【名著】道徳感情論|アダム・スミス 経済学の父が語る、本当に賢い生き方とは?

 

 

はいどうも阿波太郎です本日はイギリスの
経済学者アダムスミスの道徳感情論につい
て紹介いたしますどんな作品かといいます
と人間が幸福に生きるための軸を与えて
くれる道徳哲学の世界的名著です哲学や
社会二層にご興味のある方はもちろんの
こと他に員と自分を比べてしまい自信を
喪失しがちな方努力しているのにあまり
幸福感を得られていない方いつも誰かの
意見に従い自分の軸がないと悩んでいる方
にぜひ手に取っていただきたい一冊です
アダムスミスといえば経済学史上最大の
古典の一つ国府論の著者である経済学の父
と称される人物ですまた神の見えざる手と
いうあの有名な言葉は彼の代名詞となって
おりご存知の方も多いのではないでしょう
かしかし経済学者として名高いスミスです
がもともとは道徳を専門とする哲学者で
あったということや5グフローンが道徳
感情論の構想の一部だったということは実
はあまり知られていませんそこで今回は
アダムスミスの荷台著作の一つ道徳感情論
をわかりやすく解説しその上でどのように
国富論につながっていくのかという
ストーリーをお話しいたします経済学の父
が伝えたかった真の幸福とは一体何なのか
皆さんと一緒に楽しく読み進めながらその
答えを探してみたいと思いますそれでは
参りましょう
アダムスミス道徳感情論
さあまずはこの動画の全体像からお示し
いたします始めにこの作品を読む上での
はいk 知識を簡単に紹介しその後本書の
内容を共感する力の限界人から愛され賞賛
される2つの道自分を過小評価しない生き
方という3つのテーマに分けてお話し
いたします
さあというわけでまずは著者について紹介
いたしますアダムスミス彼は1723年
スコットランド東部の小さな港町で誕生し
ました生まれる直前に父が病気によって
他界したため
スミスは母の手一つで育てられたといい
ます14歳になると古郷を離れグラスゴー
大学に進学するとスミスはある人物との
うんめいてきなであいを果たしますその人
の名は腐乱しずハチソン彼は18世紀から
19世紀初頭にかけてスコットランドで
起こったスコットランド啓蒙と呼ばれる
哲学の一派の中心人物でしたハチソンは
人間の中にある道道徳感覚と呼ばれるひと
つの感覚が社会の秩序を形作っていると
考えていましたスミスはグラスゴー大学で
彼の講義に大いに感銘を受け自分もいつか
は独自の道徳哲学を確立させたいと胸を
熱くさせていたと言いますそしてスミスに
影響を与えたもう一人の中8人物がこちら
デイビットヒューブ彼もまた八駿と同じく
スコットランド啓蒙を代表する一人の哲学
者ですヒュームは代表作人間本性論によっ
て理性のみではいかなる行為も生み出し得
ないと主張し理性に対する情念の優越性を
唱えましたスミスも理性を絶対視すること
に批判的な立場を取っていたのですがその
思想の源流はヒュームにあると言われてい
ますこのような同時代に生きた偉大な哲学
者たちとの交流によってスミスは自らの
道徳哲学を構築していったのですそして
36歳のときに道徳感情論533歳の時に
国富論を発表するわけですが彼が67年の
生涯において出版したのは何度この2冊
だけです他にもいくつかの原稿もあったの
ですがスミスは出版に値しライトいって白
数字つ前友人に頼んで焼却処分をしている
のですその中には日記のような
プライベートな文章も含まれていたため彼
の内面に直接アクセスできる資料はほぼ
現存していません道徳感情論と国富論だけ
がスミスを知る唯一の手がかりなのです彼
が生きた当時のヨーロッパは3行革命と
呼ばれる生産技術の革新が始まり経済が
急速に発展した時代でしたしかしその文明
の光を浴びていたのは一部の階層の人々
だけであり多くの人は格差と貧困という陰
で苦しい生活を余儀なくされていました
そんな中スミスは社会いに秩序と繁栄を
もたらすのはただ経済的に豊かになること
だけではない私たち人間の内側にある何か
がそのカギを握っているはずだと考え
1759年道徳感情論を発表しその正体に
迫ろうとしたのですこの作品は出版されて
から何度も韓屋されては練り直され最後の
第6版はなんと彼がなくなる1790年に
行なわれましたそしてこの時に国富論が
道徳感情論の構想の一部だったという事実
が明かされたのですさあここまでよろしい
でしょうか
では以上の点を踏まえ
アダムスミスの最初にして最後の著作道徳
感情論の中身に入って行きたいと思います
ひとつ目のテーマは共感する力の限界です
では行きましょう
どれほど人間が利己的な存在であるように
思えても私たちは他人の運命に興味を持っ
たり他人の幸せを自分の幸せのように願っ
たりする心を持っているきっとあなたも
悲しんでいる誰かの姿を見たときまるで
自分のことのように胸を痛めたことがある
だろうこれはまさしく人間の本性が持つ
根源的な感情など大慈悲深い人間だけでは
なく手の施しようのないアクトそして
どんな冷酷な人間ですらこの感情を持って
いるのであるお気に入りの本や詩の内容を
友人に語った時相手がそれに関同市喜んで
くれたとしたらあなたはどんな気分になる
だろうかきっと心が乱されもっと語り聞か
せたいと思うに違いない一方相手がしらけ
た表情でその話になんだ興味を示さなかっ
たとしたらおそらくあなたは残念な気持ち
になりもうその話題を控えようとするはず

このように人は自分の心の内を誰かに
分かってもらうことを求めるしかし私たち
が本当に願ってやまないのは自分の喜び
よりも無視の悲しみや苦しみを理解して
もらえることだそれが分かってもらえた
ときの喜びもまったくわかってもらえない
辛さもきっとあなたなら知っていること
だろう特に不幸にあった人間の苦しみを
軽んじることほど残酷らものはない喜びに
共感しない人は礼節が欠けているだけなの
かもしれないが誰かの苦しみや悲しみに
対し深刻な表情を一つ壁ないのはあまりに
人としての錠がかけており軽蔑の対象と
なるのである
はいここで留めます
なるほど人間は利己的な存在に見える
けれども100%利己的な存在ではあり
ませんとなぜなら私たちには共感力がある
からなのですよというお話でしたつまり
他人の喜びや悲しみをわがことのように
感じ取る力が備わっている以上にん原は
完全に利己的な存在とは言えないという
わけです確かに私たちは人からの共感を
得ると嬉しい気持ちになり逆に得られない
と残念な気持ちになるということを経験的
に知っています
特に本書でも指摘があったように自分の
大きな悲しみを理解されないことは精神的
にかなり辛いものがありますしかし共感力
が人間に備わっているとはいえ他人の感情
に寄り添うことは決して簡単なことでは
ありませんその難しさについてスミスは次
のように語っています友人が悲しみに満ち
た表情で悩みを打ち明けてきたとききっと
あなたなら新規現にその声に耳を傾け心に
寄り添う努力をすることだろう
しかしその人物が抑えきれぬ悲しみの感情
を爆発させた瞬間おそらくあなたは自分と
相手の感情を完全に一致させることはでき
ないと気づくはずだどれだけ悲しみに共感
しようと努めてもその力は弱く当事者の
情念には遠く及ばないおそらく私たち人間
はタリンの悲しみを少しでも和らげてあげ
たいと思えば十分なのであり同じ感情簿
完全に分かち合うまでは求められていない
のだろう
はいここで食べますなるほど完全に感情が
一致するようなパーフェクトな教官はあり
えないしそもそも人間はそういうことが
できるように作られていませんとだから
大事なのは相手の感情を理解しようと
努めるその姿勢なんだとおっしゃっている
わけですもしかしたら皆さんも誰かが熱く
語るのを聞きながら
なんか自分とは感覚がずれているなと感じ
つつも共感を示そうとした経験があるので
はないでしょうか
しかし完璧な教官が成立しえないと頭では
わかっていてもそれでもなお人間は他人
からの共感を求めるという性質を持ってい
ます別の言い方をするのであれば共感に
よって得られるかイラクを求めるわけです
そこでアダムスミスはこのようなジレンマ
によって人間はある2つの努力をし始める
といいますまず1つが他人から商人や称賛
されるための努力
そしてもう一つが足りんから否定や批判
押されないための努力です
要するにできる限りたくさんの人からいい
ねとかあなたは正しいとか自分の言動や
感情を肯定してもらえるような行動を吐露
また他人からダメだとか間違っているとか
否定的な言葉をぶつけられるような言動は
控えをというように自分の言動某何らかの
基準に合わせてうまく調整することを覚え
ていくわけですつまり人間がどれだけ彦的
でどれだけ自分勝手な存在であるように
思えたとしてもそれでも社会の秩序が守ら
れているのはこういった人間の持つ共感力
のおかげといえるわけですただここで一つ
気になるのは私たちは一体何を基準に自分
たちの発する言葉や行動を調整しているの
でしょうか法律でしょうかそれとも学校や
家庭が定めたルールでしょうか
では続きを読んでアダムスミスの考えを
聞いてみましょう
私たちは常に自分の利益だけを優先して
生きているかといえば決してそうではない
ときに自分のことを犠牲にしてでも他人の
大きな利益を優先したいという衝動に駆ら
れることがあるはずだそれは人間の持つ愛
後からなのかそれとも思いやりの心なのか
いや違う人間の利己心を抑え込んでいるの
はそんな穏やかな力ではないもっと
パワフルでもっと強制力のある何かが
私たちの中に存在しているのだその正体と
はすなわち胸の中に住む中中立な観察者で
あるはいここで留めます
なるほど人間は自分の利益を第一に考える
一方でときに自分以上に他人を気に掛ける
時がありますとそれは私たちの胸の中に
住む中立な観察者の力によるものなのだと
いうお話でしたアダムスミスによれば人間
の心の中には誰の味方でもない中立的な
裁判官のような架空の人物が存在しており
それを彼は中立な観察者と名付けました
要するに私たちは中立的立場にあるその
人物と心の中で対話をしながら
どんな発言をしたりどんな行動をとったり
すればよいのかを判断しているというわけ
ですその上でスミスは次のように続けます
中立な観察者は常に我々を監視し続けて
いる他社の利益を無視し自分さえ良ければ
いいといった振る舞い
あるいは周囲の人から軽蔑されたり怒りの
対象となったりするような限度こういった
身勝手なことをするとその内なる人物は
直ちに我々に詰め寄り本当にそれで良いの
かと厳しく注意を裏ガスのであるこれは
優れた特の持ち主だけに限った話ではない
どこにでもいる平凡な人部つの心のうちに
もこの中立的人物は住み着いているのだ
私たちが求めているのは愛されることや
称賛されることであって憎まれることでは
ないできることなら愛情や称賛も受けるに
ふさわしい立派な人物でいたいと誰もが
願うものなのであるはいここで留めます
なるほど要するに中立な観察者というのは
道徳的な全額をわきまえて正しく行動
しようとする心の動きでありいわゆる両親
のことを指しているということが見えて
まいりましたまたアダムスミスが指摘して
いるように人間は皆愛されることを求め
憎まれることを恐れるという本性を持って
いますそこで私たちは内なる観察者の声に
耳を傾け客観的に物事の善し悪しを判断し
人から愛されるようにまた1から憎まれ
ないように気をつけながら生きていると
いうわけですしかし誰もが中立な関数者の
声を聞き道徳的判断ができているかと言え
ば必ずしもそうではありません悪いことだ
けどちょっとぐらいならいいだろうバレ
ないだろうというように内なる人物の忠告
を無視してしまうケースも少なくないの
ですでは誰もが愛や称賛を求め
立派な人物になりたいいいと願っているに
もかかわらずなぜ人間は良心に反する行動
をとってしまうことがあるのでしょうかさ
というわけで2つ目のテーマ
人から愛され賞賛される2つの道に移り
その理由を探っていきたいとおもいますで
は行きましょう
私たちはみな人から愛され賞賛されること
を求めているではそのためにはどうすれば
よいのだろうか方法は大きく二つである
まず1つが富と権力を手に入れる道そして
もう一つが知恵を極め得を実践する道で
ある世の多くの人は輝かしい富と権力を
保するため前者の道を選ぶものだしかし
残りのごく少数の者たちだけが後者の道を
選択するのである彼らは知恵と説くの価値
を理解している賢くて気高い選ばれし者
たちであるしかしいつの時代も人間は富や
権力の前に跪くそして金や影響力を持つ
ものを褒めたたい彼らこそが真の知恵とと
口を備えた人間なのだと錯覚し崇拝の対象
としたがるのである人間は自分の富を
誇らしげに見せびらかし
一方で貧しさを隠そうとするものだなぜ
多くの金持ちがそういった行動をとり
たがるのかといえば富があれば自分に世間
の注目が集まると考えているからである
そして恵まれた境遇で充実した毎日を送っ
ているという心地よい感情に多くの人が
引き寄せられることを知っているからで
あるいつの時代も金持ちが飛びお会いする
のはこういった理由からなのだはいここで
留めますなるほど人から愛され賞賛される
ためにはと31権力を求める道と知恵を
求めて解くの実践者となる道という大きく
2種類の生き方がありたいていは富や権力
の方に流れますというお話でしたもちろん
世の中にはお金もあって社会的 g も
あってその上で知恵も得も備えているよう
な方もいらっしゃいますですので富や権力
を目指すことが必ずしもだめだというお話
ではありませんスミスが注目したのはその
道を選択した人がよくはまってしまうある
落とし穴の存在などですでは続きを見て
いきましょう悲しいことに世の中には富を
追求するあまり人の道を外すものがいる
特に政治の世界で頂点を目指そうとする
もののなかには平気で法に反する行いを
する者までいる始末だ金と権力さえ手に
入れてしまえば後でいくらでも誤魔化す
ことができるそう思っているからこそ詐欺
や不正を働いたり犯罪にも手を染めたり
するのだろうしかし皮肉なことにそのよう
な手段によって獲得した富や名声が人間を
満足させることはないなぜなら自分が行っ
たことにどこか負い目を感じ心の底から
喜ぶことができないからであるそこで彼ら
は何かにつけて気前よく大盤振る舞いをし
たり人目を引くような大きな事業をやっ
たりし世間からの注目を浴びようとする
そうやって派手なパフォーマンスによって
自分と世間の記憶から過去の所業を抹消
しようと試みるのであるしかしどうあが
こうが過去が消え去ることはない絶えず
よみがえっては背後から追いかけえいえん
に彼を脅かし続けるのであるはいここで
留めます
富と権力を追い求め過ぎるとときに人は
詐欺や不正に走るとありましたつまり中立
な観察者の声が聞こえてもそれを無視し
続けていると知らず知らずのうちに人の道
から外れてしまいますよというお話です
この音4穴にはまる人の多くは富と権力
さえあればあとで自分の悪さを消去したり
別の印象によって上書き保存したりできる
と考えるようですが現実はそんなに甘くは
ありません生涯にわたって中立な観察者の
追跡に会津ずっと良心の呵責に苛まれ
続けるのですこのようなことからスミスは
いかなる時も中立な観察者の声に耳を
ふさぐことなく客観的に物事を判断できる
人こそが本当の権者であると考えていまし
たさらに彼は権力や社会的地位を獲得した
人が陥りがちなもう一つの落とし穴につい
て次のように語ります多くの人は有名な
人物や影響力のある人物に会いたがる
そして彼ら彼女らの一挙手一投足に興味を
持ちあらゆることを犠牲にしてでも同じ
ような地位を得たいと望むのであるしかし
あまりに世間の注目を浴び周りから
チヤホヤされることに慣れてしまった人間
たちのその後の人生を見てみるがいい
あらゆる物事が魅力的に思えなくなりごく
普通の暮らしの中から喜びを見出せずに
苦しんでいるだろう例えばし客した権力者
たち彼らはかつての栄光をなんとか
忘れようと努力するがそれに成功する者は
ほとんどいないその大半が落ちぶれた自分
を受け入れることができずすぐイライラし
たり毎日がひどくつまらないと嘆き次第に
無気力になったりするのだその結果
気晴らしと称しては華やかであった過去の
思い出にふける以外になくなるのである
入っここで留めます
なるほど過剰な興奮に慣れ過ぎてしまった
人は過剰な興奮でしか満足できない心と体
になってしまいますとだから一度失脚する
とその後の暮らしがかなりしんどくなるの
で気をつけましょうというお話でした
もちろんスミスは社会的地位を求めること
を否定しているわけではありません賞賛さ
れるようなチーに建つ同つい人は世間から
の称賛の声が気持ちよくなってしby 中立
的な観察者の厳しい声に耳を塞いでしまう
ことがあると注意を促しているのです
例えば一流と呼ばれ人間的にも尊敬されて
いるようなスポーツ選手やアーティストを
想像してみてください彼ら彼女らはどれ
だけ結果を褒められ世間から少佐んされた
としても自分が納得できるパフォーマンス
ができなければ心から喜ぶことはありませ
んその反対に世間からの称賛が得られ
なかったとしても今の自分のベストを
尽くすことができたりあるいは克服すべき
課題の改善がみられたりすればそれを素直
に喜びそこに満足感を得るはですこのよう
に評価基準を世間に設定して生きるのでは
なく自分の胸の中に住む中立な観察者の声
を信じその判断に従うことそれがスミスの
考えていた賢く正しい生き方だったわけ
ですとはいえ他人からの評価が人間に日
イラクやよロコ日を与えることは事実で
ありそれに惑わされずに生きることは
なかなか難しいことです頭ではわかってい
てもつい自分と誰かを比較し気分が
落ち込んでしまったことは誰しもご経験が
あるかと思いますではいったいどうすれば
私たちは自分を否定したり過小評価したり
せず自然に生きることができるのでしょう
かさあというわけで最後3つ目のテーマ
自分を過小評価しない生き方に進んで行き
たいと思いますではいきましょう
何も恐れることはなく自由に生きていき
たいもしあなたがそのような想いを胸に
人生を歩もうとしているのならおそらく
方法は一つであるそれはほとんどの人間
たちが引き返せなくなってしまう尭行
すなわち8神の領域に決して足を踏み入れ
ぬことだ
そのためにはすでに世間から注目を浴びて
いる人間とまだ何者でもない自分を比べる
ような愚かな過ちを消して犯さないことで
ある自分の境遇が惨めに思え
毎日がつまらないと嘆いている人がいる
そうの原因はおそらく理想と現実の差を
大きく見積もりすぎているからではない
だろうか例えば物欲や金銭欲が強い人で
あればお金という尺度で物事の価値を計る
ため貧しい者と止めるもののさを大げさに
考えがちであるまた野心に溢れた人であれ
ば社会的地位にとらわれているため身分の
差を極めて大きな問題だと考えるまた共栄
心に満ちた人であれば名声を勝ち得た人
こそが立派な人間なのだと過大評価し逆に
何者でもない人間は立派でもないつまら
ない人間なのだと過小評価するこのような
情念に支配されたとき私たちは自分の境遇
をひどく惨めに感じるものだしかしここで
冷静になりあなたの身の回りで人から愛さ
れている人物のことを思い浮かべてほしい
その人はきっと代わり映えのないごく普通
の日常を穏やかり満足して暮らしては以来
だろうかもちろんその人物の中に出たみ
たくなる要素もあるだろだがそれはあなた
が人としての徳を捨て心をかき乱してまで
手に入れるべきものではないはずだはい
ここで留めますなるほど物事の価値基準が
お金社会的ちめいせいだったりするとそれ
が手に入らない間ずっと私たちは誰かと
自分を比べては自信をなくし暗い気持ちで
毎日を暮らさなければなりませんと一方
それらがなくてもいつも笑顔で幸せ総理
生活している人もいるので冷静になって
その違いに注目してくださいとおっしゃっ
ているわけですつまり誰もが欲しがる富も
チーム名誉もすべて幸福になるための手段
であって幸福そのものではないのですでは
酢水の考える幸福とは一体何なのでしょう
か続きを読んで確認していきましょう人間
にとっての幸福とは常に心の平穏と楽しみ
の中にあるどれだけ富や名声を手に
入れようといつも何かに怒ったりおびえ
たりしていれば何をしようと楽しむことが
できないしかし心の平穏が保たれた人間は
ありふれた日常の中にも楽しみを見いだす
余裕がありその結果人生を謳歌できるので
ある健康な体を持ち借金に悩まされておら
ず心にやましさがないこの3つの条件さえ
整っていればあなたはきっと心を穏やかに
そして幸福に暮らすことができるだろう
これ以上新たに付け加えられた条件は全て
過剰なものであり私たちはそれらに満足し
なければならないのであるはいここで留め
ます
なるほど
スミスの考える甲府とは心の平穏であり
それを手に入れるためには健康な体を持ち
借金に悩まされておらず心にやましさが
ないことが条件という話でしたこの3つの
中で特に彼が重要視しているのは最後3つ
目の条件心にやま市さがないということ
ですどれだけ大きな成功を収めたとしても
どこかに後ろめたい気持ちがあるといつ
までも心の平穏は訪れずむしろ幸福が離れ
ていってしまうのですそうならないために
もスミスは本書で何度も何度も中立な観察
者の声に従った賢明な生き方をして
くださいと強調していたわけですただ彼は
全くお金がなくても人は幸福になれるとは
思っていません健康な体を維持し借金に
悩まされないこれら2つの条件を満たすに
は当然ある程度のお金が必要なのです逆に
言えば最低限の経済的基盤が整ってい
なければ人は幸福にはなれないというわけ
ですそこでスミスは考えましたどうしたら
諸国民が富を増やし
幸福に生きることができるのかそして道徳
感情論の誕生から17年後彼は国富論と
いう作品によってその答えを示すことに
なるのですスミスが2台著作によって伝え
たかったことそれは特定の国家だけに富を
集中させることでも市場原理主義を
推し進めることでもありません経済発展の
真の目的は諸国民が心穏やかり幸福に
生きることでありそのためには人間の持つ
道徳感情こそが中心に置かれるべきだと
訴えたかったのです物質的な豊かさが
広がっていく一方で幸福感が薄まりつつ
ある現代社会私たちは今260年前の
スミスの言葉に立ち返り真の幸福を見つめ
直す時なのかもしれませんはいというわけ
で道徳感情論以上でございますいかがでし
たでしょうか今回は新年一発目の動画と
いうことでいつもご視聴いただいている皆
様が心穏やかにし矢合な1年を過ごして
いただきたいという願いを込めて先勝して
みましたまたお時間の関係で割愛しました
がアダムスミスはストア哲学にも大変
大きな影響を受けている人物なのでそう
いったことも踏まえた上で聴き直して
いただいても新たな発見があるんじゃない
かなと思いますというわけで遅くなりまし
たが本年もどうぞよろしくお願い致します
この動画が面白かった参考になったという
方は高評価コメントなど頂けますと嬉しい
ですまたチャンネル登録もよろしくお願い
致しますではまた次の動画でお会いし
ましょうありがとうございました
[音楽]

この記事を書いた人