【15分解説】読書について|ショウペンハウエル ~世界的名著に学ぶ最高の読書術~

 

 

はい!どうも アバタローです!
さぁ、本日はショウペンハウエルの
『読書について』こちらを見て参ります
本作は、書籍とどう付き合っていくべきかを
徹底的に考え抜いた、読書論の古典的名作であります
本を読むことは『大事』ですとか
本を読まないと『ヤバイ』ですとか
そういう情報って溢れていますよね
でも、実際にそういった情報に触れて
「よし!本でも読むか!」と決心をしても
実は、そこから先に意外なハードルがあったりします
どういう『本』を読めば良いのか分からない
どういう『読み方』をすれば良いのか分からない
どれくらいの『量』を読めばいいのか分からない
こういった疑問がどんどん出てきて、気付けば
「読書しよう」という気が失せて来てしまった
もしかしたら、皆さんも
そういったご経験があるかもしれません
つまり、何が言いたいかというと
書籍とどう付き合えば良いのかという問題は
シンプルそうに見えて
実は、結構難しい問題であるということです
それをよく示しているのが、この本の
『表紙』の文言です。ご覧下さい
[読書とは他人にものを
考えてもらうことである。]
[1日を多読に費やす勤勉な人間は
しだいに自分でものを考える力を失って行く]
いかがでしょう か。
なかなか、衝撃的な言葉です
えぇっ!?読書と言えば、思考力が鍛えられる
最高の知的作業じゃないの?
しかも、たくさん読めば読む程、自分で考える力が
付くんじゃないの?と、言いたくなります
一体、誰がそんな
怪しからん事を言ったのでしょうか
これは、18 世紀~19 世紀に活躍した
ドイツの哲学者『アルトゥル・ショウペンハウエル』
『ニーチェ』や『アインシュタイン』、『フロイト』
といった、多くの偉人たちに影響を与え
更に、超 一流の
文章家として知られた人物であります
つまり、思考力・文章力の
権化みたいな大先生が
のっけから読書に対して
刺々しい発言をしているわけです
これはもう、困惑するしかありません
ただ、私たちはこの言葉を
そのまま受け止めて良いのでしょうか
それとも、他に意味する何かが
隠されているのでしょうか
これから、その謎を紐解きながら
変化の激しい時代に求められている
『読書の在り方』について
皆さんと一緒に考えて行きたいと思います
それでは参りましょう!
ショウペンハウエル『読書について』
まず、作品の全体像からお示し致します
本作は3つの著作から構成されており
[思索][著作と文体][読書について]
という順番で話が進んで参ります
ページ数としては
150ページくらいの薄い作品ですが
どの一文をとっても、言葉に重さ・厚みがあって
非常に読み応えがあります
そして、この動画では、[思索]と[読書について]
この2つをご紹介致します
まず、1つ目の[思索]
こちら、ザックリどういったものかと言いますと
自分の頭で『物事』を考えることの大切さを
ひたすら『訴え』続けている作品になります
そして、この動画では
本作品を4つのテーマに分割して
ひとつ、ひとつ丁寧に
解説をして参ります

『思想を持つことの重要性』
この4つです。
それでは、順番に見て参りましょう
まず、1つ目のテーマ。
自分の頭で考えることとは、どういうことか
コレについて先生は、どう考えているのか。
お話しを早速、聞いてみたいと思います
本をどれだけ山のように
沢山蓄えていても
それがきちんと理解され
整理できていなければ、何の意味もない
これは、知識についても同じなんだ
どれだけ大量に、知識を
掻き集めるかが問題なんじゃない
どれだけ、その知識を自分で考え抜いたか
それが、知識の価値を決めるんだ!
そもそも、私たちが徹底的に考え抜けるのは
自分が知っている事だけだ!
では、読書という行為は
自分の頭で考えているということになるのだろうか?
残念ながら、答えはNoだ!
この2つは、精神に及ぼす影響 という意味において
全く違う『行為』と言える
どういうことかと言うと、『読書』というのは
その著者、作品に込められた思想・考えを
自分の精神に、まるでハンコのように
押し付けるような行為だからだ
一方で、自分の頭で考える、という行為はどうだろう
あなたの精神は
誰の思想にも犯されることはない
その時の気分、その時の
衝動に従って動くのだ。なるほど!
要は、読書というのは、他人の思想が自分の精神に
入り込んじゃう行為なんですよ、と
でも、自分で考えるというのは
誰からも邪魔されない
あなたのその時の気分と
その時の衝動によってなされる
『自由』な活動なんですよ、と
だから、自分の頭で考えることと
読書をすることを
ごっちゃにしないでね!と
言ってるわけであります
「そこまで神経質になって、読書してないよ」
という人も多いと思いますが
マスコミからの『情報』と置き換えると
少しイメージしやすいかもしれません
いつも、同じ新聞社の
新聞ばかりを読んでいる
いつ も、同じテレビのお馴染みの
コメンテーターの話ばかりを聞いている
そうなると、少しずつその会社の思想
その人の思想が脳内に刷り込まれ
気が付けば、『自分の思想』『自分の考え』に
置き換わってしまうなんて話し、よく聞きますよね
読書という行為も
それに近いですよ、というわけです
では、次。2つ目のテーマに移ります
たくさん本を読むこと。
すなわち、『多読は、悪か?』
これについて見て参ります
早速、ショウペンハウエル先生の意見を
聞いてみましょう
「多読は、精神から弾力性というものを
ことごとく奪い去る行為だ!
例えば、バネを想像してみて欲しい
バネに重圧をずっと加え続けると
弾力を失うだろう
もし、あなたが『自分の考え』
『自分の思想』というものを
一切、所有したくないのであれば
暇を見つけ次第、たくさん本を読みなさい
はい!いかがでしょうか。
最後、凄い皮肉っぽかったですねぇ
「もっと本を読もう」「読書しよう」
という言葉が、ネットには溢れていますが
こういう切り口の主張は
なかなか、新鮮ではないでしょうか
多読の是非については、この動画の後半で
触れますので、この程度にしておいて
次のテーマに行きます。3つ目です!
『正しい書籍との付き合い方』
これも気になるお題です。
早速、聴いていきましょう
「書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残し
他人の脱ぎ捨てた古着に過ぎない」
では、我々は『読書』という行為を
どのような時に行うべきであろうか
それは、自分の頭でしっかり考え
思索を巡らせた後
一切の思考が途絶えた時に
初めて試みるべきである
これとは逆に、本を読むこと
それ自体が『目的』となり
自分のイキイキとした思想を追放することとなれば
それは、聖なる精神に対する反逆罪だ!
はい!いかがでしょうか。
本を読むことが目的になると
聖なる精神に対する、反逆罪だそうです。
凄いパワーフレーズですね
要するに、自分の思想というのは
自分の内側にある『精神』…という土壌で育つわけで
そこに、誰でもかれでも「Welcomeです!」
みたいな感じで
バンバン読書しまくって
他人の思想を入れまくるというのは
言語道断!であると。
あり得ない!と、おっしゃってるわけです
更に読書というのは、自分の『思考の泉』が
途絶えた時の最終手段であり
闇雲に、大量の本を貪る行為というのは
御法度だ!罪だ!というわけです
もちろん先生は、読書という行為そのものを
否定しているわけではありません
それなりの副作用があるから
適切な付き合い方をして下さいと
ちょっと、強めに言っている
ただ、それだけのお話しであります
では、ちゃんと自分の頭で
考えることができる人というのは
一体、どうやって
書籍と付き合っているのでしょうか?
本書の言葉をそのまま引用しますと
自ら思索する者は、自説をまず立て
後に初めて、それを保障する他人の権威ある説を学び
自説の強化に役立てるに過ぎない
なるほど。つまり、自分の中で
しっかり仮説を立てましょう
その上で、信頼度の高い『文献』や『書籍』に
当たりましょう、と言っているわけですね
ドストレートな正論で、ちょっと
辛いところですが、次のテーマに行きましょう
4つ目が『思想を持つことの重要性』
本書において、ショウペンハウエル先生は
当時の学者さん達を痛烈に批判します
「アイツらの多くは、知識ばかり詰め込んでいて
自分の頭で物を考える力、洞察力がまるでない」
例えば、何か重要な判断をしなければならない時に
学者よりも遥かに知識もない
経歴もない人の方が、ズバッ!と本質を突き
正しい判断
正しい解釈ができるケースが実際にあるだろう
はい!そのように言うわけです。これは
言わんとしてる事は、何となく分かりますよね
その上で、じゃあ…何で学者さん達よりも
知識レベルで劣る人の方が
物事の本質を掴み、切れ味の良い発言や
正しい判断が出来ることが
実際にあるのかというと
それは、普段から自分の考え
思想を基本骨格として
持っているからだと言います
そして、その自分の思想をベースに世界を見つめ
その思想をベースに人と対話をし
その思想をベースに
必要に応じて書籍と付き合っている
だから、知識だけに埋もれてる人なんかよりも
よっぽど、キレッキレだったりすることが
実際にあるんだよ、と言っているわけです
さっ、ここまで聴いていかがでしょうか
自分は本当にこれまで
自分の頭を使って考えて生きて来たのだろうか
もしかしたら、人の思想によって
精神を支配されていたんじゃなかろうかと
ハッ!とさせられますよね
後、ショウペンハウエル先生は
思想という概念について、面白い表現をされています
心に思想を抱いている事と
胸に恋人を抱いている事とは
同じようなものだ
我々は、感激…興奮のあまり
この思想を忘れることはない
しかし、去る者は、日々に疎しだ!
時間の経過によって、どんな美しい思想でも
書き留めておかねば、完全に忘れられて
再現、不能となる恐れがあり
最愛の恋人も
結婚によって繋ぎ止めなければ
我々を避けて、行方も知れず
遠ざかる危険がある。いかがでしょうか
忘れちゃうから「メモっといてね」と、言ってる
だけの話なのですが、 だいぶ渋い表現ですよね
さぁ、というわけで
ここで一旦[思索]をまとめます
[--まとめTimeーー↑]
以上、5つ。
これで[思索]のお話はお仕舞です
さぁ。お次は2つ目。
[読書について]こちらを見て参ります
お話しをさせていただく内容は
大きく3つあります
1.読書に対しての心がけ。
2.書籍から学ぶ際の注意点
3.本当に読むべきものとは
非常に気になるテーマが並んでいますが
順番に見て参ります
まず、1つ目。読書をするに当たって
どんなことを心掛けるべきなのか
これについて、先生は一言。
このように言われます
「読書に対しての心がけは
読まずに済む技術が、非常に重要だ!」
なるほど。これは、意味深ですね。
要は、やっぱり
読書はいけないことだと
私たちに伝えたいのでしょうか?
続きを見て行きましょう
「文学の世界には、全くもって
読むには、値しない悪い書物
所謂『悪書』が雑草のように生い茂っている
雑草というのは、麦の養分を奪い
麦を枯らしてしまうだろう
つまり、悪書というのは
読者の『金』と『時間』と『注意力』を
奪い取る存在なのだ
本来であれば、そういった貴重な資源は
良書に向けられて、然るべきだ!
…にも拘らず、我が国の現在の書籍。
著作の大半というのは
読者から、金と時間を
むしり取ることしか考えていない
更に、著者も出版社も批評家も
固く手を結び合っている
…であれば
読書をする際の心がけとして大切なのは
多くの読者が我先にと、貪り読むような本に
軽々しく手を出さないことだ!」
なるほど!要は、しょーもない作品は
読んではいけないということですね
生前、スティーブ・ジョブズが
「何をやるかよりも、何をやらないか」 ということが
重要だと言っていたのは、有名な話しですが
どうやら、読書にも
通じる話なのかもしれません
では一体、どういったものを
ショウペンハウエル先生は、読め!と言っているのか
続きを見て行きます
皆さんに読んでいただきたいのは
比類なき、卓越した精神の持ち主。
即ち、あらゆる時代、あらゆる民族の生んだ
天才の作品だけだ!それを熟読しなさい。
『悪書』というのは、精神の毒薬であって
読む者の精神に破滅をもたらす。
一方、『良書』というのは
真に我々を育て、啓発する。
従って、良書を読み過ぎるということもない
とにかく、良書を読む条件は
悪書を読まぬことだ
人生は短く、時間と力には限りがあるのだから
はい!いかがでしょうか
悪書をまるで、親の仇みたいに
ディスっていますが、一体何があったのでしょうか
流石に「全て、その通りですね!」とは
言えないにしても 、なるべく良い本を読みましょう
自分の精神に良い影響を与える言葉、情報を
摂取しましょうというのは、頷けるところですよね
後、『良書を読み過ぎるということもない』という
このフレーズ。ここは大事です!
つまり、彼は『多読』を
全否定しているわけではないのです
自分の精神にとって、何の栄養も与えない、言わば
ジャンク本を多読しても ダメだ!と言っているだけで
栄養価の高い良書については、どんどん
読んで貰って『OK!』と言っているわけです
この、動画の冒頭に
[読書とは 他人にものを考えてもらうことである]
[1日を多読に費やす勤勉な人間は
しだいに自分でものを考える力を失っていく]という
『表紙』の文言を取り上げてましたが
今、紹介したような文脈をスッ飛ばしてしまいますと
『多読=ダメなこと』という意識だけが
刷り込まれてしまいますので、注意したいところです
では次に、2つ目の『書籍から学ぶ際の注意点』
について見て参ります
ショウペンハウエル先生は、まず書籍の購入と
そこに書かれた内容の獲得と 混同するな!と言います
つまり、『良書』を買ったからといって
それがそのまま、あなたの栄養には
ならないんですよ、と言っているわけです。
なかなか手厳しいですね
じゃあ、栄養として、しっかり取り込む為には
私たちには、何が必要なのでしょうか
結論から言えば、『思想体系』です。
自分には、どんな思想があって
どんな目的で、どんな興味があって
今、目の前にある『本』を手にしているのか
これが明確になってくると、良書を読んだ時の
栄養摂取率が全然、違ってくるよと言ってるわけです
後、もう一つ。書籍から学ぶ上でのコツについて
このように言われます
『反復は、研究の母なり!』という言葉もあるように
重要な書物は、如何なるものであっても
続けて、2度読むと良い。理由は2つだ!
まず1つが、文章中のこと柄の繋がりが
良く理解できるし、既に結論を知っているため
重要な箇所も、正しく理解することが出来るためだ
そして、もう一つの理由は
最初と2回目とでは、読む時の気分が異なるため
1回目とは、また違った受け止め方が出来るからだ。
はい!いかがでしょうか
逆に言えば、何度か繰り返して読まないと
良い本でも、間違った解釈をしてしまう事があるよ
一方向からの狭い
解釈をしてしまうことがあるよ
何度も読んで、栄養摂取率を高めましょうね
と言ってるわけですねぇ
さぁ、最後3つ目。
本当に読むべきものとは何か!
これについて見て行きます
さっき、天才が書いたやつを読めって
言っていましたけれども
具体的に、どういったものなのでしょうか
実は、これについては
本書の中で、ハッキリと意見を述べられています
精神の為の清涼剤としては、ギリシャ、ローマの
『古典の読書』に勝るものはない!
古典の大作家のものであれば
誰の本を読んで貰っても構わない
例え、わずか30分でもいいから読むと良い。
なるほど。要するに…
何百年、何千年と歴史の風説に耐え
生き残って来た作品を噛み締めろ!というわけですね
これは、なかなかハードなお話しですが
人類の普遍的な知恵を学べるわけですから
頑張って、チャレンジしてみる価値はありそうです
もし、今の話しを聞いて、ちょっと
読んでみようかなと思われた方は
今年はこれ1 冊!と決めて
じっくり、ゆっくり読んでみてはいかがでしょうか
この、チャンネルでも以前、プラトンの
『ソクラテスの弁明』をやっていますので
そこから、スタートするのもアリかもしれません
ギリシャ、ローマの古典については、この
チャンネルでも扱いたい作品は、幾つかありますので
また、折りを見て
ご紹介をさせていただきます
はい!ココまでをまとめます
[--まとめTimeーー↑]
以上5点と、いうわけであります
さぁ、[思索]と[読書について]ザっと
ご紹介させていただきましたが、いかがでしょうか
全体的に表現もキツイし、厳しいですよね
ただ、そういった強い言葉の中にも
ハッとさせられるような何かを
見つけていただけたのではないでしょうか
こちらも、長い時を超え
読み継がれて来た良書ですので
是非 、一人でも多くの皆様に手に取っていただき
先行きの見えない時代を
生き抜く武器としていただければ幸いです
はい!…というわけで
『読書について』以上でございます
この本自体は、哲学の知識がないと
先に進めないような作品ではなく
割りと気軽に読み進めることができますので
是非、チェックしてみてください
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それでは、また次の動画でお会いし ましょう。
ありがとう ござい ました!

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