はいどうもアバ太郎です本日は16世紀に
活躍した
フランスの思想家
ミシェルドモンテーヌのSAを紹介いたし
ますどんな作品かと言いますと自分自身を
テーマに語る文学形態エッセイの源流で
ありモラリスト文学の最高傑作と言われる
世界的名著ですまた
デカルト
ルソーパスカルニーチェといった
名高い哲学者たちに多大な影響を与えた
ことでも知られています
特に
感情のコントロールが苦手な方何でも深刻
に捉えたり考えすぎたりしてしまう方人に
流されやすく
自分の人生を生きているという
実感のない方古典作品との付き合い方や
具体的な読み方について興味のある方に
ぜひ手に取っていただきたい一冊です本作
はモンテーヌ自身の経験や
古典の引用などを基に
幸福友情教育といった
様々なテーマについて
断片的に論じられているいわばブログの
ような作品であり
古典の中では比較的親しみやすいものと
言えますしかしご覧のように
岩波文庫版で全6冊
合計2000ページ以上という
隊長であるため
読んでみたいけれど
手を出しづらいという方も多いかと思い
ますそこで今回は
モンテーヌが辿った波乱の人生と
フランス市場最大の混乱を極めた
当時の時代背景などにも触れながらこの
異性の壮大な世界を
シンプルに
わかりやすくご案内してまいります
予備知識は特にいりませんのでお茶でも
飲みながらリラックスして銅像最後までを
付き合いくださいそれでは参りましょう
ミシェルドモンテーニュエセさあまずは
この動画の全体像からを示しいたします
初めに背景知識として
著者について簡単に紹介しその後本書の
内容を
悲しみを知らない人間
生クラ精神のススメ
自分を大切にする勇気という3つのテーマ
に沿って進めてまいりますさあでは早速
背景知識から見ていきましょう
ミシェル
モンテーユ彼は1533年
フランス南西部ボルドーの50キロほど東
にある
モンテーヌ城で誕生しました
モンテーニュケは
ワインや染料の取引によって財を成した
新興貴族であり
父親のピエールは一時期ボルドー視聴を
務めるほどの有力者でしたまた彼は大変
教育熱心であり
ミシェルのために2人の家庭教師を雇い
母国語を覚える前にラテン語を学ばせる
など徹底的に英才教育を施しましたかつて
ピエールは軍人としてイタリアに滞在して
いたことがあったのですがそこで彼は
当時前世を極めていた
文芸復興運動ルネサンスに衝撃を受けそれ
をきっかけに我が子への教育に目覚めた
ようです
ミシェル少年はそんな父親の期待通りに
成長し古代ローマの詩人
オイリウスの変身物語や
同じく詩人であるベルギウスの
insなど重厚な古典作品を次々と爆破し
ウィンドウブリを発揮中学校を終えると2
つの大学で
法律
哲学
弁論術などを収め卒業後はボルドーの高等
法院に就職なんと21歳の若さで裁判官と
なりますしかし実際に働き始めると彼は人
を裁くという行為自体が
自分の性に合っていないのではないかと
悩み始めますそうした中同じ職場で働く3
歳年上の同僚
エティエヌドラボエ氏が
彼の繊細な心に理解を示しやがて二人は
親友として
熱い友情で結ばれます
防衛師は気高い精神等教養を兼ね備えた
人格者でありまた18歳にして
古典的名著
自発的霊獣論を書き上げた
早熟の天才として知られています
豊かな家庭で生まれて
十分な教育を受けまた名誉ある職業も
さらに最高の友人までも手にした
モンテニューまさに順風満帆の人生です
しかし1563年
ちょうど彼が30歳を迎えた頃ついに人生
最大の悲劇が訪れますなんと大親友の防衛
師が
疫病によって他界してしまうのです2人の
友情は
心が混然と溶け合うほど完璧なものでした
なぜ防衛師を愛したのかそう聞かれても
モンテーニはそれは彼であり私であったと
しか答えようがないと表現しています
つまりモンテーニュにとって
防衛氏はもう一人の自分であり
彼と死別することはその身を引き裂かれる
ことに等しいものだったのですそんな
悲しみに打ちひしがれるとも
慰めるかのように
防衛師の遺言書にはこんな言葉が残されて
いました
親密なる兄弟にして
不可侵の友達
友情の証として私の蔵書を君に託すその数
年後
モンテーには裁判官を辞職そして
泣きともの本で溢れる書斎で
イントン生活を始めることになるのです
彼は孤独な生活に身を投じるにあたって
その覚悟を次のように語っていますこれ
まで私は
他人のために十分に生きてきたこれからは
わずかばかりの余命を
自分のために生きようと思う
自分が自分であることを遠ざけるあの横暴
な拘束から逃れるのだこうして世間から
自分の身を切り離したモンテーには
衛星の執筆に取り掛かり
1580年
初版を敢行しますただ彼は
晩年まで書斎に引きこもってのんびりと
楽しく暮らしていたのかというと
実はそうではありません
SAの初版が出てから間もなくフランス
国王アンリ3世によって
直々にボルドー視聴に推薦されるのです
当時のボルドーといえば
首都パリに告ぐ大都市であったためこの
人事は大変名誉なことだったのですが
モンテーニュにとって
ボルドー視聴就任は
並々ならぬ覚悟がいるものでしたなぜなら
彼が生きた16世紀フランスではキリスト
教の二代派閥であるカトリックと
プロテスタントが
宗教戦争をしている真っ最中だったから
ですそうした中モンテーニは中央政府の最
重要拠点であるボルドーで両派閥の調整役
として治安を維持しさらに
国王に敵対する勢力を抑え込むという
まさに命がけのミッションを託されたの
ですまたボルドー視聴といえばかつて
モンテーニの父ピエールが2期連続で務め
たポジションでもありモンテーニとしては
少々やりづらい面もあったようですしかし
彼はこの困難な職責を引き受け父親に勝る
とも劣らない人気と評判を獲得しさらに
再戦まで果たすのですそしてようやく人気
満了を迎えようとしていたところなんと
また
新たな試練が彼を襲いますそれはかつて
国試病と恐れられた伝染病ペストの蔓延
ですこれによって
約5万人いたボルドー市民の3分の1が
なくなったと言われています
戦争とペストという2つの災難に巻き込ま
れながらもモンテーニはなんとか主張とし
ての重責を果たし終えついに故郷の村に
帰りますそして
書斎にこもり読書と施策に耽りながら再び
野生の続きを書き始めたのですしかし彼の
イントン生活にはかつてのような平穏さは
ありませんでしたなぜならフランス国内で
はまだペストが収まっていなかったことに
加え
内乱のせいで治安が非常に悪くいきなり家
を襲撃されたり
森の中で強盗にあったりするなどいつ命を
失ってもおかしくない状況だったからです
モンテーヌがどれだけ過酷な世界を生きて
いたのかそれは
当時の芸術に目を向けるとよくわかります
こちらをご覧ください
骸骨が音楽に合わせて
楽しそうに踊っていますこれは15世紀
から16世紀にかけて
ヨーロッパで流行した市の舞踏と呼ばれる
絵画様式になります
骸骨と手を取り合っている王様
死に誘われる修道院長そして
死にひざまずく貴族や民衆たちこうした
作品たちを見ていますと
常に死が隣り合わせでやった当時の社会
状況や
恐怖を通り越しもはや踊り狂いたくなる
ような
極限の精神状態が伝わってきますしかし
モンテーニはそんな
混沌とした世界を恨むどころかむしろ
すべてを運命に任せようと覚悟を決め書斎
にこもって
意欲的に執筆を続けましたそして市の直前
まで
実に1400カ所に及ぶ過失修正を行い
1588年
ボルドー本と呼ばれる
SAの決定版が完成するのですこの作品は
そんな激動の時代に翻弄されながら生き
抜いた一人の人間のありのままの姿が収め
られています
きっと現代社会を生きる皆さんにとっても
大いに勇気づけられる内容ですのでぜひ
最後まで楽しんでいってくださいさあと
いうわけでという知識は異常になります
ここまでよろしいでしょうかいよいよこれ
から
SAの中身に入っていきたいと思います一
つ目のテーマは悲しみを知らない人間です
では行きましょう
読者の皆さんこれは
誠実な書物である初めに断っておくがこの
本は
我が家だけのプライベートなものでしか
ない
従ってあなたの役に立たせようとか私の
名誉になればいいとかそういった考えは
一切含まれていないいやそもそも私の力量
ではそんなことなどできはしない私はただ
自分の身内や
友人のために書いたのだもし世間での評判
を得たいのなら私だってもっと技巧を
凝らしきらびやかにその身を飾ったに違い
ないしかし私は
単純で
自然でごく普通の私という人間を見て
ほしいのである私が描く対象は
自分自身だだからここには私の欠点や
生まれながらの姿がありのままに描かれて
いるだから読者の皆さん私自身が題材と
なっているこんなつまらなくて虚しい
テーマのためにあなた方の時間を使う
なんて
実に道理にあわないことだではさようなら
はいここら止めますこれは
SAの第1章に入る手前に書かれた
有名なプロローグなんですがなんと読者を
門前払いするところからこの作品は始まり
ますこれは
誠実な書物であるとあったように
異性は
モンテーヌという人間そのものが一切の
装飾なしに表現されています
従ってそれを見ることが許されているのは
あくまで身内だけであり一般読者は
招かれざる客なのですですから私たちは
そのことをよく念頭に置き
慎ましい態度で読み進めていく必要がある
わけですさあではそれを踏まえた上で
早速モンテーニュの内面を除いていき
ましょう
物を書くというこのとんでもない思いつき
を最初に私の頭に思い浮かばせたのはある
憂
気分だったこれは
本来の私の気質とは
正反対のものなのだが何年か前に味わった
孤独のもたらす不愉快な気分が何か書いて
みようという気にさせたのであるしかし私
には各題材柄があっただからこうやって
自分について書こうと思ったのだなるほど
何らかの崇高な理念からではなくただ単に
孤独を紛らわし
憂鬱な気分から解放されたいがために自分
を題材とした衛星を書くことにしたどう
やらこれがモンテーヌの本音のようです
さてここで中国したいのが彼が苦しんだ
憂鬱な気分についてです
憂鬱な気分というのは今日は仕事に行き
たくないとか
夜なかなか眠れないとか何かとネガティブ
な結果を生むものですしかしモンテエリに
とっては
憂鬱な気分こそが
餌を執筆するきっかけとなったというわけ
ですその上で彼は
憂鬱さについてこんな考察をしています
楽しみにはいくらから楽しみが混じって
いるこれは
古代ギリシャの哲学者メトロドロスの言葉
だ
彼は別の意味で言ったのかもしれないが
心に憂鬱な気分を育てるという行為の中に
はいくらかの思惑や
自己満足があるような気がするのだいや
もっと言わせてもらえばそこには
野心すら混じっているかもしれない
憂鬱さの奥底には何かしらの心地よい甘さ
があってそれらは我々に笑いかけまんざら
でもない気分にさせる中にはこういった
憂鬱さを
生きる糧にしている人もいるではないか
古代ローマの詩人オイリウスは
泣くことにはいくらかの快感があると言っ
たまた哲学者の背中も今は亡き友人との
思い出は古くなったワインの苦味のように
甘酸っぱいリンゴのように心地よいと語っ
ている
はいここら止めます
背景知識でも触れましたように
モンテーニは大親友の帽子を失ったという
辛い過去がありますしかし彼はその時の
悲しみをずっと引きずり苦しみながら毎日
を過ごしていたわけではなく
むしろその憂鬱さの中には
快楽すらあったと告白していますいやいや
モンテーには強がっているに違いないもし
かしたらそのように思う人もいるかもしれ
ませんがなぜ彼がこういった楽天的な考え
方をしていたかについてはもう少し先に
進んでいくと見えてきますさあでは彼の
言葉の続きを聞いてみましょう私は
悲しみという感情を最も知らない人間の
一人であるまたこの感情が好きでもないし
重視もしていないところが世間の人は
まるで示し合わせたかのように
悲しみに特別な行為を抱いてこれを敬って
いるだが私の場合は
悲しみにせよ
喜びにせよ激しく感情を爆発させるという
ことがないなぜなら
生まれつき鈍い性格であるだけでなく
理屈という川で分厚く覆っているからで
あるはいここで止めます私は悲しみという
感情を最も知らない人間の一人であると
ありました私は悲しみという感情がないと
言ってるのではなく
悲しみという感情を
知らないと表現しているここがポイント
ですちょっとわかりにくいですが
要するに悲しいことがあれば悲しむし
喜ばしいことがあれば喜ぶ
ごく普通の人間なんだけれどもただそう
いった感情をあまり重視していないしそこ
まで囚われないタイプなんだと言っている
わけですなぜそうかといえば
モンテーヌ自身が
元々
鈍感な気質の持ち主であるだけではなく
物事に対して一喜一憂しない彼なりの理屈
があるからだそうですこの理屈を知れば
モンテーニという人間がどんな思考の
持ち主でなぜ悲しみを知らないと言ったの
かがが出てきますさあでは続きを確認して
いきましょう人間は本来
無力であり何者も純粋に味わうことができ
ない
黄金も何かに役立てようとすれば何か別の
混ぜ物によって
品質を落とさねばならないだろうまた多く
の哲学者たちが人生の目的とした得でさえ
混ぜ物なしには
役に立たなかった
我々の快楽も善も同じだこれらの中にも
必ず何らかの悪や不快が混じっているはい
ここから貯めますなるほど人間はあらゆる
物事を純粋に味わえないとありました
つまり私たち人間は
絶対的な善悪も把握しきれないしまた純度
100%の
完璧な楽しみも悲しみも
味わえない存在なんですとなぜならそれら
の中には常に何らかの異物が入り込むから
であるというわけですちょっとわかり
にくいでしょうか
例えば
スポーツの楽しさや喜びの中には
負けるかもしれないと
恐怖心や
勝利を期待されることによる重圧といった
不愉快な要素が常に含まれていますまた
誰かに激しく怒りをぶつけている時も純粋
に怒りという感情だけが
燃えたぎっているのではなくその中には
相手に対する失望感や悲しみ怒りを発散
することによる快楽などが混じり合うもの
ですこう考えますと私たち人間は
喜びは悲しみといった
自分の感情ですら
知っているつもりでも
実は知らないんじゃないかいやそもそも
人間は
真の喜びや
真の悲しみが
知ることができないように設計されている
んじゃないかと
様々な疑問が湧いてきますこのように門程
には
目に見える対象だけではなく
物事の善悪人間の感情といった
抽象的な概念に至るまでありとあらゆる
ことを疑い続けましたその際彼が大切にし
ていたのか私は何を知るかという命題です
つまり安易に物事を肯定したり否定したり
もせず私は何を知っているのか
本当は何も知らないのではないかと
自らに問い続けながら
真実に迫ろうとしたのですその上で
モンテーには人間の幸福についても疑問を
投げかけ大変興味深い考察を本書で示し
ますより大きな幸福が欲しいできれば純度
100%の
完璧な幸せを手に入れたいそう思っている
方にとってはおそらく必見のないようです
さあというわけで2つ目のテーマ生倉精神
の勧めに行き
モンテーヌの幸福論を確認していきたいと
思いますではいきましょう
深い喜びには
楽しさよりも深刻さが含まれているまた
最高に充実した満足感とは
陽気な気分というより
むしろ落ち着いた気分によって包まれる
かつてストア派の哲学者セネカは
幸福も動画すれば
我々を押しつぶすといったまたギリシャの
古い石の中にはこんな言葉がある
神々は我々にくれるはずの幸福を
全て売りつけているつまり神々は人類に
純粋な幸福などを与えてはいない人は何ら
かの不幸と引き換えに
幸福を買うしかないのであるなるほど人間
は自分の精神を
幸福だけで満たすことはできないし
実現できたとしても
結局
幸福によって押しつぶされるというお話
でした
確かに欲しいものが何でも手に入り
望むことが何でも叶うようになった結果何
をやっても満たされず
生きる意味を失ってしまったとか大きな
幸福を手に入れたけれどそれをいつか失う
のではないかという不安や恐怖が増大し
逆に情緒が不安定になってしまったといっ
たケースは
少なくありません人は本能的に苦痛を避け
快楽を求める傾向にありますがその行動が
行き過ぎれば
帰って幸福が遠ざかってしまうのですその
ようなことからモンテインは
欲望を適当なに押さえ今あるものに満足
できる人そして
財産を増やすより自分が満足できる仕事を
心穏やかに淡々と続けられる人こそ真に
幸福な人だと結論づけていますただ
見落としてならないのは
悲しみや憂鬱さといった
多くの人が避けたがる不愉快な感情の中に
も何らかのポジティブな要素が混ざり込ん
でいるという点です
例えばモンテーヌ自身がそうであったよう
にこの国による憂鬱さから
モチベーションが引き出されたり
長年の劣等感から
自分の果たしたい夢が見つかったり
苦しい境遇の中から
友情が育まれたりするようなケースは
珍しくありませんですから
過去にどれほど嫌な経験をし何もかも否定
したくなったとしても
自分の過ごした時間や
味わった感情を注意深く観察してみれば
その中には
楽しみや喜びといったポジティブな要素が
少なからず混ざっているため
本来すべてを否定することはできないの
ですその上で門庭にはこう続けます人間と
はいわば全身がツギハギだらけの寄せ集め
でありマダラ模様の存在に過ぎない
正義に関する法律だろうとどんな立派な
規範だろうとそこには何らかの不正が含ま
れている従って
我々が世の中の慣習に従って生きるために
は
精神をもっと鈍く生クラにする必要がある
つまり凡庸であまり鋭すぎない精神の方が
物事を処理する上で適しており何事も
うまくいきやすい人間のすることなのだ
からもっと大雑把にもっと表面的に
取り扱ってあとは運命に委ねるそういった
スタンスで構わないのだ
物事を深く考え
細かく明らかにする必要もないあまりに
矛盾したことからや複雑な容体ばかり眺め
ていたら何が何だか
余計に分からなくなるあらゆる状況や結果
を抱え込んでしまえばかえって
物事の選択ができなくがあるのであるはい
ここら止めますなるほど何でもかんでも
白黒はっきりつけようと
神経質になるのではなくもっと凡庸な精神
で
物事を大雑把に取り扱いあとは運命に
任せるという
ゆったりとしたスタンスの方が行きやすく
なるというお話でした
要するにこの世界は
常に流動し変化し続ける不確かな場所で
ありまた人間の理性も感性も
絶対に信用できるものではないしいろんな
矛盾を抱えた
ツギハギだらけの不確かな存在ですと
そんな不確かな世界で生きる不確かな人間
という存在がこれは絶対に正しいんだとか
絶対に間違っているんだとか
安易に物事を決めつけたりできるはずが
ないのでもっと大らかに行きましょうと
いうわけです一般的に哲学では
肯定化していかいずれかの立場を取るもの
ですがこのように
皇帝と否定の中間地点にとどまり常に対象
を疑いながら
を追求していく立場や考え方のことを会議
主義と言います
モンテーニュがボルドー視聴時代に
キリスト教の二代派閥の調整役として活躍
できたのは
彼自身が会議主義者であり
優れたバランス感覚や曖昧性に耐える力を
備えていたからなのかもしれませんそれに
加えて彼は
仕事の恩とオフの切り替えが非常に
うまかったことでも知られています
モンテーニにとって仕事とはいわば芝居の
ようなものであり期待される役割を演じれ
ばいいのだと
割り切って職務にあたっていました
当時の彼が何より重視していたのは
仕事で成果を上げたり評価を高めたりする
ことではなく
自分の精神の自由を守ることでしたつまり
ボルドー視聴として
身も心も仕事に捧げて生きるのではなく
ミシェルドモンテーヌという一人の人間と
していきたいと考えていたのですただそう
は言っても
当時の彼は大変忙しくまた様々な要求をさ
れる難しい立場にありましたそうした中
モンテーニはどのようにして自分の精神を
守り続けていたのでしょうかさあという
わけで最後3つ目のテーマ自分を大切に
する勇気に進んでいきたいと思いますでは
行きましょう私の友人たちは時に私を率直
に非難し
意見してくれることがあったその中には
彼らが進んでしてくれたものもあれば
私自身から願い出たものもあるその忠告は
役に立つばかりではなく大きな友情の証で
もありそれは私にとって
気持ちの良いものであっただから私は
彼らの声を
常に礼儀正しく
感謝の念を込めてそれこそ両手を広げて
歓迎したものであるしかし今になって
正直なところを言わせてもらうと
当時彼らが私を非難したり
賞賛したりしていた尺度は
謝りだらけであった
彼らが言った通りの振る舞いをするより
むしろそれをしないことの方が
間違いが少なかったのではないかというが
私の本音である
従ってあまり自分を表に出さず内的な生活
を好む私のようなタイプの人は自分の心の
中にしっかりとした規範を持たねばなら
ないそしてその規範と自分の言動を
照らし合わせ時には自分を褒めたり
罰したりする必要があるもちろん私の心の
中にも
確固たる法律と法廷があり何のためらいも
なく私も自分で自分をさばいているのだ
あなたは臆病な人間なのかそれとも残酷な
人間なのかあるいは忠実で献身的な人間な
のかそれを知っているのはあなただけで
あり
周囲の人たちにはそんなあなたの本当の姿
が見えない
けれども彼らや
彼女らは私から推測であなたという人を
判断する本性を見るのではなく
表面的な技巧だけでこういう人だと
決めつけるだからあなたは
周囲の人たちの判断を気にいうことなく
素直に自分の判断に従えば良いのである
はいここから食べますなるほど
世の中には
積極的に自己アピールをする
オープンで外交的な人もいれば一方で自分
のことをあまり語りたがらない
内向的な人もいますともし後者に属するの
であれば
他者から下される評価や
判断があまり当てにならないので
自分の内面に確固たる規範を作ってそれに
従いましょうというお話でしたかつては
モンテーニュ自身も
持ち前の寛容な精神で
他者からの言葉をありがたく素直に
受け止めていたようですがある程度時間が
経ってから
冷静に振り返ってみるとやっぱり自分の
感覚の方が正しかったじゃないかと気づい
たわけですもしかしたら皆さんも
自分の性格
考え方
事情などについてそこまで詳しくない人
から
検討違いの助言や
忠告をされたというご経験があるのでは
ないでしょうかその上でモンテーには自分
の中に規範を持ってそれに従うことを勧め
たわけですがこれはこれでハードルが高
そうな提案ですそもそも規範をどうやって
作ればいいのかわかりませんしそんなこと
ができるのは
モンテーニュのように
優れた判断力を持っている人だけじゃない
かと
疑ってしまいますしかし
驚くべきことに
彼は自分の判断力を全く信用していないし
あるものに頼っているだけなんだと
カミングアウトします一体それは何なのか
さあでは続きを見ていきましょう私はよく
本を読む人間なのだが
転んで手に取るのは
主に古典と呼ばれる作品である
新しいものよりも古代の本の方がはるかに
内容が充実し
成り立ちから強いものを感じるのだ
もっとも
ギリシャ語で書かれたものについては
あまり興味がないなぜなら私のように未熟
な理解力では何も判断力が働かないからだ
そもそも私は
自分の判断力というものをあまり信用して
おらず
多くの場合
古を偉人たちの判断に頼っている
彼らの権威や知性に対し平気で反対意見を
述べられるほど私は自分の能力を買い被っ
てはいないつもりであるいや
自分の人生の教師である
彼らと判断が一緒ならば
例えそれが間違っていても私は満足なのだ
この本の中で私が引用している文章の多く
は
極めて有名な
古代の偉人たちの言葉である従って私が何
も語らずともそれが誰の名言なのかは
わかると思う
彼らの言葉を
借用するにあたってしばしば著者の名前を
伏せたのだがこれには理由があるそれは
あらゆる種類の著作に飛びかかっては
請求に良し悪しを判断するという
読者の無謀な振る舞いを抑えるためだ
従って
不用意にこの本を非難すれば
ローマの偉人プルタルこそ侮辱したり
背中を罵倒したりすることになるだろう
はいここだと思いますどうやらモンテは
物事を判断する際の基準として
古典作品から得た知恵や歴史に名を残した
異次元の天才たちの言葉を参考にしていた
ようです
実際にエセイの中には
ソクラテスプラトン
セネカ聞けろといったそうそうたる偉人
たちの格言がこれでもかというほど引用さ
れていますまたモンテーヌが書斎にしてい
た
屋敷内の塔の3回天井には
ご覧のように
ギリシャ語ラテン語で書かれた古代の名言
が
びっしりと刻まれておりどれほど彼が
過去のHに支えられていたかが伺えます
さらに彼は自分の読書術についても触れて
おり具体的にどういった心構えで本と
付き合っていたのか
次のように語っています私は読書をしてい
て
難しい箇所にぶつかってもいつまでも
考え込んだりはしない
ひと月2付きしてみてダメならあとは
放っておくのである同じ場所にずっと
立ち尽くしていればただ時間だけが過ぎて
ちゃうだろう私は直感的な性格であるため
一度攻めてみてわからなければしつこく
攻めても
余計にわからなくなるということを経験的
に知っている何より私は何事も楽しく
なければ何一つしたくないという主義なの
であるいつまでも気を張り詰めていれば
判断力も曇り悲しい気分になり
疲れてしまうだろうだから私はこの本が嫌
だと思えば
迷わず違った本を手に取るそして何も手が
つかずどうにも退屈で仕方がない時にだけ
読書に没頭するのであるはいここから止め
ます
モンテーニは日々難しい古典と向き合って
いたわけですが
わからなければ読み飛ばし
嫌だと思えば他の本を手に取るというよう
に楽しく読書をすることを心がけていた
ようです
モンテーニュにとって読書とは知識を得る
ための手段というよりその本を書いた人と
の関係を築くいわばコミュニケーション
ツールであったと言われていますそのため
彼の本との付き合い方は人との付き合い方
に似ています
相手のことが
直感的に理解できなければしつこく詮索
するのではなくしばらく距離を取ってみる
楽しくなければその場から離れ気分が乗ら
なければ
相手に近づかないそして何も手がつかなく
なったり
退屈したりした時に
自ら働きかけてみるこのようにモンテエリ
はまるで人と同じように本と触れ合うこと
で
古代の偉人たちと良好な関係を築いていた
のですそんな彼が書いたこの異性という
作品は
ミシェルドモンテーニという人間そのもの
であるため
皆さんも本性を読んでいただければいつで
も彼との対話を楽しむことができます今回
の動画で興味が湧いたという方は
早速手に取ってみてはいかがでしょうか
はいというわけでモンテエリの衛生
以上でございますいかがでしたでしょうか
この作品はボリュームがあって
全部読もうとすると大変なんですが最近で
はこのように便利なダイジェスト版もあり
ますのでのでよかったら活用してみて
くださいまたモンテーニュのように古代の
偉人の言葉に興味があるという方は
岩波文庫さんから出ているギリシャローマ
名言集がおすすめです
コンパクトにまとまっていてとても読み
やすいですもし古代だけではなく中世近代
現代の哲学また東洋思想や宗教などの領域
も幅広くカバーしさらにわかりやすい解説
がついたものが欲しいという場合はこちら
人生を変える哲学者の言葉366がとても
おすすめでございますここでは仕事や市
生活に役立つ偉人たちの言葉を背景知識や
キーワード解説と合わせて紹介をしており
ますさらにイラストやカラーも充実して
いるため普段そこまで本を読まないという
方や
哲学や古典にあまり興味がないという方で
も
十分楽しめる内容になっています
自分の心に突き刺さる言葉というのはその
時の気分やタイミングによっても微妙に
変化するものですそのためここ鋼材の偉人
たちの言葉を徹底的に網羅した今回の本は
きっと一生涯という長いスパンでお
付き合いいただけるんじゃないかなと思い
ます
概要欄にリンクを貼っておきますので
ご興味のある方はぜひチェックしてみて
くださいこの動画が面白かった
参考になったという方は高評価コメント
など頂けますと嬉しいですまたチャンネル
登録もよろしくお願いいたしますではまた
次の動画でお会いしましょうありがとう
ございました