配当も阿波太郎です本日は福田恆存さんの人間この劇的なるものについて紹介を致し
ます
どんな作品かといいますと退屈で悩みの尽きない人生から抜け出すための極意が書かれ
た人間論の歴史的名著です
若いうちに一度は読んでおきたいと言われる大変有名な作品でありますが
特に今の人生に生きがいを見いだせず困っている方
毎日が忙しくて肉体的にも精神的にも疲れきっている方
今やるべきことに集中できない方教育というテーマに関心のある方にお勧めしたい一冊
です福田爪ありさんといえば
文芸評論家翻訳家劇作家として多岐にわたってごかっ
契約をされた戦後日本を代表する言論界分科会の巨人です
またタイトルにあってひときわ目を引く劇的というこの言葉これが本作の最重要のキー
ワードであり人生の喜びそして生きがいを見つけるための大切な鍵になります
一体福田先生はどういった趣旨で劇的という
言葉を用いたのかまたそこからどのような人生のヒントが浮かび上がってくるのか今回
はその手がかりとなる文章をたどりながらみなさんと一緒に紐解いていきたいと思い
ますそれでは参りましょう福田恆存
人間この劇的なるものさまずはこの動画の全体像からお示しいたします
通常は前半に背景知識を入れるのですが今回は特に必要ありませんのでそのまま中身に
入ってまいります具体的には方書の内容を空っぽの自由を欲しがる人間
劇的に生きるとは何かという2つのテーマに分けてお話しをしていき最後に私の国語
教室という福田先生の代表作をもう一つ触れて動画を
を終えたいと思いますさあというわけでさっそく1つ目のテーマ
空っぽの自由を欲しがる人間から見ていきます
では行きましょう今日におけるほど自由という言葉があん気に用いられている時代は
ない
現在における自由とはただ単に嫌なことから逃げるという意味でしか使われなくなって
しまった
労働法
4義務約束秩序規則点灯
過去家族他人こういったものから逃れることを人々は自由と呼んでいる結局のところ
私たちは労働や奉仕が嫌なのである
約束や義務によって縛られたくないのであるしかしこれに対し多くの人は次のように
言うだろう労働そのものが嫌なのでは
今日の社会では労働はただの強制労働に近いものになっており
だから辛いのだと義務も約束も秩序も規則もすべてが一方的でそれを守らなければなら
ない自分と守らせる相手との関係性が対等ではないから苦しいのだと
これらの理由付けは多少とも事実だしかし本当にそれだけだろうか
労働が強制ではなく自発的にのみ存在した時代がかつてあっただろうか
また未来に置いてありうるのだろうか人々は家族や他人からの重圧から解き放たれその
先に何を求めているのか
また何を得たというのかおそらく人々は何も会はしなかった
いやそもそも何も求めていなかったのだらしいていい
言えば自由そのものを求めていたのである何かをしたいための自由ではなく何かをし
ないための自由をはいここで留めますなるほど
要するに多くの人は自由になりたいとは言ってるけれど実はその言葉の裏には
プレッシャーから逃げたいとか
ストレスを避けたいとか働きたくないとか何もしたくないと
がそういった消極的な気持ちがあるんじゃないでしょうかと
ただ何かをしないための自由を手に入れたところで何も得るものなんかありませんよと
なかなか手厳しいことをおっしゃってるわけです
もちろんこれは自由そのものを否定しているわけでもなければ自由になりたがる人を
ダメだと言っているわけではありません自由という言葉は本来ものすごく深くて
重たい意味を持つものなのにそれが世間で安っぽく使われている現状を投げているの
ですところで皆さんはロシアの文豪ドストエフスキーの悪霊という作品をご存知
でしょうか
ここにはキーロフという人物が出てくるのですが彼は何かに縛られることが大嫌いで
すべての物事を自分で決めなければ気が済まないという
いわば自由思想の権化みたいな男なのですそして彼は自由を追い求め続けた結果
なんと自ら命を絶つという筋肉な結末を迎えることになります
なぜそんなことになってしまったのかそれはキリーロフ自身が自分の子のタイミングを
偶然に委ねるのではなく自分で決めたかったからです
もしかしたら本人はそう
俺でよかったのかも知れませんですが見方によっては極端な自由への憧れが彼を死に
追いやったという解釈もできます
自由とは一体何なのかまた人類はそれを手にすることで本当に幸福になれるのか
キリーロフの子は自由という言葉が持つ本当の意味と向き合う
根本的な問いを投げかけているのですそして福田正
西は自由についてさらに深掘りし次のように述べます
私たちは自由など求めていない本当に望んでいるのは
ことが起こるべくして起こっているということだそしてその中で自分が一定の役割を
務め今なさねばならぬ事を自分が行っているという実感なのだ
何でもしてい何でもできる
こんな状態など干してなどいない舞台の上で快感を与えてくれるのは本りんの個性でも
なければ何をしてもいいという自由でもない
一定の役割とそれを自分が成さねばならないという必然性なのだ
はいここで留めますまず今の part で注目していただきたいのは
役割という言葉と必然性という言葉です
まず役割というのは社会とか組織とか何らかの大きな枠組みの中で割り当てられ
成し遂げなければならない務めのことを意味しています
例えば営業マンであれば会社という大きな枠組みの中で a
今日ノルマという個々人に割り当てられた目標数字を達成することがその役割である
わけですそしてもう一つのキーワードが必然性です必然というのは偶然の反対の言葉で
あり必ずそうなると決まっていることを意味していますつまり話を整理しますと
自分は今この舞台でこういう役割を任されていてこういった期待をされて
だからこの仕事は私がやるしかないんだというような強い使命感を人は求めていると
いうわけですその一方で果たすべき役割もない演じるための舞台もないという状態は
短期的にはストレスから解放されるものの次第に無力感や孤独感が高まって行き帰って
しんどくなるのですこのような点を踏まえ福田先生は本書
で自由について次のように結論付けます私たちが欲しているのは自由ではない
宿命である人間は自分が宿命のうちにあるという近くにおいての日初めて自分が自由で
あることのハツラツさを味わえるのだ
いかがでしょう要するに人間が欲しくてたまらないのは自由そのものじゃないんですと
この舞台の上でこの役をやり遂げるのは自分しかいないんだという強烈な使命かつなわ
ち宿命を求めているんですと
そしてその宿命がどんなものであっても真摯に向き合い続ける中でようやく私たちは
自由という感覚を味わうことがあった
できるというわけですさあ一つ目のテーマはここでおしまいですでは続いて二つ目
劇的に生きるとは何かというテーマに移ります
では行きましょう自然のままに生きるという言葉はひどく誤解されている
もともと人は自然のままに生きることを望んでもいないし
それに耐えられもしない程度の差こそあれ誰しもが
何らかの役割を演じたがってそれゆえ自分以外の人間に何らかの役割を演じさせなけれ
ばならないこともあるし時には舞台から降ろさないといけないこともある
つまりこの世界という舞台において私たちは多少なり自分を偽らなければならないのが
しかしこんなことをいえば多くの青年は嘆くだろう
ありのままの自分を付
うまい個性を伸ばすことが大事なんだとそう言いたいだろうだが私の目には青年たちが
それぞれの個性を自然のままに生かしているようには見えない
ただ単純に青春の個性というありきたりな役割を演じたり演じ違ったりしているのでは
ないだろうか
補正などというものを信じてはいけないもしそんなものがあるとするならば
それは自分が演じたい役割にすぎないのだはいここで留めます
なるほど人間一人ひとりに個性が備わっているのではなくてただ何らかの役を演じたり
演じ違ったりしているのだと言う
大変興味深いご指摘です例えば私たちの身のまわりにいる威厳のある人ユーモアのある
人気遣いの出来る人
仕事
のできる人彼ら彼女らの性格特性や醸し出している雰囲気というのは本人のありのまま
の個性がにじみ出たものではなくて何らかの役割を演じようという意識によるもので
あるというお話ですただ言うまでもなく現実の世界は芝居の世界とは違います
皆それぞれに社会からの理想の役割を与えられ
さらにその役割を個々人が満足のいくように演じることができているかというと必ず
しもそうではありません
さあこの点について福田先生はどのようにお考えなのでしょうか
では続きを見ていきましょう現実の世界で私たちは主役を演じることができない
いや誰もが主役になりたいと願っているとは限らないしその能力に恵まれ
出るわけでもないまた生きる喜びとは主役を演じることを意味しないし
脇役でもそれが役であれば構わないドラ近しい私たちは日々の労働によって築かれて
いる
たまには生き生きとした自然を眺め癒されたいと思う
長い雨の後たまたまある朝美しい青空にメグリア
だが私たちは機
の光をしみじみと味わってはいられない仕事があるのだ
ある者は北向きの事務所に出かけて行きそこで週日過ごさねばならないその挙句に待っ
ていた休日にはまた雨である親しい友人を訪ねて
のんきな話に半日過ごしたいと思う時があるしかし彼のもとに行ってみると留守である
そして孤独でありたいと思うときに彼
は行ってくる愛情は裏切られ憎しみは頂点され悲しみは間明され喜びは邪魔される
私たちの社会生活は複雑だそして複雑になればなるほど自分で自分の役を選び取ること
ができなくなる
またそれを最後まで演じきって去って行くこともできない私たちの行為は全て中途半端
な弾
年で終わるそして断片から他の断片やと移っていくのである
つまり未来とは現在が中断されることでやってくるのだ現在の中断によって訪れる未来
など誰も望んではいない
私たちは今自分の目の前にある現在を完全燃焼させてから前に進み
未来を受け取りたいのが入っ心と思います
誰しも父親の約母親の役上司の約
学生の役といった何らかの役割を日々の生活の中で演じているけれど最後まで演じきれ
ないのが現実じゃないでしょうかと
病気やけが自然災害組織の都合
他人の感情こういったよくせることに私たちはいつも予定送る
はされ振り回されやりきれない毎日を送っているんですとそのようにおっしゃっている
わけです完全に燃焼しきれない日々は過去への恨みや公開
そして未来への絶望を生み出しやがて人々から生きがいを奪っていきますそこで福田
先生はこの問題に対する処方箋として劇的に生きるという言葉を挙げ次のように述べ
られます
駅的に生きるということそれは自分の生涯をあるいはその一定の期間を1個の芸術作品
にしたで上げたいということに他ならない人間にこの欲望がないのなら
芸術などというものは存在しなかっただろう人間はただ生きることを望んでいるのでは
ない
生きることと同時にそれを味わうことを干してい
野田はいここで留めます最重要キーワード劇的
次に出てまいりましたまるで映画や芝居のような完璧で美しい出来事を目の当たりにし
たとき私たちはそれを劇的であると表現しますおそらく皆さんもスポーツニュースの
見出しなどで劇的なゴールとか
劇的なサヨナラ満塁ホームランといった言葉をこれまで何度もメニュー
したことがあると思いますでは劇的に生きるとはいったいどういった意味なのでしょう
か
先に結論から言ってしまいますと過去でもなく未来でもなく現在の日に集中して生きる
ということです
ただそれだけ聞いてもあまり腹に落ちてこないと思いますので
まず今皆さんの目の前に大きな舞台があってそこで役者さんが何かを演じ
テール姿を思い浮かべてみてくださいではここで質問です
舞台上の役者さんが演じているのはある特定の人物の過去の姿
現在の姿それとも未来の姿でしょうか
さあどれでしょうそうです答えはもちろん現在の姿です
もっとハッキリ言ってしまえば舞台の上には基本的に現在という時間しか流れてい
ません仮に過去の改造シーンがあったとしてもそれは現在にスポットを当てるための
布石であって
あくまで演劇は現在という時間がその場を支配しているのですまた役者さんは何度も
傾向を行い
決められたセリフと行動を叩き込んで物語の筋書き
すなわち未来を完全に知り尽くした状態で2位
の上に立つわけですしかし実際に演じる時はその行動もそのセリフも今まさにその瞬間
に生まれたかのように振る舞わなければなりません必ずこうなると定められた運命
その中で自分が求められている責務を全うし現在という時間を完全燃焼させそれこそが
役者さんが舞台上で
行っていることでありその積み重ねが劇という作品を作り上げているのでそして福田
先生はこういった演劇のあり方を人間としての生き方になぞらえ劇的に生きると表現し
ば車
それはつまり今自分がなすべき役割を与えられるのを待つのではなく自らの意思で
選び取り
それを演じきってみせること
たとえどんな未来がこれから先に待っているか自分自身が一番よく分かっていたとして
もその宿命と対峙しどこまでもあがき続けることなのですそれによって今まで見えてこ
なかった自分だけの部隊が浮かび上がり
私たちは劇的な性を生きることができさらにその中で生きがいを味わうことができるの
だというわけです
ここで本書に関する解説はおしまいですでは最後に福田先生がこれだけは読んでほしい
と訴えた伝説の名著私の国語教室を簡単に紹介させていただきますこれを聴いて
いただくと人間この劇的なるものの中で福田先生がやたら言葉にこだわっていた理由や
劇的に生きるということの具体的な夢
医師が自然と見えてくると思いますまず先にどんな作品か結論からお伝えしますと第二
次世界対戦直後に当時の文部省が主導した
国語改革を痛烈に批判した福田先生の代表的著作です国語改革というのは日本語より
シンプルにより分かりやすい言葉に変えていこうという国の言語数
政策のことです例えば皆さん昔学校の授業で先生が黒板に体ふてふと書いてこれなんて
読むかわかりますかと昔の人はこれを象徴と呼んでいたんですと習った記憶があるので
はないでしょうか
このテフテフのように言葉と音が一致していない昔の仮名遣いを歴史的仮名遣い度言い
ます
日本を代表する文豪たちの作品や古典の授業で習う作品に現代人が読みにくさを感じる
のは何も歴史的仮名遣いによって書かれているからなのです
一方私たちが普段使っている日本語は言葉と音が一部の例外を除きほぼ一致している
現代仮名遣いと呼ばれるものになります実はもともと幕末明治あたりからそういった子
鳥羽の単純かといった流れ自体があったのですが名だたる分学者や知識人たちが日本の
文化や伝統を守るためにそれをせき止めていたという背景がありますところが第2次
世界対戦が終わるとその混乱期に乗じて当時の文部省は動き出しましたそして日本の
近代化が諸外国に後れをとったことや国民の生活が混乱している
ことの原因は日本語の複雑性にあるのだと言ってかつてないほど強烈な勢いで国語改革
を推し進めていったのですその結果これまでこの動きに反対していた知識人たちも
さすがにもう無理だと口を正し
もはやこの流れは誰にも止められないという状況にありました
しかしそんな中毅然と立ち上がり待ったをかけた人
打つそれが福田恆存さんだったわけでそして国が推し進めている
現代仮名遣いの矛盾と彼らの主張を徹底的に論破しさらに先人たちが護ってきた歴史的
仮名遣いの論理的な正しさを訴えたのですただ当時の状況としては海底賛成派が
ほとんどであり
福田先生がどれだけ筋の通った主張を展開しても
その空気を変えることはできませんでしたさらに改定賛成派として日本言語学の重鎮
金田一京助という最大の壁が立ちはだかる業者は激しく衝突することになります
歴史的仮名遣いかそれとも現代仮名遣いか2つの巨大な知性が火花を散らしたこの歴史
的事件は後に福田金田一論争とよ
われ世間の注目を集めることになりますしかし5回にも及んだ彼らの論戦は最終的に
決着はつかずそれから4年後に福田先生は起死回生のいってとして私の国語教室を発表
そして全国の作家学者編集者
国語教師などを対象にどうかこの本だけは読んでください
私の他の本は
読まなくて構わないただこれだけは読んでくださいと訴えたのです
そして歴史的仮名遣いが日本語の政党表記としてふさわしいという根拠とそれを失う
ことのリスクについて具体例を挙げ丁寧
論理的に主張を展開しましたさらに言葉はただの伝達ツールではなく国の文化を根底
から支えている財産であり
文字それ
を放棄してしまえば先人たちが血の滲む思いで守ってきた文化も声音庶民が親しんでき
た数々の素晴らしい個展も読まれなくなってしまうとその切なる思いを本書に託したの
ですしかし人間ただ1人がどんなにあがいたところで一度回り始めた歴史の歯車はもう
止まることはありませんでした
かつての国語は遠くへ押し流されていき現代仮名遣いという新たな言葉が正当な国語と
して社会に定着することになったのです
その結末が果たして悲劇となるのかそれはまだ分かりませんが少なくとも日本の言葉と
文化を守ろうとたった一人で巨大なうねりの中に飛び込み
毅然と立ち向かっていた福田先生は
朝に劇的な性を生きた人そのものだといえます
自分にとっての宿命役割そして生きがいとは何だろうか
今回の作品をヒントリーその答えを探して見ていただければ幸いですはいというわけで
人間この劇的なるもの
以上でございますいかがでしたでしょうか以前シェイクスピアの4大悲劇
ファブレットを紹介しましたが覚えて
いますでしょうか主人公のハムレットはどうしようもない宿命の中でもがきながら自分
が納得のいく劇的な整備を求めた
まさに典型的人物でありました今回の作品を読む前に
ファブレットを知っておくとだいぶ読みやすくなるのでこのチャンネルの動画
もしくは福田先生が翻訳を手がけているハムレットをご参考にしてみて頂ければと思い
ます
ただ
劇的なるものは入試の現代文に出てくるようなちょっと固めの評論文です
なのでもし抵抗があるという方は私の幸福論という作品をファーストステップとして
読んでおくことをおすすめします語り口が優しくてとても読みやすいですあと今回の
テーマに関して言えば
エーリヒフロムの自由からの塔
そうとも通じる部分がありましたのでまだご覧になっていない方は併せてチェックして
いただければと思います
この動画が面白かった参考になったという方は高評価コメントなど頂けますと嬉しい
です
またチャンネル登録をよろしくお願い致しますではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました
[音楽]