【名著】武士道|新渡戸稲造 読むほどに、あなたを強く、美しく。 ~The Soul of Japan~

 

 

配当も甘太郎です本日は明治から昭和に
かけて活躍しだしそうか新渡戸稲造の武士
道を紹介いたしますどんな作品かといい
ますと日本古来の道徳体型や市総合世界に
知らしめた古典的名著です日本の文化思想
歴史に興味のある方はもうもちろんのこと
強くて折れないしなやかな心を身につけ
たい方
自分の価値観に基づいた自分らしい人生を
模索している方品性を磨き美しく年を重ね
ていきたいという方にぜひ手に取って
いただきたい一冊です武士道とは一言で
言ってしまえばさ村井が守るべき道徳規範
のことを指しています
そのため現代人の私たちが読んでもあまり
意味がないのではと不安に思われた方も
いるかもしれませんしかし武士道の精神は
今なお日本人の性格価値観物事の判断基準
などにも影響を及ぼし続けているためだ
自分を知るいわば原点回帰の書として一度
はしっかりと読んでおきたいコ店舗言え
ますまた著者である新渡戸稲造
彼は勝つで五千円札の肖像画にもなって
おりおそらくご存知の方が大半かと思い
ますしかしその知名度とは裏腹に彼の人生
や思想
またどんな経緯や目的を持って武士道を
書いたのかといった詳細については意外に
知られていませんそこで今回は作品の背景
にあるストーリーについても紹介し分指導
を全くご存知ない方だけではなく既に読ん
だことがある方にとっても楽しめるような
構成でお届けして参りたいと思いますお茶
でも飲みながらリラックスしてどうぞ最後
までお付き合いくださいそれでは参り
ましょう新渡戸稲造
武士道
さあまずはこの動画の全体像からお示し
いたしますはじめに背景知識として著者に
ついて簡単に紹介しその後本書の内容某
知識よりも大切なこと人間的魅力を作る
徳目
武士道の究極の理想という3つのテーマに
沿って進めてまいりますさあでは早速背景
知識から見ていきましょう
新渡戸稲造
彼は1862年現在の岩手県盛岡市に誕生
しましたその数年後明治維新が起こり武士
の世が終わりを告げようとしている中に
留めが進んだのは学問の道でした13歳の
時になると政府直轄の東京 a 学校に
入学
そこでは主に英語を学びまた外国人講師と
の交流によってキリスト教への関心を持ち
始めますその後祖父の代から引き継いでき
た開梱事業を学びたいという思いから
東京 a 学校を自主退学
say877年現在の北海道大学の前身で
ある
札幌農学校の第2期生として進学します
札幌農学校といえば
青年8大志を抱けという言葉で有名な
クラーク博士が初代教頭を務めたことで
知られています彼は農業教育の第一人者と
して日本政府から招かれ植物学や英語など
を担当
さらにはキリスト教に基づく道徳教育を
行い生徒たちが自らの良心に従い自発的に
責任ある行動がとれる人間になるよう指導
したといいますプラーク博士の滞在期間は
短く2期生が入学する頃には母国アメリカ
に帰っていましたしかし彼が残した思想は
学内に受け継がれていき
新渡戸を含む7名の生徒た家が洗礼を受け
その生涯をキリスト教徒として生きること
になりますその中には後に世界的ベスト
セラー
代表的日本人を発表したキリスト教思想家
の内村鑑三
さらには植物病理学の先駆者として知ら
れる宮部金吾などがいました彼らは札幌農
学校の3秀才と呼ばれやがて生涯の親友と
いう関係に発展していきますしかしこの頃
から新渡戸は視力が低下し
思い元病を発症
その不安と焦りからうつ病までも併発して
しまいますそんな中病気の息子を心配する
母から一通の手紙が届き彼は地元盛岡に
帰ることを決めます9歳の時から実家を
離れて暮らしていたためその再開は実に
10年ぶりでした深い愛情等優しいさで
包み込んでくれたこと世のため人のために
生きなさいと教え諭してくれたことを幼い
頃に刻まれたかすかな母の記憶
それこそが新渡戸の孤独を支え勉学の原動
力となっていましたっっしかし息を弾ませ
て帰京した彼を待っていたのは妻居合の母
の亡骸でしたふーんなことにに止めは数字
つ前に発せられていた母危篤という電報
トイレ違う形で盛岡に向かっていたのです
孤独な青年を襲ったあまりにも大きすぎる
悲しみ
これによってうつ病はさらに悪化し心に付
深い影を落とすことになります
そんな中親友の内村鑑三から一通の手紙が
届きます
そこにあったのは母の死によって深く
傷ついているともへのいたわりと励ましの
言葉でしたこれをきっかけにに止めは病気
の治療のために東京に出ることを決意
さらに横浜で再会した恩師から
後に座右の書となる一冊の本を譲り受け
ますそれがイギリスの歴史家トーマス
カーライルの衣装哲学
新渡戸は人生で30回ほど本書を精読し
自らの人生哲学を築き上げたと言われてい
ますこのようにして彼はかけがえのない
友人と品の助けを得ながら
生涯最大の悲しみを乗り越えていったの
です
1883年健康が回復した新渡戸は東京
大学に進学することを決めます
入学面接の際志望理由を問われると彼は次
のように答えましたわれ太平洋の橋となら
これは新渡戸稲造が残した名言の中でも
最も世に知られているものの一つです
つまり彼は
世界中の国々がそれぞれの文化や思想を
認め合い友好関係を築けるような橋渡し役
を担いたいと宣言したのです数年後に止め
はその壮大な夢をかなえるため海を越え
アメリカドイツへと渡り
農政学経済学文学など長女日本に帰国
そして母校である札幌農学校の教授として
迎えられますしかしあまりに多くの仕事を
抱え込んでしまったことさらには生まれた
ばかりの子供を失うといった不幸に見舞わ
れたことなどが災いし再び体調ががそこで
彼は療養にせ年するためすべての仕事を
止め再びアメリカに渡ります遠い異国での
暮らしは新渡戸に深い内省の機会を与え
ました耐え難いほどの苦しみと悲しみに
満ちた人生
その中ですり減らし続けた肉体と精神
それらと真摯に向き合いこれからどうの
ようにして生きるべきかと何度も自らに
問い続けたといいますそんなある日のこと
頭の中に数年前の記憶がふと蘇ってきまし
たそれは留学先で出会ったベルギーの法学

ラブレー教授との会話でした sanpo
しながら彼は次のように尋ねましたが日本
の学校では宗教について学ぶ機会がないの
ですかこれに対しに止めがそのとおりです
と答えると
ラブレー教授は急に足を止め驚きを隠せ
ない様子で次のように言いました宗教を
教えないではあなたの国ではどうやって
若い人たちに道徳教育を授けているのです
かりと目はこの単純な問いに即答できず
がくぜんとしました宗教も道徳も確かに
学校では教わらないでは日本人は一体何に
基づいて物事の善悪を判断しているのか
療養中であった新渡戸はラブレー教授との
会話の一部始終と当時の感情をありありと
思い出しこの疑問に対する答えが得られて
いないことに気がつきましたそれと同時に
日本人の一人として今こそ我が国の道徳
規範を作り上げているものを明らかにし
たいと思えるような使命感が湧いてきたの
ですそして1899年彼は米国
フィラデルフィアより1冊の本を発表し
その答えを示すことになりますタイトルは
武士道ザソウル6ジャパ
数々の苦しみや悲しみを乗り越え紡ぎ出さ
れたこの作品は出版からわずか数年のうち
にドイツ語フランス号イタリア語などに
翻訳され世界的なベストセラーとなります
これを契機に活力を取り戻した新渡戸は
京都大学や東京大学などの教授職を歴任し
晩年には国際連盟の事務局次長に抜擢され
ますそして1933年71歳で8去るまで
日本と世界を結ぶ架け橋として国際平和の
ために働き続けたのですそう
背景知識はこれでおしまいです
ここまでよろしいでしょうかでは以上の
内容を踏まえましていよいよ武士道の中身
に入っていきたいとおもいます一つ目の
テーマは知識よりも大切なことですでは
行きましょう
武士道はわが国の象徴である桜と同じく
日本の国土に咲く子ユーロからであるそれ
はれ生地の標本室に保存されているような
古めかしい同族ではない今なお力と日の
対象として私たちの心の中に生き続けて
いるのである星が守るべき起きてあるいは
道徳原理を我々は武士道と呼んでおりその
源泉は複数存在しているまず第一に挙げ
られるのが仏教である仏教は運命を穏やか
に受け入れ静かに従う心を与えた具体的に
言うならばどんな危険や災難が身に
降りかかるローと常に心を平静に保ち生に
執着しないことをサムライに教えたので
ある第二の源泉は日本古来の浸透である
主君に対する忠誠
祖先に対する尊敬
親に対する抗更新こういった考え方は何も
神道の教義によって武士道に伝えられた
また名a を大切にしていた侍たちは時に
傲慢さを見せることもあったが浸透が
重んじていた忍耐や謙譲の心によってそれ
を抑えていたのであるそして武士道の第3
の源泉は儒教である武士道の道徳的協議に
関しては中国の思想家である講師の教えが
最も湯魚源泉となっていう冷静かつ温和で
ありしかも処世術に長けていた講師の政治
道徳は統治支配階級にあった侍にとって
とりわけふさわしいものであったさらに星
通り牽引をもたらしたのが同じく中国の
思想家申し出ある彼の民主的な理論は危害
や思いやりのある人には特に疲れていただ
がそれは当時の封建的な社会秩序破壊する
危険思想としてその書物は長い間金賞とさ
れていたにもかかわらず侍たちは帽子と
もう氏の著作を人生の教科書とし議論の際
には最高の権威としてそれらの言葉を引用
していたのであるしかし論語読みの論語
知らずという言葉もあるようにこの2人の
古典をただ知識として知っているだけの人
は注意から尊敬を得られずむしろ軽蔑の
対象となっていたなぜなら武士道が重んじ
ていたのは知識よりも行動だったからで
あるこの考え方は中国の思想家を8名が
捉えた事故を合一すなわちあらゆる知識は
具体的な日々の行動と一致させなければ
ならないという教えから来ているのである
はいここで留めます
なるほど武士道とは日本古来の道徳原理で
ありさらにそれをさかのぼっていくといく
つかの東洋思想に行き着くというお話で
ございましたではいったん内容を整理して
おきたいと思います気持ち余裕がありまし
たら画面の方をご覧下さい左の図にお示し
しているように武士道は侍たちが戦いの中
で自ら編み出したものではなく仏教神道
儒教といった東洋思想がその源流となって
います具体的には運命に争わないことを
聞きや参加でも平常心でいること勢に執着
しないことは仏教の影響
主君への忠誠心や親を敬う態度は神道の
影響
道徳的な協議に関しては
孔子と孟子が説いた儒教がベースとなって
おり知識よりも行動を重んじる思想は王
陽明の知行合一
という教えから来ているという内容でした
このように新渡戸は冒頭で武士道のルーツ
を示した後その道徳体系を7つの徳目に
分けて整理していいますでは順番に見て
いきますので引き続き画面の方をご覧
下さいまず1つめの徳目は木です
木というのは星の精神の礎ともいうべき
重要な徳目の一つで人としての正しい道の
ことを指します
具体的に言いますと卑劣な行動
不正を働くなその振る舞いは人として
正しい道から外れたものとして軽蔑の対象
と乱されますまた自分がなすべきことを
正しく判断できる力もこの徳目に含まれて
います例えば今自分の目の前で明らかに力
の強そうな人が自分よりも弱そうな人を
いじめていたとしますこの時に対岸の火事
として見て見ぬふりをするのかそれとも
注意をする形助けを呼ぶなりその人を守る
ための行動をとるのかこの場合どっちが人
として正しい選択なのかということを判断
するためには木という徳目を備えている
必要があるのですただそういった気に
基づいた人としての正しい判断ができたと
してもそれを行動に移さなければ目の前の
現実が変わることはありませんつまり木と
いう徳目一つでは不十分でありそれに加え
てもう一つの徳目をセットで備えておく
ことが重要なのですそれが2つ目いうです
言うというのは木と双子の関係にあると
言われている徳目で自分の正しさを実行
できる勇気のことを指しています皆さんは
こんな言葉を聞いたことがないでしょうか
義を見てせざるは勇なきなりこれは論語に
記された有名な言葉で正しい行いだと
わかっていながらそれを行動に移せないの
は勇気がないからであるという戒めの意味
を込めた孔子の教えですただ誤解しないで
いただきたいのですが武士道における勇気
とはどんな危険も顧みず果敢に飛び込むと
いうことではありません自分なりの正しさ
果たすべき人としての道
それらを理解した上で勇気を絞り出すと
いうことが重要なポイントなのです水戸藩
第2代藩主徳川光圀は無事に必要な勇気に
ついて次のような言葉を残しました生きる
べき時は生き死ぬべき時にのみ死ぬこと
それが真の勇気であるつまり死に値しない
もののために死ぬことは犬死であり生き
なければならない時は何があっても生き
なければならないのです
その上で新渡戸は勇気が備わった人間の
特徴について次のように語っています神に
勇敢な人間の心は常に穏やかでや何にも
驚かされず誰によっても精神が乱されない
そのようなものは戦場りあっても冷静で
ある破壊的な大惨事の中であっても
落ち着きを保っている自身にも動揺せず嵐
の中でも笑みを浮かべたとえ命に危険が
迫っていても詩を詠み歌を口づサムことが
できる作り出す文章吐き出す言葉そこには
寸分の乱れも迷いもない我々はそのような
人物こそ称賛に値する偉大な人物と考える
のであるはいここで留めます
なるほど言うという徳目が備わると心の
余裕としてそれが表に出てくるというお話
でした
実際に優れた武将たちは合戦の最中でも
相手と即興で歌を詠み会えるほど常に心の
余裕があったと言われていますもちろん
そういった精子んわー一朝一夕に身に付く
ものではありませんそういった徳目の価値
を理解し実践している人間から教育を受け
さらに本林がいくつもの試練を乗り越える
ことで磨かれていくのですただ強い正義感
とたくましい勇気を備えていることは
あくまで侍としての基本条件でありそれに
加えて人に対する接し方や態度についても
高い品性が求められていました
それが今から紹介する
人で誠といった徳目になりますさあという
わけで2つ目のテーマ
人間的魅力を作る徳目に移りその内容を
詳しく見ていきたいとおもいますでは行き
ましょう
人間の魂が持つあらゆる性質の中で最も
気高い王者の特それが神である愛すること
肝要であること哀れむこと真のリーダーに
はそのような心が求められるのでやかつて
イギリスの劇作家シェイクスピアはこんな
言葉を残した慈悲は王冠より優れた君主で
あるまた孔子や孟子も民を治める者が必ず
持たればならない最高の特として神具を
挙げている武士道とは強さや勇気のみで
語られるものではない自分より弱いモロ
争いに敗れたものを虐げられてるものを
哀れみ情けをかけられる人間こそ真の侍
などだではこの人の徳目を備えた一人の
日本人を紹介しよう我が国の美術に明るい
ものであればこの海岸に見覚えがあるはず
だ後ろ向きの状態で馬の背にの一人のソ
この男かつてその名を口にするだけで人々
を震え上がらせた侍そのなお熊谷直実と
いう日本の歴史上激戦の一つに数えられる
須磨の浦の戦いこの合戦の中なおざれば服
を上げるため辺りを見回して気を探してい
たすると馬に乗ったまま沖の船へと
逃れようとする一人の武者を見つけたその
男は立派な鎧兜家たちを身につけていた
ため位の高いものであることは一目瞭然で
あっ直実は叫んだ敵に背を向けるとはなん
と卑怯なことかするとその6車直実の言葉
に反応しすぐさま離陸に引き返した両社は
1級地となったが直実は軽々と相手を
組み伏せたこのような場合戦いの礼儀とし
て自分より身分が高い相手かでき量が同
程度のあ行けてなければ血を流さずに
済ますことが作法であったしかしどれだけ
名を名乗れと問いかけても相手はそれを
かたくなに拒んだそこで容赦なく兜を
剥ぎ取ると直実は絶句したそこにあったの
はまだあどけない表情を残した10代半ば
の美しい青年の姿だったのでやなお戯れは
若者を助け起こしたそして父親が子供を
諭すようにこういった潤愛四球はかどのよ
この熊谷の刀をあなたの血で染めるわけに
はいきませんさあ的に見つかる前に早くお
逃げになってくださいしかし若武者は
逃げることを拒んだそれどころか二人の
名誉のためこの場で自分の首を切ってくれ
と頼んだのであず常に光るこおりのやいは
しかし強靭な腕も勇猛なぁ心も震えていた
この時直実の頭の中をよぎったのは我が子
の姿であった彼の息子もまさにこの日
ほら貝の合図と共に初陣を飾っていたので
ある屈強な侍は必死に感情を押し殺し今
一度お逃げくださいと懇願したしかし若者
は首を横に振るだけだったやがて味方の
軍勢が地響きを立てながら50基ほどお
知らせてくるのが分かったもはやここまで
です名もなき人間に打ち取られるよゐこの
なお戯れがを命を頂戴しあなたの死後のご
供養をいたしますその瞬間空中に白人が枚
あたりは若武者の血で赤く染まった戦が
終わるとなお戯れは凱旋した大きな武勲を
手にしたが彼にとって栄養や褒章などを早
何の価値もなかった直実は偉大な侍として
の名前を捨て出家という道を選んだそして
仏道修行に明け暮れながら静かに余生を
過ごしたのであるはいここで留めます王者
の徳目と言われる子これを説明するに
あたり新渡戸は熊谷なを札と若武者との
やりとりを引用しましたとても印象的な
内容でしたがおそらくみなさんどこかで
一度聞いたことがあるのではないでしょう
か実はこちら源氏と平氏との闘いを描いた
個展平家物語の名場面の一つになります
また室町時代になると2人のやりとりは
世阿弥の手によって能の演目にもなってい
ます若武者の名は平敦盛いわば平家の象徴
的人物になりますそして源氏側にいた直実
が敦盛を打ち破る際に見せた武士の情け
こそ王者にふさわしいと9人の数精神なの
ですもちろん技術や力が優れていること
自分の正しさを合理的に説明できること
臆することなく行動できることなども
リーダーに必要な条件と言えますしかし
直実が見せたような的にすら敬意を払い錠
をかけられる人間としての器があってこそ
多くの人に慕われ尊敬される以来な
リーダーになれるのです続いて4つ目の
徳目礼についてお話をいたしますこれは
簡単に言いますと人を思いやる心とそれを
表に示す作法のことを意味していますもし
かしたら礼儀作法と聞きますととても
きめ細かく面倒に思われる人もいるかも
しれませんしかし一定の決まった作法は
極限まで無駄が省かれており余計な時間と
労力がかからないよう工夫されているの
ですまた日本人は無駄のないシンプルな
物事を美しいと感じる繊細な感性を持って
おりそれを芸術にまで高めたものがに
ほんの誇る文化茶道だといいますお茶の
思想については過去に岡倉天心の茶の本の
動画で詳しく紹介しておりますさてこの例
という徳目を実践するにあたって本書では
一つ注意点を挙げていますそれはうわべ
だけで礼儀作法を行うのではなくそこに
必ず孫子幌を込めるということですつまり
礼を尽くすべき相手に対し嘘やごまかしが
あってはならないというわけですそこで
必要になってくるのが5つ目の徳目誠です
独眼竜で知られる戦国武将伊達政宗れ彼は
生前次のような言葉を残しています度が
過ぎた例は屁辛いであるつまり相手に
気に入られるために必要以上に礼を尽くす
のは真の心を持たない人間すなわち卑怯者
がやることでやって星とは呼べないという
わけですまた嘘をついたりごまかしたり
する行為はその人自身の心の弱さの表れで
あり自分の価値を貶めるものとして軽蔑の
対象となっていましたそのため武士に二言
はないという言葉にもあるように侍道4の
約束事は原則口頭のみで行われ現代のよう
に経営区長を取り交わすことはなかったと
いいますなぜ誠を貫くことを極端なほど
重視していたのかと言いますと彼らには
自分の命よりも大切な価値観があったから
ですそれが6つ目の徳目名誉です名誉と
いうのは武士としての誇りのことであり
それを支えていたのが恥という感覚でした
侍たちは幼少期に人前で恥をかくことは
悪いこと恐ろしいことであるという感覚を
徹底的に叩き込まれていました例えば
こんなことをしたら笑われる名前が汚れて
しまうといった言葉を指導する際に用いる
ことで端の感覚を覚えさせていたわけです
つまり自分の命以上に名誉を重んじる
サムライ特有の性格はこういった端の教育
によって作られていたのですそして最後7
つめの徳目が中期ですこれは簡単に言い
ますと国あるいは主君に対して忠実である
ことを指していますもちろんここでの忠義
というのはただイエスマンになることでは
ありません殊勲のご機嫌を取るために自分
の両親を曲げてしまう人あるいは媚
へつらったりする人はもってのほかで武士
の風上にも置けないと軽蔑の対象となって
いましたシュウ君が間違っていると思っ
たら可能な限りの手を尽くし
場合によっでは自分の命をかけて過ちを
正すそれがサムライに求められる中木の
精神だったのですさてここまで星に求め
られる7つの徳目について見てまいりまし
たもしかしたら皆さんの価値観にも影響を
与えているようなものがいくつか見つかっ
たのではないでしょうかそれでは最後に
武士道の究極の理想と題しまして新渡戸が
本作を通して伝えたかったメッセージに
ついてご紹介いたしますでは行きましょう
分指導にとって刀とは魂と武勇の象徴で
あった
そのため扱い方だけではなく扱うべき時と
場所をわきまえておかねばならなかった
必要もないのに刀を振り回すモロは卑怯者
あるいは臆病者と呼ばれ蔑まれていたので
あるわが国の歴史において極めて重要な
幕末から維新にかけての激動期に勝海舟と
いう男がいた当時は暗殺や自殺など
血なまぐさい事件が日常的に起きていたの
だがそんな中彼は独裁的な権限を持つ立場
にありいくどとなく暗殺の標的にされてい
たしかし勝海主はその生涯において自分の
拳を他人の家で濡らすことはなかったのだ
記録によれば彼らは友人に次のように語っ
たといわれている私は人の命を奪うことが
嫌いだ
どんな人間だろうとミランにがして放って
おいたこんな時代にまだ生きていられるの
も罪のない人を斬って来なかったから
だろう腰に差している刀は上部に結び
決して抜けないようにしてあったたとえ
切られてもこちらはキアヌ
その覚悟で生きてきたのだこれが燃え盛る
激動の時代に部指導教育を受けた者の言葉
である負けるが勝ちという言葉があるよう
に神の勝利とは敵を完膚なきまでに
叩きのめすことではない千代流さずに得た
勝利それこそが最善の勝利なのだつまり
武士道の究極の理想とは平和を意味して
いるのであるはいここで留めます本来武士
道とは戦いを職業とする侍の道徳規範です
そのため平和こそが究極の理想であると
いうに止めの言葉に少し違和感を覚えた方
もいるかもしれませんしかし彼が若き日に
払ったわれ太平洋の橋とならんという言葉
そして本書のサブタイトルにあるザソウル
オブジャパンという2つの言葉に注目
いただくとその謎は自ずと溶けると思い
ますつまり日本という国の力強さを世界に
向けて誇示することではなくそこに宿る魂
すなわち日本の思想や文化を広めること
そして自らが世界との架け橋となあって
国際平和のために貢献することそれがにと
女にとっての武士道だったのですだから
こそ彼は血を流さずに真の勝利を得たサブ
来勝海舟の名前を挙げ平和こそが究極の
理想なのだと訴えたわけです武士道が出版
されてから100年以上の年月が去りその
道徳体系はもはや過去の遺産となりました
しかしそれは完全に滅び去ったわけでは
ありませんふとした時に私たちが人として
の美しいあり方や生き方を思い出すことが
あるように武士道はまだ日本人の心の中で
根をはり力強く生き続けているのですはい
というわけで武士道以上でございます
いかがでしたでしょうか今回は桜の時期が
近いという季節感と世界平和への願いと
いうテーマに注目してこの作品を選んでみ
ました読んだことがある方もない方も原点
回帰の1冊として手に取ってみてはいかが
でしょうから日本の文化論や社会思想に
関する名町については過去にいくつか紹介
しております一覧にして動画概要欄に貼っ
ておきますのでご興味のある方はぜひ
チェックしてみてくださいこの動画が
面白かった参考になったという方は高評価
コメントなど頂けますと嬉しいですまた
チャンネル登録もよろしくお願い致します
ではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました
[音楽]

この記事を書いた人