【永遠の名著】ツァラトゥストラ|ニーチェ ~無敵の自己肯定感を生み出す、究極の思想とは?~

 

 

配当も阿波太郎です本日はドイツの哲学者ニーチェの皿ティストラ
こちらをご紹介いたしますどんな作品かといいますと
人生を前向きに肯定的に生き抜く力を与えてくれる世界的名著でございますまずどう
いった方にお役に立ちそうな内容なのかをお伝えします
自分の人生に意義を見出せない
気の弱い自分を吹き飛ばしたりもう一回人生をやり直したい
自己肯定感の低さをどうにかしたいこれに1個でも当てはまれば
ニーチェについて全くご存知ない方でも今回の動画は見ていただく価値はあると思い
ます
ここ数年自己肯定感について悩んでいる方が多く
巷にはそういったジャンルの本が売れていません
ただいろんなテクニックや知識を仕入れてもあまり効果が見られなかったのであれば
ニーチェという劇薬に頼るのも一つの解決がいます
頭いいますのもニーチェ哲学のテーマは生の工程であり徹底的に自分の人生を肯定する
ことを置いているんですそして本日御紹介をさせていただく皿テストらわー
兄て哲学の
集大成である人生のネガティブループを強制終了させる最強の劇薬であるというわけ
です
21は本書について次のように述べています私は皿テスト等を書くことによりこれまで
人類に送られた最大の贈り物をした
何千年先にも届く声を持ったこの方はおよそありうる限り最高の書物であるここで彼が
なぜこういった独特な表現を使い自信に満ち溢れた発言をしているかについては動画の
後半に行くにつれて見えてくると思います
ちなみに難しい話かもしれないと心配の方は大丈夫です
哲学に関する
知識は一切入りません手ぶらで ok でございます
お茶でも飲みながらリラックスして是非最後まで楽しんでいってくださいそれでは毎
場所
ニーチェツァラトゥストラさまずどういった流れでお話をさせていただくか整理をして
おきたいと思います
大きく3つですニーチェの生涯皿テスト等について
運命愛以上3つ
をテーマに沿って進めてまいりますというわけでさっそく1つ目から見ていきましょう
フリードリヒニーチェ彼は1844年ドイツの前身であるプロイセンの東部にある
レッケンという小さな村で牧師の息子として生まれました
ただ彼は見た目は子供頭脳は大人といういわゆる天才少年でして勉強はで
できる作曲もできるしも書けるしかもセンスは抜群というように初めから普通の子供で
はなかったといいます
そして20代の半ばという若さでスイスにあるバーゼル大学の教授に就任しますしかも
当時の彼は教員資格も博士号もなくただの学生という立場で教授に推薦された
そうですいかにニーチェが並外れた存在であったかがよくわかります
ただ常に右肩上がりといかないのが人生でございますニーチェの快進撃は30歳手前
ぐらいでピタッと止まりそこから数々の試練が怒涛のごとく彼を襲います苦労して
書き上げた書籍はことごとく売れない授業をやっても学生
は来ない教授に推薦してくれた恩師そして友人からも見放されさらに慢性的な頭痛に
加え色痛み吐き気も治らない
その上女性関係もうまくいかないモーゼ不調が止まりません
そしてそんな呪いがかかったような状態の中彼は渾身の力を込めて1冊の本を
産み落としま
それが皿テスト等ただこの本タイトルがちょっと怪しすぎであまり手に取る気がおき
ません
しかも内容を正直言って理解し難いですですので本人の期待とは裏腹に当時全く売れ
なかったんです
しかもよりによって4部構成にして4冊に分けて気合を入れて出版したんですその結果
バクシーです
特に最後の代表
おんぶはあまりに売れなさすぎて自分で知り合いにこれをもらってやってくれないかと
配り歩いていたそうですそんな状況のなかさすがの兄ちゃんももう本なんか書くかと
腐ってしまうのかと思いきやなんと彼はそのまま筆を握り続け
次々と著作を生み出していきます
しかもそれらの作品のほとんどがあの滑りに滑った皿ずストラを細くし解説するという
書籍なのですすごい執念です
どれだけ彼が本作に魂を込めていたかが伺えます
しかしそんな力強い精神を持ったニーチェも水に限界を迎えます
1889年彼が45歳オウム
を変える年の頃です愛在していたイタリアトリノの広場で事件は起こりました
一説によると無地でバンバン叩かれている馬に駆け寄りその馬の首をないて抱きしめ
ながら発狂しそして意識を失ってしまったと言われています
幸い意識は戻ったのですが彼の心は完全にこの時壊れてしまい二度と元の兄ちゃんに
戻ることはありませんでしたただ運命とは皮肉なもので実はこのタイミングになって
ようやくニーチェの著作に対する評価が高まってくるんです
ニーチェ文庫という出版社まで出来て品もバンバン売れていきます
しかし兄ちゃんにどれだけ今の状況言い聞かせても何も認識することができないのです
そして精神に異常が出始めてから
約10年55歳という若さで兄ちゃんは天に旅立っていったというわけです
兄者の人生について超高速で見てきましたがここまでよろしいでしょうか
以上のストーリーを踏まえた上で彼が渾身の力を込めて産み落とした最高傑作
たらテスト等について見ていきたいとおもいますまず簡単にどういったお話かといい
ますと
皿ずつトラというおじさんが10年間山ごもりをし孤独の中で知恵を蓄え
それ
を他の人間たちにも分けてやりたいと言って下山をする
そしてその中で様々な人と出会い語り合いながら自分の地位を分け与えていくといった
お話です
ちなみにこのちゃらてぃすとらというのはゾロアスター教の開祖であるゾロアスターを
ドイツ語読みしたものです
ただ21哲学とゾロアスター教は全然関係がありませんので
ここはすぐしていただいて大丈夫です大事なのはサラテストなというおじさんが
ニーチェの分身であるということですですから山から下りてきたたらプストラが人々に
語っていることはすべて
ニーチェの言葉として捉えていただく必要があるわけです
では早速見ていきましょうまず山から下りてきた皿くすとらわー
もりどん
麓で1人の老人と出会いますそしてあなたは森で何をしているのかと尋ねるのですする
とその老人は歌を歌ったりして
神様を称えたりしているんですよと答えるのですがこれに対し皿ず stola は
とんでもない衝撃を受けますそして心の中で次のようにつぶやきました
ありえないこの老人はまだ会うことを誰からも聞いていないのか
神は死んだということをはいここでストップします
早速有名なセリフが出てきました神は死んだ兄ちゃを知らない方もこのパワーワードは
聞いたことがあるんじゃないでしょうか
ではこの神は死んだというこの言葉これはいい
大どういう意味なんでしょうか簡単に言ってしまいますともうこの世の中には絶対的な
真理や価値なんてものは無いと言っているのです
自然科学が発達する前のチン類は自分たちの頭で理解できない事柄については神のなせ
る技
神の意図であると解釈をし納得をしてきました
ところがその神の子
深遠なる糸を解明しようと人類は科学技術を発達させ
神の存在を前提とする世界観を自らの手によって破壊してしまったわけです
例えば天動説地球は宇宙の中心でありその他の天体はこの地球の周りをぐるぐる回って
いるだけだというこの説は中世のキリスト教世界においてはまさに絶対的
死んででした反対意見を言おうものならもう大変なことになってしまいます
しかし地動説という科学に基づいた新たな解釈が生まれたことによってじわりじわりと
紙を前提とする世界観が崩れていったわけです
人間の存在も同様です神が天地を創造し自分をかたどって男と女を作り上げたという
想像ロ
これも旧約聖書をペーストしたストーリーですが進化論
という新たな学説によって揺らいでしまいましたつまり2時は人間は自分たちの手で
絶対的真理はないと証明してしまった
もっと乱暴に言えば自分たちの手で髪を殺してしまったのだという主張をし西洋世界の
これまでの常識をまるまるひっくり返しに行ったわけです
となりますとその影響は哲学にも
を呼んできますニーチェ以前の哲学は神の存在
絶対的真理の存在を前提として成り立っていました
例えば哲学の父そくらです彼は町の人に話しかけでは前とは形が得とは何かとその答え
を求めて問い続けていました
そして弟子のプラトンはその問いの答えに対しイディアという概念をもう
ついて説明を試みました要するにニーチェ以前の哲学者はそれぞれの説明解釈の仕方は
違いの普遍的な前ってあるよね普遍的な特もあるよねというように絶対的な真理の存在
を前提に物事を考えていたんです
ところがニーチェはないそんなものはない絶対的な価値絶対的なきーちゃん絶対的な
シーン
そんなものはあるわけないとしてをしましたそれゆえ彼はこれまでの哲学を破壊した
人物をされているわけです
さあここで話を元に戻しましょうではこの世界に絶対的な価値絶対的真理がない状態だ
と何がいけない
でしょうかどんな問題が生じるのでしょうか別に私は何の宗教も信じていないし
哲学のこととか絶対的なんちゃらとかそんな難しい事を考えて生きているわけじゃない
し関係ないねぇもしかしたらそう思われる方もいるかもしれませんが実はこの問題
人間が人間として生きている以上誰にでも関係してきてしまう大事なお方
なしなのです絶対的なものが存在しないということは言ってしまえば何も信じる者が
ないということです
例えば想像してみてください高度経済成長期の日本バブル絶頂だった時の日本
この時代は21世紀の資本でもやりましたが頑張ったら頑張った分だけ報われる時代
でした
たくさん勉強して名門大学に入っ
て一流企業に入ってしまえば一生安泰人をたくさん雇い
ものをたくさん作れば売り上げも上がる働けば働くほど給料も上がる
そんな時代ですつまり頑張れば人生どうにかなるという道筋が間違いなくあったわけ
です
だから自分の夢や希望そして家族のために出世のために辛いことも苦しいことも耐え
られたし
歯を食いしばって努力が出来ましたところが今はどうでしょうか
企業を神のごとく絶対的な存在と見なし定年まで面倒を見てもらおうという終身雇用
神話はもはや過去のものとなりました
5職を失うか5区1泊
れるか分からないそして将来何を目指し何に希望を持ち頑張ればいいのかわからない
そういった漠然とした不安だけが日に日に大きくなっている
それが今の状態ですこのように人が絶対的に信じる者を失い何のために生きるのか
その意義を見いだせなくなる状態のことをに弾いリズムと言いますそしてこのに尻
図6が蔓延していきますと末神と呼ばれる人間が大量発生すると
21は警鐘を鳴らしたのです松人というのは最後の人間とも訳されるのですが簡単に
言ってしまえば将来に対して何の憧れも希望もなくただ楽に無難に惰性的に生きること
を良しとする人のことを指します
これはもう
もちろん本人だけに原因があるわけではないと思いますただこの松人にだけは絶対に
なっちゃダメ
これがニーチェの揺るぎないスタンスなんですいやいや私だって好きで希望を失ってる
わけじゃないんです
松人になるなっていうんだったら私はいったい何人になればいいんですか
もう突っ込みたくなりますが結論超人になってくださいこれがニーチェの回答でござい
ます
a 超人ですかはい超人ですそして今から紹介しますニーチェの超人思想
これが皿プストラの前半第1部第2部のメインテーマとなるわけです
ここは非常に重要で面白いテーマなので是非押さえて頂きたいところでございます
では早速作品の中で超人について語られるシーンについて見ていきましょう
先ほど足らず stola は老人と会話をしていましたがそれが終わると森を抜けて
街に向かいます
すると町の市場の方でなんかざわざわしているんですね
何だろうと思って近づいてみますと庄内イベントで綱渡りの賞が行われるらしくそれで
待ち中の人が
集まってきていたというわけです楽しみだなまだかなそんな声が聞こえる中
山ごもりで蓄えた血を吐き出したくてしょうがない皿テストらがフラフラしながらその
群衆の中に近づいていきます
誰か適当な人を捕まえて説教でも始めちゃうのかなと思いきやそうではないです
なんと彼はその民衆全員に向けて叫んでしまうです皆さんよく聞きなさい

私は今から皆さんに超人について教えますみなさんはかつてさるでした
しかし今も人間はサル以上に猿なのでありますなるほどこれは怪しいおじさんが意味
不明なことを叫んでいるようにしか聞こえ
当然そこにいた人々はそんな彼を全く相手にしませんでした
しかし皿2ストらは気にせず奇妙な演説を続けます
そして超人について話を終えたところで群衆の中の一人が大声で叫びましたよしこれで
綱渡りゲーの前口上はバッチリだ
それじゃあさっそく超人に登場してもらってその超人技とやらを披露してもらおう
するとこの人の冒険が同館と受けてしまい皿テストらは皆から馬鹿にされ大洗されて
しまうのですそんな中綱渡り芸が始まりました人々もその様子を固唾をのんで見守って
いますここで皿ずストア
バカにされたショックで黙り込むのかと思いきやなんとまだしゃべり続けています
そしてここで非常に重要なセリフを口にするのです
人間という
いう生き物は動物と超人との間に針渡された1本の綱である
わたって彼方に進むのも危うく途上にあるのも危うく
後ろを振り返るのも危うくを除いて立ちすくのも危ういはいここで一旦止めましょう
彼が何を言わんとしているのか考えてみたいと思います
まず超人て何
というところからお話をしています結論から言うと不屈の精神力そして力強い意志を
持ち自らの人生を肯定しながらより高みへ向かおうとする存在
それが超人のイメージですなぜイメージを申し上げたかといいますと実はサラテスト等
では具体的に超人とはこう言う
ものですと定義づけをしていないですねもし定義づけをしてしまえば
ニーチェは自ら絶対的な存在を認めたことになってしまいますから
ここはあえて読者の想像に委ねられているのかもしれません
そして人間というのはその超人という存在に向かって
綱渡りのような危険を乗り越えていくそういう存在なんですよと言っているわけです

はどうやったら超人の域に到達できるのでしょうか
皿テストらが言うには人間の精神には3段階あってどんどんそのレベルを上げていく
ことで超人に近づくことができるそうです
その段階には名前が付いており第一段階が楽だ
第2段階が市史第三段階が幼子です
順番に見ていきますまずはじめのラクダの段階というのは重い荷物を背負って我慢する
ステージです
自分の目に積極的に負荷を掛けそこで自分の強みを獲得するわけです
学校での勉強会社での仕事体を鍛えること
人それぞれにラクダのステージがありますそして忍耐力や自分の汁
海が磨かれたのなら次の段階は獅子です
このステージは窮屈な状態から解放され自由を求めるものが進む段階です
既存の価値観常識系議員に対して
はっきりと自分の言葉で no と言えるそんな独立の精神を持った段階
それがこの獣のステージですそして最後
第三段階になると獣は幼子に返信をします
自らの創造力に身を委ね勝手に自由気ままに遊ぶ
まるで幼い子供のような無邪気な精神それこそがさ
最終段階なのだというわけですどれだけ大人が世の中の理不尽さを嘆いても将来を悲観
しても幼い子供には関係がありません
彼ら彼女らにとって世界は無条件に肯定されるものであり心のままにターム0
無心に遊び自由に創造的に今この瞬間瞬間を生きていますつまり超人
たるものはこの3つのプロセスを経て最終的には幼子のような精神もその身に宿すもの
なのだというわけです
さあ1部2部のメインテーマである超人に関するお話はここでおしまいですがこの内容
が第3部第4部後半の内容へとつながっていきます
この後半パートのテーマは ae 宴会機と呼ばれる
サラテスト等の中心
しそうでございますつまり今からお話しするところがこの動画の最も重要な箇所であり
兄て哲学を学ぶ上で絶対に外せないテーマというわけですではさっそく見ていき
ましょう
まずえええん回キとは一体何なのでしょうか結論から言いますと同じことが無限に
繰り返されるという仮説のことを指します
もうちょっと具体的に言うとあなたは今の人生をえいえんに繰り返して前世も来世も
ずっと同じ人生を繰り返して無限ループの中をグルグルグルグルと生き続けているん
ですよという仮説です
繰り返しになりますがこれは仮説であり事実か事実でないかはあまり重要ではありませ

仏教の世界にもリンレイしそう
という教えがありますが a 限界人は全く異なる概念になります
声明はいろんなものに無限に生まれ変わり続ける
これが輪廻思想です例えば私の来世は大資産家かもしれないし
小さなクラゲかもしれないそういうお話です一方宴会機の場合は同じ人が同じ人生を
ぐるぐるえいえんにループし続けるというものです
さてここで質問です皆様はこの a 限界域の思想
受け入れることができますかそれとも同じ人生をループし続けるなんて勘弁してくれと
拒絶されますか
もちろん正解はありませんし人それぞれですし雨ニーチェは別の著作でこの a 限界
家の思想を人間にとっての最大の重しであると表現している
要するに人間というのは表ほど幸せで恵まれた人でない限り
忘れ去りたい過去のトラウマ失敗過ちが一つや二つあるでしょうとそれを無限に経験し
続けるのは過去の記憶が消去されているとはいえ誰だってイヤでしょうと
多いっているんですねただこの思想というのはその人の捉え方次第で人生を大きく
変えるくらいの強力な武器にもなるんです
仮に本当にループし続けると真剣に想像してみてくださいどうでしょうか
えいえんにネガティブで否定的で不幸な人生かえいえんにポジティブで肯定的で幸福な
人生
せいか極端な二つの選択肢が目の前に浮かび上がってくるはずです
さあ選びたいのはどっちですかそう聞かれればどう考えても後者しかありません
そしてもし後者を選べばえいえんに繰り返してもいいと思えるような人生にしようと前
を向いて生きていくしかなくなるんです
つまり a 塩回帰というのは神が死んだ後の
世界絶対的に信じる者が失われた世界で待つ人に陥ることなく人生を肯定的に力強く
前向きに歩んでいくための思考法といえるわけですではいったいどうすればええええん
かい気の思想を受け入れることができるようになるのでしょうか
頭で理屈はわかってもなかなか自分のものにするのは難しそうだ
そこで21はえええんかい気を自分のものとする条件として
ニヒリズムを克服する必要があると説きました
イメージしづらいと思いますので今から実際にニヒリズムを克服し
永遠海峡を受け入れた人間を描いている
サラテストらの重要な1身を紹介いたします
どんな場面かというと一人の若い僕人が倒れているところ
サラテストらが発見するというシーンです僕人というのは馬とか牛とか羊などのお世話
をする人ですその主人が倒れている横で犬が原料とないと言います
そしてその恋に皿プストラが気付き何事だと言って近づいていくんです
そこで彼はとんでもない光景を目の当たり
しますなんと倒れこんでいる僕人の口から黒い蛇の尻尾がにょろっと出ていたんです
僕人はあまりの苦しさにのたうち喘ぎ系霊夢を起こしています
そこでたらテストらはその北陣を助けなければとうわーと近づいていき
蛇の尻尾をギュッとつかむ力いっぱい引っ張って口から出そうとします
ところがまっ
たく蛇を引きずり出すことができません何度やっても同じでした
そこで皿ずストアは絶叫します蛇の頭ごと噛み千切ってしまえ
サーカムんだかんでしまいする土木人は言われるがままに蛇をがぶっと噛みちぎり
その頭を吐き捨てそれと同時にパッと立ち上がりますそしてこの様子を見たさらづ
stola は次のように語ります
私の目の前にいた男もはや僕人ではなかったいや人間でもなかった1人の変容したもの
光に包まれたものだったそして彼は彼から彼に笑った今まで地上のどんな人間も笑った
ことがないほどたから借り
いかがでしょうかこの新非常に重要な場面なんですが言わんとしてること分かりました
でしょうか
要するにこの七転八倒している僕人というのはにしリズムに囚われた人間のことを描い
ているのです
もうちょっとわかりやすく言いますとこんな希望もない世界に生きている意味なんか
ないじゃないか
頑張ったってどうせ報われないじゃないかどうせ私なんかどうせ私なんか
こういったニヒリズムに陥ってしまいますと私たちはあの僕人のように息苦しい人生を
送ることになってしまいますよと言っているわけですね
しかし僕人は自分を苦しめる蛇を噛み千切り窮地を出しましたよね
すなわちこれこそがニヒリズムの克服なんですもっと具体的に言えば不安恐怖嫉妬失望
自己不信といった
いろんなことにとらわれ人生を悲観的に捉えることしかできなかった弱い自分を自ら
かみ殺したんです
そして新たな力強い自分に生まれ変わる覚悟を決め
自分の人生を否定的なものから肯定的に捉え直すことに成功し高らかに笑った
これこそがえええん回キの思想を受け入れ実践し自らの税
生涯を肯定したものの姿であるというわけです
まだニーチェはえええん会計の実践的態度としてもっとも重要なのは苦しい人生を目の
前にし死にたくなるほど鉄棒したとしてもこれこそが人生なのか
だったらもう一度かかって来いと勇気を持って立ち向かうことであると説きます
今生きているこの瞬間もこれこそ私の人生なのだと自信を持って肯定できる人はこれ
まで歩んできた過去を振り返ってもこれでよかったんだと肯定することができます
そして未来に対しても臆することなく前向きに皇帝て
に歩んで行くことができますさらにこれがえいえんにループするとなれば自分が生きる
世界
自分の命自分の人生その全てが a 間に肯定され続けることを意味するわけです
つまり今この瞬間を肯定さえしてしまえばえいえんの工程ループが生まれるというお話
です
それゆえ21は
えええん回キの思想をおよそ到達しうる限りの最高の皇帝の底敷きと名付けました
そしてこの思想を受け入れたものが辿り着く志向の領域それが超人なんです
もちろんそこに至る道は決して楽ではありません1本の綱を渡るように大きな危険を
伴います
しかし絶対に安全な道があると
かたくなに信じ何もせず時がたつのをただ待っているだけではあの僕人のように苦しむ
しかないんですであれば自分の弱さを思い切って断ち切って勇気を持って前進し
ましょう
そしてやれるだけのことを全部やって自分の何もかも肯定してしまえと言ってるわけ
です
さいかがでしたでしょうかはしょりに端折って進めてきましたが
サラテスト等に関してはここでおしまいです作品の肝となっている挑戦しそう
そしてえええん回キざっくりイメージいただけたでしょうか
最後に21が提唱した運命愛について簡単に触れて終わりたいと思います運命愛という
のは一言で言ってしまえば自分の運命を全て受け入れ
肯定し愛する心の態度のことを意味しています
21の思想に基づくならばこの世界に絶対的な善も悪も存在しないということになり
ます
であれば自分の人生で起こる様々な出来事を一つ一つにこれは楽しかったから丸
これはきつかったから罰と部分的に受け入れるのではなく
そのすべてを愛することの大切さを説いたわけです
ただそうやってきれいさっぱり気持ちの整理がつけばいいんですがそれができなくて
悩むのが我々人間でございます
自分の存在自分の人生に価値を見出せずできることならもう1回過去に戻ってやり直し
たいそんな気持ちが夜な夜な出てきてしまうことだってあるわけです
しかしニーチェは次のように言いますた
たった一度でいい本当に魂が震えるほどの喜びを味わったのならその人生は生きるに値
する
つまり生きている間に言葉では言い表せないような喜びを手に入れさえすれば全ての
苦しみ
すべての悲しみを引き連れてでもあなたは自分の人生をもう一度生きることををトム
はずだ
だからどんな運命だろうと愛し自分の人生を前向きに肯定的に生きればいいのだと言っ
てるわけです
ニーチェ哲学のテーマは生の工程ですがこの運命愛はまさにその象徴的な概念と入れ
ますしかしそんな非常に前向きでパワフルな思想の持ち主であるニーチェですが彼自身
の人生といえば実に
苦悩と悲哀に満ちたものでした才能があっても仕事は評価されず発狂するほど苦しみ
精神を病んでこのようサルーンですこれがえいえんに回帰するのかと考えますと
正直ゾッとしてしまいますただ彼は晩年に書いた自叙伝において自身の人生を次のよう
に振り返っていますどうして私
市は私の前障害を感謝せずに俺様か
そしてだからこそ私は私自身私の生涯を語り聞かせようとしているのである
ニーチェの精神が崩壊するのはこの言葉を残した
わずか数カ月事を言われていますつまり彼は最後の最後まで苦悩に満ちた自分自身の
運命を愛し生の皇帝という自分の哲学を貫き通しその人生を全うしたのです
そしてニーチェは自分の死後何百年か先にきっとニヒリズムが世界を覆い尽くし
人々から希望を奪い生きる意味を失わせてしまうだろうと予見していました
だからこそ彼は自分の魂と声を宿した人格
さらづストラを作り上げ絶望の前に立ち尽くす未来の人類への贈り物としたのです
どこまでも性も肯定し運命を愛した天才哲学者フリードリヒニーチェ
彼の贈り物が開かれるべき時はまさに今なのかもしれませんはいというわけで
ニーチェのツァラトゥストラ以上でございますいかがでしたでしょうが
ニーチェ哲学はやはりパワーがすごいですね圧倒されてしまいます
もしこれは同時間があるようでしたら概要欄に貼ってあるリンクから岡本太郎さんの
自分の中に毒をもでこちらをチェックしていただけますか
まだ新たな発見があると思いますと言いますのも岡本太郎さ
の思想に最も影響を与えたのはフランスの哲学者
馬体言うという人物なんですかこのバタイユに影響を与えたのがにいちゃんですです
から岡本太郎さんの力強い言葉にはどこかんニーチェっぽさがありますそういった
ところに注目して見ていただきますと
今日の内容の解釈の幅が広がってさらに気持ちを高めていただける
のではないかなと思います面白かった参考になったという方は高評価コメントなど頂け
ますと嬉しいです
またチャンネル登録もよろしくお願い致しますではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました

この記事を書いた人