えます
そうすることによって私たちは自分が話す
言葉も自分の行動も自分の習慣もより良い
ものに変化していき
安らぎの境地に近づくことができるのかも
しれませんこの本にはそこに至るための
ヒントが多く書かれていますので
ご興味を持ってくださった方は一度手に
とって見てはいかがでしょうかはいという
わけでブッダの心理の言葉
以上でございますいかがでしたでしょうか
シンプルな言葉の中にいくつかハッとさせ
られるような気づきがあったのではない
でしょうかこのチャンネルで仏教をメイン
で取り扱ったの初めてだったのでいつも
より情報量が多くなってしまいました1回
で消化しきれる内容ではありませんので
また気が向いた時に何回か見ていただき
たいなと思いますまた過去に紹介しました
小便howerや
マークトゥエインの動画を見ていただくと
今回の話とのつながりが見えてきてより
理解が深まりますので
ぜひ概要欄からチェックしてみてください
この動画が面白かった
参考になったという方は高評価コメント
など頂けますと嬉しいですまたチャンネル
登録もよろしくお願いいたしますではまた
次の動画でお会いしましょうありがとう
ございました
[音楽]