はいどうもアバ太郎です
本日はイギリスの経済学者シューマッハの
スモールイズビューティフルを紹介いたし
ますどんな作品かと言いますと人間を中心
とした新たな経済学を提唱し
自然環境の保全と
持続的な平和を訴えた世界的名著です
環境エネルギー教育といった今日の社会
問題に関心のある方
特に困ったことはないのになぜか心が
満たされないという方
自分の仕事に対してやりがいや成長の実感
を得られていない方いつも自分の心を安定
した状態に保ち
穏やかに暮らしたいという方に
ぜひ手に取っていただきたい一冊です人類
はこれまで大は小を兼ねるとばかりに
巨大なものを作る努力をし進歩してきたと
いう歴史がありますしかし経済規模も
組織も人間関係も大きくなれば大きくなる
ほど
心が豊かになったり
幸福に生きられるかといえば
必ずしもそうではありません
今回紹介させていただくのはそんな人類の
巨大信仰に待ったおかげ人間本来のサイズ
にあった経済のあり方について説いた今
注目の作品になりますこれからの生き方や
働き方のヒントが多く含まれている内容
ですのでどうぞ最後までを付き合い
いただければと思いますそれでは参り
ましょう
シューマッハ
スモールイズビューティフルさあまずは
この動画の全体像からを示しいたします
はじめに背景知識として
シューマッハについて簡単に紹介しその後
本書の内容を
心が満たされない原因について最小限の
消費で最大限の幸福を得る方法なぜ人は
働くのかという3つのテーマに沿って進め
てまいりますさあでは早速背景知識から見
ていきましょう
エルンストフリードリヒューマッハ
彼は1911年
ドイツの都市ボンに政治経済学者である
ヘルマン州バッハの次男として誕生しまし
た
家計は14世紀以来
ブレーメン主張を務める由緒ある家柄で
ありまた祖父は外交官でコロンビア大使を
務めていましたそんなエリート家庭で育っ
たシューマッハは1929年
ドイツの名門問題学に入学するとその年の
11月にイギリスに渡り
ケンブリッジである重要人物と出会います
彼の名は
ジョンメイナードケインズ
後に雇用利子及び貨幣の一般理論を発表し
失業と不況の原因を明らかにして
完全雇用達成の理論を提示した20世紀
最高の経済学者の一人です
シューマッハはそんな偉大な人物の元で
学んだ後
オックスフォード大学コロンビア大学と
転々としながら経済学を収め1934年
23歳の時にドイツに帰国その2年後に
アンナという女性と結婚しますその頃の
ドイツではアドルフヒトラーが政権を掌握
し
第二次世界大戦がもはや避けられないと
いう
非常に緊迫した状況下にありましたそうし
た中ユダヤ系ドイツ人であった
シューマッハは
ナチスの対等に絶望し
イギリスへの移住を決断します
1937年
長男のピータークリスティアンが誕生する
とその2年後ついに第二次世界大戦が勃発
当時のドイツは
イギリスにとって敵国であったため
イギリス国内に居住するドイツ人たちの
多くは食を失い
路頭に迷うことになります
終バッハも仕事を追われ
辛うじて農園作業員としての仕事を得た
もののその後すぐに収容所に送られるなど
苦境に立たされ続けたと言いますしかし彼
はそんな過酷な環境下にあっても
決してくじけることはなく
隙間時間を見つけては
戦後の国際決済システムに関する論文を
書き続けていましたそして完成した
レポートをケインズに送ったところ高い
評価を獲得し
イギリス国内の知識人たちからも一目置か
れる存在となっていきますこれをきっかけ
にシューマッハは
ケインズの家に招かれたり仕事を紹介して
もらったりするなど
次々とチャンスが到来やがて
ジャーナリストとしてタイムズ誌や
エコノミスト紙にも執筆を任せられるよう
になり
少しずつその名が知られるようになって
いきました
1946年
イギリス国籍を取得すると
シューマッハは
戦後復興の鍵を握るのはエネルギー特に
石炭であると考え
イギリスの石炭公社の経済顧問に就任し
ますまた彼は
ゲーテ小ペンハウワーニーチェといった
東洋思想に影響を受けた人物の著書に
親しんでいたため
東洋の文化や思想に対して
強い憧れを持っていましたそうした中
1955年
現在のミャンマー政府から
経済顧問になってほしいと強い要請を
受けるとそれを快楽
現地を視察したところ
シューマッハは仏教との極めて合理的が
生活態度に感銘を受け
1966年これまでの経済学の常識を覆す
新たな概念を提唱しますそれが
仏教経済学
仏教経済学とは簡素と非暴力を基本とし
最小限の資源で最大の幸福を得ることを
目的とした経済学のことを言います
従来の自由市場経済学ではどれだけ物を
消費したかが
幸福を図る上で大きな尺度となっているの
に対し仏教経済学ではいかに余分な消費を
せずに
幸福になれるかが重視されるため
両者は対極に位置するものと言われてい
ます
1971年
60歳となった週末は
長年勤めた石炭紅車を対処その後は
エネルギー問題の専門家としての経験と
経済学者としての知見を生かし
執筆や講演活動に注力し始めましたそして
1973年
代表作
スモールイズビューティフルを発表します
そのの中で彼は石炭や石油などの天然資源
がいずれ枯渇すると警告しその数ヶ月後
なんと彼の予言は的中かつてない石油危機
が現実のものとなり
本書はたちまち世界的ベストセラーとなっ
たのですこの作品は
経済環境教育といった
幅広いテーマは使っておりさらにそれらが
地球規模のスケールで語られているため人
によっては
話が壮大すぎて
自分には無関係ではないかと少し不安を
覚える方もいるかもしれませんただ今回の
動画に関しては私たちの心のあり方や
生き方といった日常的な話題に焦点を当て
ていますのでどうぞリラックスしてこの
まま聞いていただければと思いますさあと
いうわけでいよいよ本書の中身に入って
まいります1つ目のテーマは
心が満たされない原因についてですでは
いきましょう
現代の一番重大な誤りは
生産の問題は解決済みだという思い込みで
あるこの思い込みは
職業現場の実情に疎いものだけではない
経済の専門家も世界各国の商工業の指導者
も
官僚などもそれぞれが生産の問題は解決
済みであり人類はついに
完成の域に到達したと思い込んでいるので
あるはい心ためます現代の一番の誤りは
生産の問題は解決済みという思い込みで
あるとありましたちょっとわかりにくい
ですが
要するに
優れた生産能力高い生産性さえあれば人類
はどんな不足もどんな問題も
解決できるんじゃないかと
勘違いするようになってしまったとその
ように批判しているわけですでは当時の
世界経済がどれくらい
勢いに乗っていたのか
実際にグラフで見てみましょうこちらご覧
ください今お示ししているのは1820年
から2018年までの世界の各地域におけ
る一人当たりのGDP
国内総生産の推移です
1945年に
第二次世界大戦が終了すると1950年
あたりから
西側諸国を中心に1人当たりのGDPが
一気に跳ね上がっているのがご確認
いただけるかと思いますそして今回の
スモールイズビューティフルが出版された
のが
1973年つまりシューマッハは世界的に
生産性が向上し
多くの産業が飛躍的に成長している中で
何か危機的なものを感じ取っていたという
わけですさあでは続きを見ていきましょう
私が言いたいのは
繁栄を手に入れたとしても平和の礎を築く
ことはできないということだなぜなら現代
的な意味での繁栄を達成するためには人々
の貪欲な心や
嫉妬心を刺激せざるを得ないからである
そんなことをすれば人間の知性
幸福
心の平成が損なわれさらには平和的な心も
破壊されてしまうだろうひたすら富を追求
すれば世界が平和になるそう期待するのは
現実を見ていないものの空想であり非科学
的
非合理的な考えであるかつて
マハトマガンディはこんな言葉を残して
いる大地は一人一人の必要を満たすだけの
ものを与えてくれるが
貪欲な心は満たしてくれない
欲望をかき立てたり増長させたりすること
は
Hの正反対でありまた自由と平和の正反対
でもある欲望が増してくれば人は何かに
依存したくなりさらに生きる上での心配事
も増えてくる
欲望を減らしてこそ
争いや戦争の究極的な原因である
様々な緊張を和らげることができるので
あるはいここら食べます
現代的な意味での繁栄を達成するためには
人々の貪欲な心や
嫉妬心を刺激せざるを得ないとありました
つまり人間の欲望や
嫉妬心などを煽ることによって今日の社会
経済システムは回っているというお話です
例えば何の問題もなく日常生活を送して
いるはずなのに誰かの生活や
持ち物を見た途端なぜか惨めな気持ちに
なったあるいは
学校や会社でも常に目に見える数字で評価
され
望まない競争にさらされ続けた結果
心が疲れ果ててしまったもしかしたら皆
さんもそういった経験があるのではない
でしょうかもちろんシューマッハは欲望を
完全になくしましょうと言った極端な話を
しているわけではありません
終わりのない欲望を
延々と刺激し続ければいずれ人類は
悲劇的な結末を迎える可能性があるので
肥大した欲望を減らす方向に舵を切るべき
だと主張しているのですそこで彼は
貪欲な心や
嫉妬心にブレーキをかける上で
心がけておくべきポイントについてこう
語ります
貪欲な心と
嫉妬心を捨てるためには何から手をつけ
たら良いのだろうかおそらくそれは次の
ようなことである
贅沢品を必需品にしないこと
現在の必需品を見直しその数を減らすこと
さらにその質問より簡素なものにすること
であるもし今挙げたことが一つもできない
のなら
明らかに永続的ではない
経済的な進歩を必要以上に賛美することを
やめることだはいここで食べます
自分の欲望や
嫉妬心を弱めるためにはまずは贅沢品を
必需品にしないことまた必需品の数を
減らすことさらに
必需品の質をよりシンプルなものにする
ことこの3つがポイントであるというお話
でしたこれは一言で言えば
生活水準を下げましょうという提案なの
ですが
実際に取り組むとなるとおそらく一筋縄に
はいかないかもしれませんなぜなら人間は
物にせよ
生活水準にせよ地位や名誉にせよ
自分が一度でも手にしたものの価値をより
高く感じそれを手放したくなくなるという
性質を持っているからですこの心理傾向は
行動経済学では
固どうかと呼ばれており
ちょうど本書が発表された
1970年代初頭にアメリカの経済学者
リチャードセイラーが提唱しましたその
ため何も考えずに生活水準をどんどん上げ
てしまったり
所有欲支配欲にとらわれて暮らしていると
その分だけ
失ったり減ったりする痛みも強くなると
言えますそこでシューマッハは経済学に
仏教の教えを取り入れることで
貪欲と嫉妬心が渦巻く今日の物質至上主義
に抵抗しようと試みたのですさあそれでは
2つ目のテーマ最小限の消費で最大限の
幸福を得る方法に進み
仏教経済学の具体的な内容について見て
いきたいと思いますではいきましょう
仏教の教えである発祥堂その中の一つに
正しい生活というものがある従って私は
仏教経済学というものがあってしかるべき
だと考えているはいここから止めます
前回ブッダの真理の言葉で紹介した内容が
早速てまいりました大事なところですので
簡単に復習しておきましょう
発症度というのは
自分自身や自分の所有物に執着してしまう
迷いの心
すなわち
煩悩を消し去る8つの修行法のことを言い
ますその中の一つに
称名正しい生活というブッダの教えがある
のですがこれは
自分だけにとっての正しい生活のことでは
なく
客観的合理的に見て
正しい生活のことを意味していますつまり
シューマッハはこの教えに基づき貪欲な心
や
嫉妬心をお互いに刺激し合う日常が
本当に人間にとって正しい生活なのかと
疑問を投げかけているのですその上で彼は
仏教経済学の特徴について次のように語り
ます
仏教経済学の根底に流れているのは
簡素と非暴力である経済学者の観点から見
ても
仏教との生活様式は称賛に値するなぜなら
彼らは極めて合理的であり
驚くほど僅の手段で十分な満足を得て
暮らしているからであるところが現代は
生活水準を図ろうとする時
多くの場合年間消費量が尺度となっている
つまりこれは
消費の多い人の方が消費が少ない人よりも
豊かであるという前提に立っているので
あるこれは仏教経済学者からしてみれば
大変不合理なことだ
消費とは人間が幸福を得る上での一つの
手段に過ぎない
理想は最小限の消費で最大限の幸福を得る
ことなのであるはいこれ貯めます
簡単にまとめますと仏教経済学とは
シンプルさと平和を重視しまたわずかな
消費で最大の幸福の獲得を目指している
経済学ですとその立場からすればたくさん
のものやサービスを消費できる人はそうで
ない人よりも豊かであるという考え方は
実に不合理であるというお話でした
確かに毎年発表される世界幸福度
ランキングを見てもGDPの高い国が
上位を独占しているわけではなく
実際には
フィンランドデンマークアイスランド
スイスといった
北欧諸国がずらりと並んでいますつまり
経済規模を拡大すればそれに比例するよう
に人間が幸せになるかといえば
必ずしもそうではないのですただあまりに
消費を抑えると今度は経済が回らなくなる
恐れもありますがこの点について
シューマッハはどう考えていたのでしょう
かさあでは続きを見ていきましょう
唯物主義者は主に物に関心を払うのに対し
仏教では悟りに至ることに関心を向ける
ただ仏教は中道であるため
物質的な豊かさを否定しているわけでは
ない
悟りを妨げているのは
富それ自体ではなくあくまで富への執着な
のであるまた楽しいことを享受することで
はなくそれを焦がれ求める心が
悟りを遠ざけるのであるはいここから止め
ます唯物主義者は
にものに関心を払うのに対し仏教では悟り
に至ることに関心を向けるとありました
つまり仏教では物質的な豊かさよりも心の
豊かさの方を上位に位置づけているという
わけです
確かに世の中には十分な衣食住や健康を手
にしてもそれでもなお心が満たされずに
苦しんでいる方が大勢いらっしゃいます
なぜそうなってしまうかといえば人間の
欲望には限りがなくさらに刺激を与えれば
自己増殖的に新たな欲望を生み出すという
とても厄介な性質を持っているからなの
ですそのためまだ足りないもっと欲しいと
いう気持ちが生じたときは
自分はその対象物に対し
本当に必要性や価値を感じているのかそれ
とも
単なる執着心によって
欲しいと思わされているだけなのかと一旦
冷静な思考を働かせる必要があると言え
ますまた仏教にはどちらか一方に偏ること
を戒める中道という教えがありますその
ため仏教経済学においては
物質的な豊かさを完全に否定したり
極端な節制を求めたりはしないと言います
つまり
心が苦しくなるほど消費を抑えるのでは
なくあくまで自分にとって本当に大切な
ものとそうでないものを見極めるバランス
感覚が大切なのですただ自分に必要なもの
やサービスを得るためには何よりもまず
仕事をしてある程度のお金を得なければ
なりません
自由市場経済学の立場に例えば
仕事によってどれだけの利益が得られるか
が重視されるわけですがこれに対し仏教
経済学では
仕事の意義や役割をどう考えていたの
でしょうかさあというわけで3つ目の
テーマなぜ人は働くのかに進んでいきたい
と思いますでは行きましょう
仏教的な観点からすれば
仕事の役割とは大きく3つある
第一に人間にその能力を発揮
向上させること
第2に他者と共に働くことで
自己基本的な態度を捨てさせること
第3にまっとうな生活に必要な
財とサービスを作り出すことであるはい
ここで止めますなるほど
仕事の役割とは人間の能力を発揮向上させ
自己中心的な態度をなくし
真っ当な生活に必要な
財とサービスを作ることとありました
つまり仏教経済学において仕事とはただ
単に物を作り
利益を生み出すということにとどまらず
自分の資質や能力を向上させたり他者や
環境への配慮を学ばせたりするなど人格を
形成する役割を持っているというわけです
さらに彼はこう続けますもし労働者にとっ
て
仕事が無意味で
退屈で
神経をすり減らすほど辛いものであるなら
ばおそらくそれは犯罪に近いことだまた
人間以上にものに執着することは
慈悲の心が欠けておりあってはならない
ことであるしかしだからといって仕事を
軽んじて
ばかり求めることは人生の基本的な真理を
理解していない証拠である人間の性は仕事
の時間と休みの時間のバランスによって
成り立っているのでありこの2つの関係性
を切り離してしまうと
仕事の喜びも休日の楽しみも失われて
しまうのである人間性は主に仕事を通じて
培われるものだ
インドの哲学者であり経済学者でもある
JCクロマッパは仕事についてこう語って
いる
仕事というものの性質が正しく把握され
実行されるならば
仕事と人間の交渉な能力との関係は
食物と体の関係と同じになるだろう
仕事は人間を向上させ
活力を与えその最高の能力を引き出すよう
に促す
仕事は人間の自由意志を正しい方向に向け
人間の中に住む野獣を手なずけて
良い道を歩ませる
仕事は人間がその価値観を明らかにし人格
をに登場する上で最良の舞台になるだろう
人間は仕事が全く見つからないと絶望に
陥るしかしそれは
単に収入がなくなるからではないのだその
原因は
規律正しい仕事だけが持っている人間を
豊かにし
活力を与えてくれる要素がなくなるからな
のであるなるほど
仕事が人間性を作るとありましたが
もちろんこれは仕事さえしていれば
誰しも活力に満ちた
魅力的な人間になれるというお話ではあり
ませんその仕事が
自分にとって面白くまた意義深いもので
ありさらに成長の実感があることその上で
ワークライフバランスを保ち心に余裕を
持って働くことこれらのポイントを押さえ
て仕事をすることがより良い人格形成に
つながるというわけですただ
自分がどんな仕事を選びどんな働き方を
するべきなのかという問題は決して簡単に
答えが出せるものではありませんなぜなら
その
手前の段階でそもそも自分はどんな生き方
をしたいのかというもっと大きな問題と
向き合い自分なりの結論を出しておく必要
があるからですそこでシューマッハは人間
の生き方を決める上で鍵を握っているのは
教育であるとしその重要性について次の
ように語りますあらゆる資源の中で最も
重要なものそれは
教育である今日人類が
恐るべき危機にあることは疑いのないこと
だがそれは科学や技術に関するノウハウが
足りないからではないそのノウハウを破壊
的な目的で使われてしまうほど
Hが欠けているからなのであるでは
教育に求められているものとは何かそれは
世の中の意味を明らかにし人生の意義を人
に納得させてくれる思想であるそして教育
の役割として求められることは何よりも
まず自分の人生をいかに生きるかという
観念を伝えることだ
ここだと思いますつまり頭の中にたくさん
の知識や理論を蓄えた人間ではなく人生の
意味は目的について
迷いなく確信を持って
自分の性を歩める人間を形成することそれ
が教育の役割であるというわけですその上
で終末波は人間の生き方とは本来どうある
べきかについて
次のように持論を展開します人類は何でも
こなす方法こそ知っているが何をすべきか
を知らないのであるかつてスペインの哲学
者オルテガはこんな言葉を残している
生きるということは
他のことをしないで一つのことをすること
であるなるほど人類は何でも凝らす方法
こそ知っているが何をすべきかを知らない
のであるとありましたつまり現代人は何者
にでもなれるチャンスもあるしそれを実現
するためのノウハウもたくさん持ってい
ますと
けれども結局多くの人はたくさんの選択肢
の前でどれを選べばいいかわからず
途方に暮れているじゃないかと言っている
わけですそこで終末波は
オルテガの言葉を引用し沢山ある選択肢の
中からどんどん絞り込んでいって
自分の道はこれなんだと
迷いなく選択できる強さや賢さを教育に
よって養わなければならないと主張したの
ですそれに加えて彼は現代社会において
人間としての基本道徳が失われつつある
ことも指摘し次のように語ります
キリスト教の長い伝統の中には
知恵正義勇気節制という4つの基本道徳が
あるこれは素晴らしく雪届いた現実的な
教えであるおそらくこれ以上に今日の困難
に対処する上で
役に立つものはないだろう中でも知恵は
あらゆる特目の母と言われるほど意味深い
ものであるなぜ知恵がそれほど重要なのか
といえば
全高をするためには
現実をよく知らなければならないからだ
つまり物事をそれがどんな状態になるかを
よく心得ているものだけが
善をなしうるのであるはいここで止めます
シューマッハは
仏教経済学者ではありましたが
彼自身はカトリックの信者であり
本書では
キリスト教古来の教えについても触れられ
ています
知恵整理
勇気
節制と4つの基本道徳の中で
彼が重視していたのは
知恵という特目でしたなぜ知恵がそこまで
重要かといえばこれがなければ
良い行いができないからだと言います
例えば皆さんは
全く悪気はなくむしろ親切心を持って行動
していたのになぜか周囲から煙たがられて
しまったとかあるいは
良かれと思っていた言葉が
返って大切な人を傷つける結果になって
しまったとかそういった苦い経験をした
ことはないでしょうか人柄の良し悪し善意
のあるなしに関係なく
自分の言動が
相手にとって良いものでなければそれが
裏目てしまうようなケースはよくあるため
本当の意味で良い行いをすることは
なかなか難しいことなのですそこで
シューマッハは
全高を成すには何よりもまず現実を知る
ことだと強調しますつまり
自分が良いと思っているものは
きっと他の人にとっても
良いものであるといった
自己中心的な思い込みを捨て現実をよく
観察し
物事を客観的に捉えることそれによって人
は
偏見のない正しい知識
すなわち知恵を獲得し
初めて全高をなせるというわけですこの
ように本書では経済学のことだけではなく
人間社会坊よりよく生きるためのヒントも
多く書かれています今回の動画で興味を
持ってくださった方はこれを機に手に取っ
てみてはいかがでしょうかはいというわけ
でスモールイズビューティフル以上で
ございますいかがでしたでしょうか今回は
前回紹介しました
ブッダの真理の言葉とそしてオルテガの
大衆の反逆とリンクするようなの紐を選ん
でみました楽しんでいただけたでしょうか
まだご覧になっていない方は
概要欄に関連動画として貼っておきますの
でお時間のある時にぜひチェックしてみて
くださいこの動画が面白かった
参考になったという方は高評価コメント
など頂けますと嬉しいですまたチャンネル
登録もよろしくお願いいたしますではまた
次の動画でお会いしましょうありがとう
ございました