【世界的名著】自由論|J・S・ミル ~幸福が逃げてしまう…たった1つの悪習慣とは?~

 

 

配当も阿波たのです本日は19世紀に活躍したイギリスの哲学者ジョンスチュアート
ミルの自由廊も紹介いたします自分らしく自由に幸せに生きたい
誰もが望んでやまないこの究極の願いを叶えるためには一体社会はどうあるべきで
個人は何を心がけるべきなのでしょうか今回はそんな気
もうを解き明かし自由を手にするヒントを与えてくれる世界的迷蝶皆様と一緒に
読み進めていきたいとおもいます
政治哲学や社会地蔵に関心のある方はもちろんのこと人間の教育や組織のマネジメント
に関わっている方
自分らしい人生をを作している方他人の目線が気になり
いつも自分を押し殺している方
人間的に大きく成長したいという方に特におすすめの一冊ですパッと見難しいそうです
しなかなか近寄りがたい作品に思いますがご安心くださいご視聴にあたって難しい予備
知識は一切入りません
いつも通り手ぶらで ok ですのでお茶でも飲みながらリラックスしてどうぞ最後
までお付き合いいただければと思いますそれでは参りましょう
john stuart mill 自由さまずは動画の全体像からお示しいたします
初めに自由論を理解する上で知っておきたい3大キーワードについてお話をしその後
中身に入っていきたいとおもいます
全部で5章立ての作品なのですが
お時間の関係上この動画では3章までの内容を中心に紹介をしてまいります
特に最後第3章の幸福の要素としての個性というパートは誰もが関係する人間の幸福な
生き方に関わるところですので是非最後までお付き合いいただければと思いますでは
早速3台キーワードカラー見ていきましょう一つ目は4
5的功利主義ですいきなり難しそうな言葉が出てきました
ですがまったくもって心配ご無用でございます
結論から言いますと質的功利主義というのは見るが提唱した新しい考え方のことです
もう少し詳しく言いますと従来の功利主義という考え方を見る画質的功利主義と
いう新しい考え方に開業したというようなイメージを持って頂ければと思います
そのうえで今から功利主義とはそもそもどんな考え方べ
なぜ見るは功利主義を質的功利主義という新しい形に修正しようとしたのかということ
をざっくりお話をいたします一般的に功利主義という概念が雪
めいされる際に必ずといっていいほど登場する定番のフレーズがありますそれが最大
多数の最大幸福
学校の授業でも出てくる言葉なのでおそらく聞き覚えがあるのではないでしょう
すごく簡単に言ってしまえば社会の中で生きる一人一人の利益や幸福を数字にして全部
たした時の合計が大きくなるほど望まし
それによって社会全体の幸福度を上げてより良い世界を目指していきましょうという
考え方のことです
もちろん最大多数の最大幸福だけで交流
次のすべてを説明することはできないのですが功利主義の主たる特徴を示すフレーズで
あることをまずはざっくりと押さえておいていただきたいと思います功利主義という
考え方の歴史は古く
実は紀元前から存在していたと言われていますただ実際にそれを体系化したのは18
世紀に活躍したイギリスの思想家ジェレミーベンサムと
いう人物ですそしてい技術にはもう1人功利主義を提唱する学者がいました
それがジェームズ見るそうですこの見るという名前から推測できるように本日の主役で
あるジョンスチュアートミルのお父さんですジェームズビールはベンサムの愛弟子で
あり彼の功利主義の影響を強く受けていました
そのためブスこの日もいずれはベンサムのよ
ような偉大な学者になってほしいと願い幼少期から徹底的な英才教育を施していたと
いいます
その結果息子の場は才能を花開かせ様々な言語や学問をマスターしていき
ベンサムの後継者として周囲からも大きな期待が寄せられていました
そして彼自身もレン様が思い描いていた理想実現する
音が社会の幸せにつながりそれを果たした先に自分の幸せが待っていると信じ
努力を続けていましたところが二十歳の時なんとジョーはうつ状態になってしまったの
ですこれを契機に彼はこれまでの自分の生き方を冷静に振り返り
理想の社会の実現を果たしても個人的な幸福からは程遠いという現実
に気がつきますそしてこれまでずっと崇拝していた
ベンサムの功利主義に対しても疑いの目を向け始めたのです
具体的には人間のかイラクや苦痛はすべて
量的に捉えて比較が可能でありさらにどんな回楽だろうとどんな苦痛だろうと質的な
優劣はないと唱えたベンサムに対していやそれはちょっと違う
んじゃないかとみるが考えたわけですそして彼は自身の著作である
功利主義論という作品の中であの有名な格言を払ったのです
満足した2であるよりも不満足な人間である方が良く満足した愚か者であるよりも不
満足なソクラテスである方が良い
つまり人間のかイラクや苦痛には a
続で下品なものもあれば交渉で上品なものもあるのでそれを一緒に考えてはいけない
そこには明らかに質的な差が存在すると時従来の功利主義に修正を加え
質的功利主義という新たな考え方を誕生させたのです
そして2つ目のキーワードは多数派の先生です
多数派の意見こそが正解であって超2ハロ意見は間違っている
このように社会全体が多数派の意見によって支配されてしまう状態のことを多数派の
先生と言います
もしそうなれば間違った意見でも正当化されてしまったり
少数派度存在が無視されその結果与論が画一化されたり
民主主義が機能し
なくなってしまうのですみるが活躍した19世紀のイギリスといえば産業革命によって
社会は目覚ましい発展を遂げ
労働者階級の人々にも徐々に選挙権が拡大していった時代ですそんな中彼は
た2派の先生によって民主的な社会が実現しなくなってしまうと強い警戒心を抱いてい
たのです
そして3つめのキー
カードは社会的自由です社会的自由というのは一人一人の人間が社会の中で自分の主義
思想り基づき
月にもろを言ったり表現したり行動したりする自由のことをいいます
例えばどんな音楽をカナダ様がどんな出版物を作ろうがどんな意見も魚の中に対して
発信しようが

前に自由であればそれは社会的に自由であることを意味します
一方で今日の晩ご飯何を食べようとかどこの大学に進学しようかとか自分の意思で自分
に関する物事を決められる自由路ことを医師の自由と言いますここで押さえておいて
いただきたいのは本書のタイトルとなっていう自由論という
のは社会的自由がテーマになっているということです
もう少し具体的に言いますと人間は結局のところ
社会の中でどこまで自由な発言をしたり行動したりすることが許されているのか
また世間は人間の自由に対してどこまで口出しをしたりやめさせたり関与したりできる
のかということを見るはこの作品の
中で明らかにしようとしたというわけですさあここまで宜しいでしょうかそれでは以上
の点を踏まえまして
自由論の中身に入って行きたいと思いますでは第1章序論から見ていきましょう
本書のテーマは哲学用語で言うところの石の自由ではなく市民的な自由社会的な自由に
ついてである
逆に
ば個人に対して社会が正当に行使できる権力の性質およびその限界を論じたい
はい
心止めます早速キーワードである社会的自由が出てきました
社会が正当に行使できる権力の性質およびその限界を論じたいというのは要するにどこ
まで世間が人間の自由に対してあれこれと鑑賞できるのか
その1000匹をしたいのだと言っているわけですそして彼は自由路の
テーマを述べたあとこの本によって成し遂げたい目的について次のように述べます
本書の目的は極めてシンプルな原理を明らかにすることだ
つまり社会が個人に干渉する場合法的な強制手段であれ
与論という心理的な圧迫であれその関わり方が本当に正しい
c のか間違っているのかそれを決める一つの原理があることを示したい
その原理とは1個人や集団に対してあれこれと干渉したりすることが許されるのは自衛
のためである場合に限られるということはつまり文明社会においては相手の意に反する
力の行使がす
正当化されるのは他の人々に危害が及ぶのを防ぐために限定されるのである入っ心と
思いますつまり見るは何でもかんでも自由にやっていいと言っているわけではなく肉体
的精神的な気概を他人に与えない限りどんな発言もどう
な表現もどんな行動も人は皆自由であるべきだと説いているんです
もう少し具体的に言うとこっちの方があなたのため社会のためになるのだからこっちを
選びなさい
こっちのやり方の方が正しいんだからこの方法を選択しなさいというように他人に何か
を矯正したり従わなかったら罰を与えたりするのはダメですと鑑賞ガス
正当化されるのは人様に危害が及ぶ可能性があるときであってその人本人の日に関わる
部分については本人の自主性が絶対的に優先されるべきですと言っているわけです
ちなみにこれは子どもは対象外で成熟した大人を対象に論じていますその上で彼は自由
等社会の実現にはいくつかの
条件が必要であると考え次のように述べます
自分以外の誰かの生き方を強制される社会よりそれぞれが好きな生き方をしてそれをお
互いに認め合う社会のほうがどう考えても人類にとって有益だろう
ではそういった社会を作るためにはどうすればよいか
私は3つの自由
の実現が条件であると考えているまず1つは違憲と乾燥の自由だ
化学
宗教道徳こういったあらゆる問題に対して何を考えようが何を感情が本人の自由
つまり広い意味で言えば内面における良心の自由が必要なのだ
そして2つめが目的追求の自由な自分以外の誰かに強制されるのではなく自分の性格に
合った人生
を自分で設計できるどんな結果になろうと覚悟をもって自分の好きなことができる
周りの人間から馬鹿にされ普通じゃないとか間違っているとか言われても人に迷惑を
かけない限りにおいて他人の邪魔や干渉を受けずに行動ができるこういった自分の人生
の目的を自由に追いかけることが私たちには許さ
されるべきなのだそして3つ目が団結する自由だ
これも先ほどと同様に他人に迷惑をかけない限り人々はどのような目的だろうが団結
できる事由が必要だ
ただし団結に関わる人間は聖人であることまた団体に入ることを強要されたり騙され
たりもしていないことが前提となる
もしイン
は私が入った自由が尊重されない社会であるならばそれはどんな政治体制をとって
いようが決して自由な社会とは呼べないだろう
はいここで留めます意見と乾燥の自由目的追求の自由団結する家
以上3点が自由な社会には必要であると説いているわけですただどうでしょうか
文章だけ見ますと当たり前のことといいますか
そこまで驚くような内容ではありません実は見る本人もこの話は多くの人が少
力っていることであって別に新しい話でもなんでもないよと言っているんです
ではなぜ彼はあえて言葉にしたのでしょうか
それは多くの人がここに挙がっている自由を社会の中で享受できていないからです
自分の好きなように意見を言ったり感想を述べたりしたらたたかれる
自分の新たな夢に向かって進もうとし
たらそっちじゃないだろうと鑑賞される同じ志を持った仲間と団結したら
少数派だと言って適時されるそういう社会になってるじゃないか
だからもう一度人間にとっての自由とは一体何なのか一緒に考えてみようと言って
第2ショ馳走と言論の自由に進んでいくというわけですでは続きを見ていきましょう
充実した人生
を獲得するための大前提として人間には思想と言論の自由が必要だ
その根拠は大きく四つあるまず一つ目が公表するのを禁じられているいける
つまり世間から見れば間違っているとされている意見が
もしかしたら正しい意見であるかもしれないからな
相手の意見を頭ごなしに否定しそれを言うべきではないという態度を示すことはまるで
自分は絶対に間違った意見を口にしない人間であると言ってるようなものだ
かつて古代ギリシャにはソクラテスという名の人物がいた
後に現れた思想家の誰もがし
1仰ぎその名声は2000年以上たってもなお高まっている
彼の故郷アテネを輝かせる他の偉人たちの命税をすべてたしたとしてもこの男には
かなわない
そんな最高の栄養を受けるべきそくらですが不信仰と不道徳という理由で裁判にかけ
られ
犯罪人として死刑に処す
せられてしまったのだ人類はこの歴史的事件を決して忘れてはならないのである
そして2つめが間違った意見であってもその中にはなんらかの審理が含まれている可能
性があるということだ
いや実際のところ間違った意見の中に一理あることのほうが通常だと言える
どのようなテーマであろうが
一般大衆が信じている意見が100%間違いのない事実
すなわち真理であるということはあり得ないむしろいくらか間違いを含んでいるものな
のだ
だからこそ対立する意見が必要でありそして業者がぶつかり合う中でその間違いが正さ
れていくのだ
自分の頭で考えずただ世間に合わせているだけの人の正しい意見よりも自分の頭で考え
抜いた人の間違った意見の方が真理への貢献度は大きいのである
3つ目の理由はかっ
罰な議論がなくなると意見がただの偏見になってしまうということだ
例えば世間で一般に受け入れられている意見が100%正しい意見であったとしよう
さらにそれを誰一人疑う者がいなかったとしよう
もしそうなったらどうなるだろうか多くの人はなぜそれが正しいのかどんな合理的根拠
があ
あるのかといったことをやがて考えなくなり議論もしなくなる
その結果人々が真理だと口にするものにただ棒目的に従うだけになる
このような状態になればどんな正しい意見であってもそれは多くの人にとってただの
偏見以外の何物でもなくなってしまうのだ
そして思想と言論の自由が必要
である4つ目の根拠はオープンな議論の場が失われてしまうことによって自分がどんな
主義や思想を持って生きている人間なのかがわからなくなってしまうということが
一定の考えを持つことはその人物の性格や行動に影響を与え
人間を育てるという重要な意味があるもしそれを失ってしまえは私はこういう生き方が
したいのだという確信を持って生きることすなわち自分の人生を生きることができなく
なってしまうのだ
はい心食べますミルは思想とか
言論の自由が許されるべき根拠として4つのポイントをあげました
ざっと整理しますと少数派の意見の方が正しいことがある
間違ってる意見の中にも真理の一部分がある
議論なき意見はパンなる偏見である自分の考えが失われることは自分の人生の喪失を
意味する
だからどんな人
であれ思想と言論の自由が保障されていないといけないというものでした
さらに見るはこの後人間同士が議論を交わす沙莉
最もやってはいけない罪深い行為について指摘します
それは何かというと反対意見の人々を不道徳な悪者と決めつけることです
そうではなくて冷泉に相手のことそしてその意見を
観察し誠実に説明し相手の不利な部分は誇張せず相手の有利な部分は決して隠さない
それが公における議論の神の道徳であると言って第2章が終了するというわけです
では最後第3章幸福の要素としての個性について見ていきましょう
人間が不完全な存在である限りさまざまな意見があったり様々な生活スタイルがあっ
たりした方が有益なことだ
他人の外にならない限りみんながそれぞれ最大限に自己表現できるといいだろう
要するリタリンに直接関係し
ない事柄においては個性が前面に出ることが望ましいのだ
その人自身の性格ではなく世間の伝統や慣習にばかり従っていると幸福になるための
主要な要素も個人と社会の進歩にとっての重要な要素も失われてしまう
しかし残念なことに個人の持つ自発性に何らかの価値があるとかそれじゃ
タイを尊重しようといった考え方は一般的ではないむしろ警戒され
反抗的な邪魔者としてみなされることも珍しくないのだ
はいここで食べます第2章では自分の意見を持ったりそれを表明したりする自由につい
て論じていました
一方この第3章はそれらに基づいて行動できる自由
実行に移せる自由も同様に必要ではなかろうかということを検討していく part に
なります
そこで見るが注目したのは人間の個性ですつまり個性を伸ばすことが人間としての成長
につながり
またそれが個人の幸福につながりさらには社会の発展につながると考えたわけです
では具体的にどのような行動をとれば私たちは自分の個性を磨き
人間としての成長や幸福を手に入れることができるのでしょうか
この遠いについてみるは次のように述べています
もしあなたが自分の洞察力判断力学習力
さらには道徳感情といったあらゆる能力を着た
得たいと思っているのであれば今からいう一つのことを覚えておくといいだろう
これは何事においても自分自身が選択をするという言葉逆になんでもかんでも慣習や
ルールり従い自分で選択を行うことを怠っていれば自分にとって最も良い選択肢を
見極める力あるいはそれを
望む力も育たなくなってしまう知力も精神力も筋肉の力と同じで使うことによって
初めて向上するものなのだ
他の人がやってるから自分もやる他の人が信じているから自分も信じ自分の頭で理解
できない他人の意見を自分の意見にする
こんなことばかりしていたらあなた法
西は鍛えられるどころかむしろ減退するだまた自分自身の感性や性格に合わない行動を
とっているとやがて新たの感性も鈍くなり本来の輝きを失ってしまう
人生設計を他人に預けるような生き方はもうやめをそんなことで身に付くのは猿のよう
なも報道力だけでそれ以外の力
鍛えられない自分の人生を他人に預けるのではなく自らの力によって切り開いていく
そのためには自分に備わるすべての能力を駆使する必要がある物事をあらゆる角度から
眺め
観察し自分なりの仮説を導き出す力
物事を判断するための材料をかき集める行動力や判断力
さらには
自分の決定事項をやり抜けるだけの精神力本来人生にはこういったあらゆる力が必要と
されそれらは使われることで初めて強化されていく
あなたが一生をかけて完成させ磨き上げるべき作品の中で最も重要な作品
それはまさしくあなた自身なのだはいここで留めます
要する
で自分に関する選択を他人や社会の慣習やルールに委ねてはいけませんとなぜならそれ
をやってしまうと自分の成長にも繋がらないし
往復も遠ざかるし社会の発展にとっても良くないし社会全体の幸福度も落ちていくし
とにかくいいことなんか全然ありませんよとそのようにおっしゃっているわけです
しかし多くの人はた
2派の先生によって思考や行動を縛られ自分がすべき選択を他人に預けてしまったり
自ら個性を捨てたりしてしまうですでは多数派の先生を打ち破るためには一体どうすれ
ば良いと見るは考えているんでしょうか
次で最後ですそれでは続きを見ていきましょう平均的な人間ばかりを集めた大衆の意見
がどの国においても支配的な力となった
よろはそれに反する少数派の人間を自分達とは違うものとして非難する傾向にある
ではこの多数派の先生を打ち破るにはどうすればよいのだ
廊下それは私たち自身がなるべく変わった人間になることだ
性格の強い人がたくさんいた時代や地域には変わった人もたくさんいた
そして社会に変わった人がいればいるほどその社会にはずば抜けた才能に恵まれた人材
が発見されるものなのだ
ところが今日の車
海を見てみるがいい大倉ものは大衆の中に息を潜めながら本来ある個性を殺し
あえて変わった人間になろうとすることを怖がって諦めている
この現場こそ今の時代の最も危うい点なのがもちろん自分の生き方を自分で決めたいと
主張できるのは優秀な人間だけではない
そもそもす
べたの人間を生んだから気張った方に合わせて形成しようとすること自体が理不尽で
おかしな話だと私はそう言いたいのだ
人間は羊ではないいや羊でさえもどれも区別がつかないほど同じではないだろう
それぞれに異なるリン軒は精神的に成長するための条件もミラ異なる様々な職
グッズが同じ環境同じ気候の中では育たないように人間全員が同じ環境の中ですくすく
育つことはあり得られある人にとっては人間性を高める行為が別の人にとってはその
妨げになる
またある人にとっては心を弾ませるような楽しいライフスタイルが別の人にとっては
心理的負担とな
精神を破壊させることもあるにもかかわらず多くの人は誰もがすることを選択しないと
容赦なく叩いたり
人がしないことをすると人間の道から外れたものとして軽蔑をシャリなんだ目立った
性格を持たないこと
理想的な性格だと言ったりする世間の観衆はこうやって人類が前に進もうとする
事を絶えず妨げてきたのだもしわれわれが何も抵抗をしなければますます画一的な生活
スタイルに追い込まれ人間の個性は容赦なく破壊されるだろう
それを食い止めるには初期の段階で押さえ込むしかない
つまり個性の大切さを主張する時が有るとすれば
今がまさにその時なのだはいここ
止めますつまり多数派の先生を打ち破るには一人一人が変わった人間つまり個性的な
人間になることが望ましく
社会もそれを容認すべきであると唱えているわけです
また第3章全体を通して改めて注目していただきたいのは
みるわ1個人の幸福だけではなく
質的功利主義者という立場から社会全体の幸福の底上げを考えていると言うたんです
そのため彼は多数派の先生を抑え込み
個性が育つ社会つまり独創性や多様性が当たり前のように許容される社会を作ろうと
試みたのです
世間の慣習やルールに従い秩序を保つことを重視するのか
それとも人間の自由や個性を尊重し進歩を目指すことを重視するのかどちらも正しさが
含まれている重要な問題ですが皆さんはどうお考えでしょうか
ぜひ実際に自由路を選んでいただきご自身の心の中にある答えを探して見ていただけれ
ば幸いです
はいというわけでジョンスチュアートミルの自由論以上
同大ございますいかがでしたでしょうかざっくりとした内容で恐縮ですがなんとなく
全体像をイメージいただけたでしょうか
ちなみに自由論は講談社さんから漫画版もてています
この版が版は見るとほぼ同時期に活躍したイギリスのサッカーんチャールズディケンズ
のオリバーツイストという小説のストーリーとうん
悪ミックスされていて時代背景が読み取りやすくオススメです
オリバーツイストといえば子どもを主人公とした初めての小説であり
商連漫画の源流とも言われる作品です
みるとディケンズが活躍した19世紀のイギリスは貧困層によって捨てられた子供たち
が町売あふれ
使い捨て労働者として人間扱いされていなかった時代でした
そんな中で原図はあえて子供を主人公とした物語を描きん
弱き者を守ろうと当時の社会に対して戦いを挑んだのです
みるも自由論の
ごはんで親が責任を持ってしっかりと子どもの教育を果たすべきだと強調しているん
ですがその言葉の裏にはこういった時代の文脈が流れているのです
また見るは晩年に親しい友人から自分の子供の名前を付けてほしいと依頼されたといい
ます
そして彼はその男の子に自分の想いを託すようにある名前
4わなへその翌年天に旅立っていきました非常に優秀で勉強熱心であったその男ロゴは
自分の名付け親であるジョンスチュアートビルの思想落ちにくに変えやがて立派な学者
へと成長していきました
その人物こそ後20世紀最大の地政と呼ばれる
バートランドラッセルです彼の代表作である幸福論もこれからの生き方
かを考える上でたくさんのヒントを与えてくれる作品ですのでご興味のある方はぜひ
チェックしてみてくださいこの動画が面白かった参考になったという方は高評価
コメントなど頂けますと嬉しいです
またチャンネル登録もよろしくお願い致しますではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました
[音楽]

この記事を書いた人