入っと大阿波太郎です本日は日本中世文学の代表作
鴨長明朗報如キこちらをご紹介いたします
今から約800年前蒲倉時代の初期書かれ日本三大随筆の一つとして
枕草子徒然草と並び称される古典的名作であります
某蒸気といえば学校
の教科書にも載ったり受験にも出てきたりするような大変有名な作品ですが
最後まで読み通したという方あるいはどんな内容か覚えていますという方
多分そんなに多くはいらっしゃらないのではと思いますざっくりどういったものかと
いうと
自然災害や人災にうちの二今経済的不自由度インター
自分一人の力では乗り越え難い困難とどう動きや
そしてどう生きていくべきだろうかを教えてくれる作品ですそこでこの動画では方丈記
の子供鴨長明のことも歴史のことも何も c ません手ぶらですという方にもしっかり
楽しんでいただけるよう
作品の背景をざっと説明しそこか
7神に入っていきたいとおもいます日本中世文学の最高峰と呼ばれるちょっと敷居の
高い作品ですが
噛み砕いてカジュアルに進めていきますので是非最後まで楽しんでいってくださいそれ
では参りましょう
鴨長明方丈記2
まずはこの1枚の写真をご覧下さい
荘厳な佇まいを見せている神社ですがさてここはいったい何人者でしょうか
関西圏の方特に京都の方はすぐピンときたかもしれません
正解は賀茂御祖神社は通称下鴨神社ですね
京都でもと古い人
者の一つとされ1994年に世界遺産登録されていますそしてさかのぼること今から約
800年前
平安時代の末期のことですこの下鴨神社はただのチンチャじゃなかった経済的にも政治
的にも強いパワーを持った一大組織だったんです
わかりやすく言ってしまえば老舗の大企業3
ライナーイメージですねえーなんで神社なのにそんな資産や影響力があるの
それはもちろん時の権力者や浮遊そのマネーと彼らとのコネクションです
彼らは自分や自分の家族の命や健康神様に守ってもらいたいわけですから
一生懸命自ら所有する土地や財産を神社に寄贈していたんですね
その結果神社の中には大名クラスの資産を持つ有力神社なるものが誕生し
下鴨神社はまさにその筆頭であったわけですそしてその下鴨神社の職員の中で最も位の
高い小ねぎ相関と呼ばれる地位にいたのが鴨長明のお父さんだったんです
要するに鴨長明さんという人はとんでもない御曹司であったというわけですね
ですから明るい未来が約束されたサラブレッドとして幼少期から自分の家族そして親族
などいろんな人から大変可愛がられながら育ってきました
ところが18歳になったある日のことカレーの世界は一変します
なんと偉大すぎるお父さん
が病に伏しそして他界してしまうんですねするとドアたがなんと今まで自分のことを
可愛がってくれた親戚のオジサンオバサン
みんなが別人のように冷たい態度を示すようになっていったですそして亡くなった
お父さんの後継者を決める際その親族たちは今がチャンスと言わんばかりに町名を出世
レースから蹴落とし
一族のはの中から弾き出そうとしてきたんですね
何とも汚い大人の世界ですこの一件から町名は人間が信じられなくなり世間や人と少し
ずつ距離をとるようになっていったとされていますあぁ私には母もいない父も以来
これじゃあまるで孤児じゃないか何父のような立場になるつもりでいたが
あの親族たちのせいで出世ルートは完全に断たれてしまった
これからどうやって残りの人生を生きていけばいいのだろうか
高
なったらもう自分の好きなことをやりまくるしかないな和歌を詠んだり琵琶を弾いたり
やりたいこと好きなことに集中しよう
こう言って町名は社会的成功に見切りをつけ
芸術という新たな世界の扉を開いていったのでした
ちなみに彼は下鴨神社という組織をやめたわけではありません
籍は置いたままですですから桜
父さんレベルとはいかないにしても決められた行事に参加したりしていれば昇格はある
しそれなりに安定した生活だってできたわけです
ところが若き丁目はもう一生平社員でいいですほっといてくださいと言わんばかりに
神社の行事に一切参加せずそして引きこもったんです
もしかしたら憎き親族たちがのさ
あっている組織の中でヘコヘコしながら普通の人生を送っても不幸になるだけだと思い
自らその安定ルートを断ったのかも知れませんその代わり彼は自分のすべての
エネルギーと時間を大好きな若鳶はにぶつけてこれだけは絶対に極めてやると猛烈に
稽古に励んだと言われていますそんな中彼に
ようやく転機が訪れます当時の年齢なんと47歳
だいぶおじさんになってしまいましたしかしただのおじさんではありません
若鳶はのスキルに関してはもはや神がかったレベルに到達していたそうですそんな中
時の兆候つまり最高権力者であった
後藤 vine という人物が新古今和歌集というは彼を集めた書物を作れという命令
を出したんです
ちなみに国のトップの命令によって作られる書物のことを食前集というのですが
新古今和歌集は代表的な直線州の一つでありその辺さんはまさに国家事業でした
そしてし
新古今和歌集に乗せるは彼を選定するために全国からは彼を極めし天才たちが招集さ
れるんですがその中になんと照明さんが選ばれるんです
長年の苦労がようやく報われたと彼は大喜びしこの天から降ってきた仕事をそれはもう
がむしゃらに取り組んだと言いますするとそんな懸命に畑
落丁名産の様子を見ていた条項の後鳥羽院が彼に褒美をくれてやりたいと言い出したの
ですそういえば長兵衛区下鴨神社とゆかりのある河合神社ってあるだろう
あそこのネギのポジションが一つ空いたらしいんだけどどうだ
ここは一つ私が推薦してやろう実は後鳥羽院が進めていく
れたかわいい神社のネギというポジションはかつて町名のお父さんも務めていた
ポジションであり何下鴨神社の最高位である勝利偽装間になる人間の登竜門的な職位に
あたります
会社で例えるならずっと無断欠勤し続け
50歳手前まで窓際族だった平社員鴨長明
さんに対しプライベートで仲良くしている国のトップの人が僕の政治力と人事件で君を
関連会社の取締役にしてやろうじゃないのと言ってきたわけです
まさに人生大逆転のぶっとびカードです当然町名さんは驚きと感動と感激でただた涙が
止まらなかったそうです
父親と死別してから苦節30
ついに私の時代がやってきたこの鴨長明
知事の名を汚さぬよう不撓不屈の精神で務めさせていただきます
こう言って彼は千載一遇のチャンスを使おうとしたところがまたしてもあの親族たちが
足を引っ張りにくるんですね
そして後鳥羽院に対し親族はこう言いました誠利
恐れながらこのたびの神地は下鴨神社全体の秩序にかかわる大きな問題です
と言いますのも町名はここ30年我々一族との交流を下げ
神社の仕事もろくに雪底辺の職位に甘んじている
はみだし者であります一方神社の中にはあの町名よりもまじめに働き地道に
職位を上げてきたものもたくさんいるんですそんな中アノード子本当に可愛い神社の
ネギに抜擢してもよろしいのでしょうか
すると後鳥羽院は確かに言われてみればそうだねと納得してしまい
長命君悪いんだけどアロ話はなかったことにしてくれと言ってミラクル人事を却下し
ます
喜びもつかの間長命さんはいっきり絶望の淵に叩きつけられてしまいます当然後鳥羽院
も彼に恥をかかせ傷つけたことを理解しています
ですから別の仕事を紹介するなどどうにか埋め合わせを試みるんですねところが張明
さんはいやあ
ありえないですはもう一気にテンション下がりました後
そう
多いってわざわざ気を利かせてくれた後鳥羽院の提案を断りますそれだけではありませ
ん
なんと新古今和歌集の編纂メンバーの集まりにも来なくなり失踪してしまいます
まあそれだけショックが大きかったというわけです
そして彼はもう俗世間とは縁を切り僧侶として生きる
仏の教えに従って生きる倉庫
ロリー近い出家という道を選択します
もちろん嫌な思い出が詰まった京都なんか見たくもありません
出家した以上まずは引っ越しだと言って住む場所を変えることを決めました
そしていろんな失敗も経験しながら最終的に落ち着いたのが非農産という人だと離れた
静かな山の奥地でした
よしここに自分だけの比3
月家をつくろうといって彼は材料をかき集めそして diy でお一人様サイズの小屋
を作りますそこで完成したのが一変3メートルほどの小さなスビカ
通称方丈庵ですそしてこの方丈庵で張明さんは
方丈記という作品を書き上げ世のはかなさと己の心のうちを訴えたというわけです
さあここまでよろしいでしょうか鴨長明さんがどんな生い立ちでどんな境遇を経て
そしてどんな思いから筆を執るに至ったのか
ざっくりご理解いただけたのではないかなと思いますさあそれではいま申し上げた背景
を踏まえた
上で作品の中身に入っていきましょう世の中の人間もその相撲も絶え間なく移ろい
変わっていく
それはまるで川の流れのようなものが川の水は常に入れ替わり続け
一瞬たりとも留まることはない岸辺に目を向けると水がよどんで泡ができている
その雨も消えたり生まれたりおく
理解し実に儚いものだ京都に行くと豪華な家々が競い合うように立っている
ずっとそこに存在し続けるかなような光景だが実際はどうだろうか
昔からある家がそのまま存在し続けるなんてことは実にまれな話だ
去年家事によって焼失した家のアトリ新しく建てられた家もあるし
大きな屋敷の後に小さな家が建つこともある
家がそんな調子なら当然住む人間だって同じことだ
朝に死ぬ人がいると思えば夕方生まれる人もいるだろそんなありさまはまさに淀みに
浮かぶ泡に似ている
生まれては死んでいく人間たちがどこからやって来て何処へ消えていくのか私にはよく
わからない
また小川は生きている間だけの仮の宿に過ぎない家をわざわざ苦労して立てることも
出来上がったいいを見て喜んでいるのもよくわからない
例えばアサガオの花に小さな水の汁が宿っている姿を想像してみてほしい
梅雨が先に
地面に落ち花が残ってもその花は何朝日を浴びることによってしぼんでしまうだろう
逆に花が咲きにしぼみ汁が残ってもその強だって夕方になれば蒸発して消えてしまう
だろう
家とそこに住む人間もまさに似たような関係なんだ
入っ心一旦止めましょうここは方丈記の中でも最も有名な
行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらずという作品の導入部分にはなります
要するによは無常だよねと言っているわけですがこの無常というのはもともと仏教用語
である商業浮上
すなわちすべては移り変わっていくという考え方から来ていますつまり張明さんは
こういった仏教的6畳間を保った上で人間と人間のすみか
この2つのはかなさについて訴えているわけです
人間の性というのは実に儚いものであるはずなのに皆さんなんでそんなに立派な家に
住みたがるんですか
そんな立派な家を建てるためにいったいどれだけ自分の時間や
心のエネルギーを使い毎日毎日一喜一憂してるんですか
まったく呆れちゃいますよとそのようにおっしゃってるわけですね
ただどうでしょうこれは彼自身の強がりなのかそれとも悟りの境地に達したゆえの言葉
なのか
この文脈だけではどうも判断できません続きを読んで超名産の真偽を探っていき
ましょう
私
が物心ついてからかれこれ40年余りの年月を過ごしてきたがその間に予想もしない5
つの災いに遭遇した
先ず一つが私が23歳の時に経験した広尾字 y 2章安元の対価だ
風が強く激しかったその晩の8時頃京都の盗難から車
出荷し炎はみるみるうちに清覧までたした
ある者は煙むせて倒れあるものはホロウに巻き込まねそれはもう言葉では言い表しよう
のない光景だった
家財など持ち出せるはずもなく貴重な財宝類などの一切は敗となり
損害はどれほどだっただろうあの火事で焼け落ちた大臣たちのいえば16にの
おりその他大きな家小さないやのことごとくが焼失した
なんせ平安京の三分の一が焼ける腹になったというのだから
それはもうとんでもないことが人間のやることというのはなぜこうも愚かなのだろうか
こんな危なっかしい京都にどうにか家を建てようと莫大な金を使ったり心がボロボロに
なるまで働いたりする
ああなんてつまらないんだそして2つめの災いはその3年後に起こった事象の辻風ら
平安京
将来にある2つの桜通りが交差している場所からとんでもなく大きな竜巻が発生したの
だ
その中に巻き込まれた家々は大きさ関係なく壊れなかったものなどなかった
もうは何百メートルも遠くに吹き飛ばされ家財などもそのことごとくが宙に舞った
辻風の中では目もまともに開けていられないし人間の声も聞こえなくなる
自国には生前に悪行を働いた罪人を痛めつけるため
号フード呼ばれる強い風が吹いているというかこの竜巻はおそらくその日ではなかった
はずだ
しかし災いの連鎖は一向に断ち切られる様子はなかった
なんと同じ歳に3つ目の災難がやってきたのだしかもその災いというのが自然災害でも
なんでもなく
人間の愚かさがもたらしたいわゆる人災と呼ばれるものだったんだ
なんと京都として長らく歴史を刻んでいた今日を捨て福原という新たな場所に移動する
という決定がなされてしまった
しかも国民の理解なしの強行突破な国の中枢リール人間たちは三役をさせたとして我先
にと福原に移動しだ
その一方で都に残されて何もできずにいた人々は仕事も生活の基盤も失い
ただただ不安しかなかった競い合うように立っていた豪邸は連日解体されていき
歴史ある三役
見るも無残なほど荒れ果てていったのだその一方福原の新しい都は一向に完成する様子
はない
もともと福原に住んでいた人は京の都から来た人間たちに領土を強制的に奪われたこと
を不満に思い
新しく移住してきた連中はゼロから家を建てる煩わしたか不安だった
その結果人々のストレスが爆発し福原に移動してから半年足らずで3役を境に戻すこと
が決まったんだ
なんという金と時間の無駄遣いだろうしかし歴史ある京の三役はもうそこにはないある
のはボロボロの家屋と荒れ果てた広大な土地ってわけだ
そこにもう一度治ると言っても当然これまで通りのいく
はずもないだろう昔の君主は神を持って国を治めたという余計な贅沢をしないを自ら
おりしさらには国民の家の彼は土から煙が立たない日が続けば税金すら名著車
それに比べて今はどうだ民を大事にしようを大切にしていると
品
通りやるんだろうかそしてそんな世間が混乱している中
4つ目の災いが起こったそれが4羽の大飢饉が
日照りや洪水が相次ぎ待ち中に餓死者があふれ平安京の横を流れる鴨川周辺はそれは
それはすさまじい数の遺体で埋め尽くされた
京都は何事においても田舎からの物資供給に頼っていたのに
それが急に途絶えたのだから1打1打たからのように大事にしていた家財道具だってへ
力で売りに出される始末だったが基金という異常事態において高価な家財道具なんか
一体誰が欲しがるものか
今は食べられない財宝より食べられる泡の方がよっぽど値が張るんだ
世間の人々はこの例えを
をない貧しさも長呆然と困り果てるしかなかった
大変3分の高かったものですら家を1軒1軒訪ね歩き
食べ物を恵んでほしいと頭を下げて回るほどり落ちぶれていた
しかしそうやって歩き回ってる分にはまだいい
急に歩かなくなったと思ったらその場に倒れ込んでそのまま死んでしまう
ことだって決して珍しくなかったしそんな光景が毎日自分の目の前に起こるんだ
鴨川の河原にはガッシャがそこら中に捨てられその腐敗して変化していく有様はもはや
見るに耐えなかった
また強い絆で結ばれた妻や夫を持つ者は必ずと言っていいほど愛情が強いほうが先に命
を落とした
なぜならようやく手に入れたわずかな食料を愛するものにまずためさせ自分を犠牲に
しようとするからだ
だから親子であればまずは親が子に先立って亡くなった今宮沖
女たものの中には寺に忍び込み仏像や仏具を盗んだり柱などを打ち砕き
巻として売ろうとしたりする者もいたこれほど罰当たりな者がいるだろうか
しかしそれすら咎めていられないほど私たちは極限状態の中で生き
生まれた時代とそして自分の運命を嘆き恨んでいた
そして
要はの大飢饉が起こって3年後五つ目の災いが起こった
それが元暦の第二子これまで何度か自信は経験しているがこの地震は並大抵の激しさで
はなかった第1話酒
水は吹き出し山はクズへ彼はは埋まり
そして津波が陸を負った京都の中で無事であった建物など何一つない
地面の動く音家が崩れていく音を早雷鳴のごとく凄まじいものだった
家の中にいれば押しつぶされ外に出れば地割れに巻き込まれてしまう
羽のない人間には一切の逃げ場が許されていないのだ
このようには数多くの恐ろしいものがある
しかし自身を超えるものはないと私は大そんな経験を通し
毎日平凡無事に生きていられる事だけで十分幸せであると多くの人は感じていたようだ
もしかしたらこの災いがこれまで世の人々の心を蝕んでいた本どうも飲み込んでいった
のではないか
私はふとそう思うことがあったがそれはただの
勘違いで過ぎなかった何年か経つと人々はあのとてつもない悲劇がまるで過去に存在し
ていなかったかのように振る舞い
また無意味な欲望に囚われたこれまで通りの暮らしに戻っていったのだった
はいここで一旦止めましょういかがでしょうかどうやらかぼの長兵衛さんの6畳間は
人間の力ではどうしようもない天平
日や人災を経験したことによって形成されていったというのが見えてまいりました
意外かもしれませんが方丈記という作品の約半分は災害の詳細な記述によって埋め
尽くされていますそれゆえ方丈記はただ無常観をテーマにした文学作品ではなく当時の
日本を襲った
自然災害や人災
事細かに記録した貴重な歴史的資料でもありそして日本最古の災害文学でもあるんです
照明さんはこの文脈の中で何を言ってるかというと今まで積み上げてきたものを一瞬に
して破壊し生活を一変させるような災いがこの世界には常にあります
しかもそれは人々が災いを忘れた頃にやってくるかもしれないし
連続してやってくるかもしれないだからずっと今の状況が変わらないままだと思って
生きてちゃダメですよと皮肉を交えながら主張しているというわけですね
入っては続きを見ていきましょうこの世とはそもそも暮らしにくいものだ
そして人も
住む家も儚くそして胸しそれは今まで話してきたことでよくわかっただろう
人間にはいろんな悩みがあるそれはその人の環境や境遇によって異なるし
数え上げればきりがない例えば自分が大した身分でもない法社会的権力を持った人間の
家の近くに住んでいることを想像してみてほしい
喜ぶ子
とも悲しむことも声をあげて泣くこともとなリール権力者の目線が気になってできやし
ない
これではまるでスズメが鷹巣のそばで生活しているようなものだ
自分が貧しくて隣の家が大金持ちであっても同じだ
字もいうも自らの3坪らしさを恥じながら隣の家にヘコヘコと気を使わないといけない
財産があれば不安になるし
貧しければ恨みがましくなる人に頼っていければは神が不自由になり人を愛せばその
思いに囚われ
世間の常識やその流れに従えば窮屈だし従わねば変人扱いされる
いったいどこりす3どこで暮らせば落ち着いた生活を手に入れ
この心を休めることができるんだろう私は今自分の手を召使とし足を乗り物としている
がこれで十分満足している
苦しいときは休ませるし元気なときは使えばいい
常に動き回っていれば健康に立っていいだろう着るもの食べるもの
これだって同じだ粗末なものだろうがそもそも人付き合いをしていないんだから別に
恥じることも何もない食べ物だってないからこそどんなものでも美味しく感じることが
できる
こういった人生の楽しみを金持ち連中に対して理解してもらおうとは思わない私は誰だ
これまでの自分の過去を振り返り現在を比較した上で率直
から自分の気持ちを述べているだけに過ぎないのだ結局のところこのよというのは自分
の心の持ち方次第なんだ
心が安らかでないならばいかなる贅沢も無に等しい
正直にいえばたまに京都に出ると自分の落ちぶれた姿を恥じる事があるしかしだ
この小さな相撲に帰るとなん
とも言えない安らぎを感じるのもまた事実なんだああいう世の中の多くの人ってのは
なんて世間体を気にしながら窮屈に生きているんだとああ
連でいるんだまさか私の言葉は本心ではないと疑っているのか
ならば魚や鳥の様子を眺めるといい高輪水に飽きることはないし距離も林の中を好んで
済むだろう
だが鳥や魚がなぜその環境を好んでいるかなて我々人間には知る由がない
つまり私の暮らしだって同じ事が実際に
同じ体験をしていない人間にこの快適さは決して理解できないだろう
入っここで一旦止めましょう要するに余計な物を持たない
余計な事に執着しない生き方を私はしているんですよ
おっしゃってるわけですね今風に言えばちょっと激しめのミニマリストといったところ
でしょうか
鴨長明さんの人生というのは常に
困難や災いの連続でしたしかもそのほとんどが自分の力ではどうすることもできない
ものばかりだったわけです
じゃあそういったふーんと対峙した時人間に残されているのは現場克服という道
今何をどうにか乗り越えるという道しかないのかと言えば必ずしもそうじゃない
この世は無常でありいい
3で諦めることもまた人間に残された救済への道なんだよ教えてくれているわけです
ただこのままで終わらないのが方丈記の面白いところなんです
著名さあはラストに絶妙なオチをつけて作品を閉める事でぜひそこに注目して最後の
パートを聞いてみてください
では行きましょうさて私の人生も月が傾き
山の端近くまで来たようなものでまもなく三途の川を渡ることになるだろう
仏の教えでは何事にも執着を持つなと説く
しかしこうやって今の暮らしに愛着を持つことももしかしたら
仏の教えに背く行為なのかもしれない
ある静かな明け方私は自分に問いかけた
お前が出家し山に凍ったのは心を清めて仏道修行に励むためではなかったのか
それなのにお前ってやつは姿形だけは立派な成人のように振る舞っているが心は煩悩に
染まっているじゃないか
まさか貧しい暮らしをしてきた
急いで心が迷っているのかはたまた心が汚れきった挙句り狂ったのか
私はこれらの地紋に対し何も答えなかった
ただなんとか舌を動かしお救い下さる阿弥陀仏のなおに3度唱えただけである時に建暦
にや
鴨長明富山の杏里てこれを期す入っ
作品の紹介はこれで終わりですいかがでしょうか
どういうことみたいな終わり方ですがこのエンディングこそが方丈記の面白さを際立た
せていると言っても過言ではありません
要するに自分はこの世の無常を悟りきった人間であり
俗世間で窮屈に生きている君たちとは違うんだよとさんざん主張してきたんですが最後
の最後に
ごめん実はまだ俗世間にし
執着しているんですと素直に打ち明けるという終わり方です
長命さんも言っていましたが仏教の世界において執着はご法度とされています
なぜなら執着を断つことで心を完全に自由にし
解脱の道に向かうからですそれこそが出家した者の務めであり修行なのです
そんな中町名さんわし
仏教史山に何年もこもった生活をしていたにもかかわらず捨てきれない何かがあると心
の内を吐露したのです
私には執着がある分かっているそれを絶たなければいけないのは分かってるんだ
でもそれでもまだ自分の中に何かがあるんだと言うんです
出家した人ましてや無常観を素晴らしい文章力
表現していた人が最後の最後にそんな言葉を口にするものですから
読者としては一瞬戸惑ってしまいますただ端を偲びながらも誰が最後に見せた
未熟さ中途半端さ弱さこれは言い換えれば人間らしさそのものなのです
それゆえ世の多くの人からあ私も同じ気持ちです
やっぱり人間ってそうなんだよねこうやって強く共感されてきたともいえるわけです
確かに彼もの長会は世のはかなさを川の流れになぞらえ
無常を解きましたしかし彼の残した作品は時の流れによって風化されるどころか
この現代に
いたるまだ読みつだねますますその輝きを強めているのです入っというわけで鴨長明の
方丈記
以上でございますでもしこの動画で興味を持っていただいたという方は是非方丈記の
現代語訳だけではなく原文の方にもチャレンジしてみて頂ければと思います
面白かった参考になったという方は高評価コメントなどいただ
ていますと嬉しいですまたチャンネル登録もよろしくお願い致しますではまた次の動画
でお会いしましょうありがとうございました