【人生100年時代の必読書】風姿花伝|世阿弥 大丈夫。あなたは一生輝ける… ~室町時代より伝わる秘奥義の伝授~

 

 

配当も阿波太郎です本日は世阿弥の風姿かでこちらをご紹介いたします世界最古の舞台
芸術
能に関する奥義が秘められた室町時代から伝わる古典的名作でございますうしか出んと
イラスト学校の教科書にも名前が出てきた受験にも出てきたりするような有名らしい
クイーンですが実際にどんな内容かご存知でしょうか
ざっくり言いますと競争社会の中で勝ち抜いていく戦略そして年齢を重ねても生きがい
やホコリを失うことなく美しく生きていく術を教えてくれる作品です
確かに風刺かでは脳に関する本ですですが実際に読んでみますと
ある時は経営やマーケティングに関する本に思えたりまたある時は
芸術論や人生ろあるいは哲学書のようにも思えたり
読者の年齢立場状況に応じて顔を変えながら常に新しい教訓を与えてくれる
実に不思議な魅力を持った本なのですもしかしたらず闇
という名前も分しか年という名前も知らないを聞いたことがないよという方もいるかも
知れませんですが
初診忘るべからずとかあの人は華があるといった言葉については聞いたことがあると
思います
これらはすべて
世阿弥が生み出した言葉になります彼は天才的な能楽師でもありましたが新しい言葉を
生み出す天才でもあったのです
また余談ですけれども皆様もよくご存知の紅茶家でこれは風刺かでももじった商品に
なりますつまりすごく遠いように覚えて実はとても私たちの身近にあるのが今日
これからお話しするテーマなのですこの動画をご視聴いただくにあたって予備知識は
一切入りません
世阿弥のことも脳のこともエキシのことも知らなくて大丈夫です
手ぶらで ok でございます難しい言葉や表現はすべてわかりやすい言葉にして
カジュアルに進めていきますのでぜひ安心して最後まで楽しんでいって下さいそれで
はまいりましょう世阿弥風姿カネサ
まずこの動画の全体像からお示しいたします
はじめに作品の背景としてノート世阿弥
そして彼が活躍した時代についてお話ししそれを踏まえた上で作品の中身に入って行き
たいと思いますではさっそく1つ目
作品の背景から見ていきましょう
まずノートは何かというと能面という仮面をつけて行う
演劇のことです定格に言えば音楽と踊りと演劇を融合させたか
ぶー景気と呼ばれるものになりますですからミュージカルとか
オペラに近いようなイメージですねただ扱っているテーマが人間の怒り悲しみ苦しみと
いった側面になりますので脳に対してなんとなく暗いというイメージを持たれている方
もいるかもしれません
ただこれは観ている人を無意味にくらい機
後にさせたいわけではないんです実はその逆です社会の中で仲間はずれにされたり
虐げられたり重たい病気になったりひどく傷つけられたりして最後は非業の死を遂げて
しまった
そんな人間の救われない心魂を鎮めるという文脈がそこには流れているのです
そして非業の最期を遂げてしまった人をもう一度現実世界に蘇らせてそして供養して
あげる脳にはそういった弱き者に寄り添う精神
優しさが根本にあるのだということをまずは押さえておきましょう
じゃああの特徴的な能面ちょっと怖いですけどあれは一体なんなのでしょうか
脳に限らず
仮面劇というのは中国とかヨーロッパとか世界各地であるのですが共通して言えるのは
仮面をかぶるものは基本的には人間ではありません
亡霊とか鬼とか神様仏様といった
人間以外の存在を表しているとイメージしてくだされば良いと思いますあとは脳裏にた
狂言という演劇についても触れておきましょう
脳が怒りと悲しみなどを描く乗り大司教件ははないです
もちろんただ面白可笑しいことを言い合っている喜劇ではありません
そこには鋭い人間観察がある
今も昔も変わらない人間特有の愛すべき愚かさを切り取ってそこを笑いに変えるという
セリフ劇になります
能と狂言は扱うテーマは違えどその源流は奈良時代に中国からもたらされた
山岳と呼ばれる芸能に行き着くと言われています山岳というのは綱渡りのような曲名
忍足歌謡やモロバレをしたりするいわゆる大衆芸能です
それが日本に来ると演劇と融合されたり様々な変遷をたどりながら
猿楽と呼ばれる新たなげーろり変化していきます
そして室町時代になるとこの猿楽は演劇の色合いがどんどん濃くなっていきやがて猿楽
能と呼ばれ
いるようになっていきました実は当時京都周辺には
猿楽能も演じる一座いわゆる同業者集団がひしめき合っていて生き残りをかけている
そんな芸能サバイバル時代だったのだ
そんな中お隣の奈良県に小さな猿楽能の一座がありましてそこの棟梁を務めていたのが
世阿弥のお父さんである鑑みという男でした
彼は天才的な役者でその芸の評判は瞬く間に世間に広がってき当時の奈良県内では
収まりきらなくなっていきますそして館
神はついに芸能のメーカー京都に進出し我ら一座の興行をやろうじゃないか
てっぺんも取ろうじゃないかと決意をしますそして7日間京都の醍醐寺というお寺れ
猿楽能を披露したわけでございますがこれがドカンと受けまして
当時の大名から名前を覚えてもらい仲良くなり
関係を持つようになっていきます
そんな中観阿弥の一打に転機が訪れます
なんと近々予定している京都の今熊野神社で行う工業り
飛んでもらいビッグネームがお客さんとして見に来るという話が鑑みの耳に入ってき
ますその人物とはなんと室町幕府第三代将軍足利義満
ラスボス様の抗利尿剤
ますしかも足利義満はサルが黒を今回見るのが初めてだったといいますかんあみ一座は
この千載一遇のチャンスをつかもうとミラ命がけで猿楽のを将軍の前で披露しその結果
見事大きな賞賛を得ることに成功します
このことは一座にとっても猿楽という芸能にとっても非常に大きな一歩であったという
ことは言うまでもありません
ただその場にいた将軍や貴族たちを最も魅了したもの
それは当時若干12歳であった鬼や者と呼ばれる一人の少年でした
そして彼こそがのちに能を大成することになる
円債能楽師闇です第なぜまだまだ修行の身であるひとりの少年が大勢の聴衆を魅了し
その場を支配してしまったのでしょうか
それは当時のず闇少年がこの世のものとは思えないほど美しい少年であったからです
さらに足利義満さ彼は若くて美しい男の子が
大変好きでいらっしゃったということで世阿弥は時の最大権力者の心を一瞬にして
鷲掴みにしてしまったわけです
ただず闇少年は顔が良いだけではありません
は彼も呼べるし蹴鞠もできるし貴族とも十分交流が持てるだけの教養まで兼ね備えてい
たといいます
ですから将軍もとりま
昨日貴族もみんなで世阿弥少年をちやほや可愛がっていたと言いますこの華々しい
世阿弥の少年時代は風姿花伝を理解する上でもとても重要なポイントになりますでは
将軍義満に気に入られるとかんあ水闇お役にとって
何が良いのでしょうかそれはもちろん一座のパトロンになってもらえるというたです
能面衣装楽器といった道具を維持すること
さらに自分たちの技術を高めより良いものを追求していくこと
これにはそれなりのお金がかかりますそんな中日本の最高権力者である吉光に気に入っ
てもらえたことは
1
いざにとってもこの上ない幸運であったわけですそれから約10年後十両ロカン編みが
52歳で亡くなり
当時22歳の若き世阿弥がついに一座を率いることになります細かい話は省きますが
この時頭や日は現代まで演じられ続けられているようら新しい名作をどんどん作って
いきました
つまり今の脳の素地を作ったわけですただそんな彼には一つ大きな悩みの種がありまし

それは子供がいなかったことによる後継者問題です
偉大な父観阿弥から引き継いだ伝統を自分の代で途絶えさせるわけにはいきませんから
彼にのしかかるプレッシャーは相当なものであったと思われます
そんな
kazuya 実は自分の甥にあたる音亜美ということも自分の容姿として部下へ
入れることにします
そして30代を過ぎたあたりで自分が鑑みから学んだことを
ゆっくり鯖まだ医大に引き継ぐことを本気で考え始め
世阿弥はついに筆をとります自分の後継者のため自分の家のためり
そして脳という芸能を途絶えさせないため彼は書き続けました
そして何度も何度も直してはまた書き続けました
そして世阿弥が56歳にな
あった頃に10年以上という歳月を経で命を賭けて紡いだ能楽の晴天がついに完成し
ます
その名は風刺から今から皆さんと一緒に読んでいく作品になります
さあここまでよろしいでしょうか以上の背景知識を踏まえて作品の中身入っていきたい
とおもいます
全部は紹介できないのでこの動画で
は風姿花伝の最重要キーワードである花この言葉を軸にして作品を大きく3分割してお
話ししますひとつが自分の腹2つ目が日する花
最後3つが因果の花です世阿弥が生涯追求したと言われる肌とは一体何だったの
でしょうか
そしてどんな思いを込めて
の風刺かでも残したのでしょうかではさっそく1つ目
自分の腹から見ていきましょうち小屋商連には腹がある
何を演じさせても
人を魅了する美しさがあるしかしこの子どもたちが持つ原というのはえいえんに
咲き誇る真の花ではない
ほんのいっときだけしか差がないかりそめの原
すなわち自分の花であるまた20代半ばになると自分よりも実力が上かクゥエル
お相手を次々と内刃課すことがあるその結果本人も周りから賞賛を浴び
思わず舞い上がってしまい自分はすごい人間であると勘違いをするのだ
残念ながらこれも真の花ではない若さゆえの美しさ
何失われる自分の花なのだ
この時期にどんな手柄を
あげようとも名人に勝つようなことがあろうとこれは真の花ではないそうやって謙虚に
自らを戒めなければそこで成長は止まってしまう
まだまだ自分は学ぶべきことがあるそうやっていろんな人に教えを請いながら自分を
高めていかなければならない
it キロ腹を本物の実力で
アルド勘違いしてしまう心が真実の花の心
遠ざけてしまうのだ30代半ばになれば能役者として前世を極める時期となる
もしこの時期に名声を得ていないようであればいかに芸達者であろうともそれはまだ
真実の花を会得しているとはいい
がたい40歳を過ぎると体力も衰えてくるそれゆえ
40過ぎの力量の衰え方を見ればその人間が真実の腹を会得した人物であるかどうか
一目瞭然なのだ
ゆえに繰り返しになるが30代半ばまでが正
それを肝に銘じるのだそう
て今までどんな時間の過ごし方をしてきたのか
そしてこれからどう過ごしていくのかこの時期は自分自身をよくよく振り返り
時間の使い方を考えておかねばならない
そして40代半ばのころとなると役者として大きな転機を迎える年をとる立れ昔あった
ような見た目の華やかさ
闇力が落ちていくだがこれはもう
致し方のないことだこの場合は若い者に腹を持たせ
無理せず自分に合った演じ方をすることが肝要だ
自分はまだまだできると若者のように無理をしても肌から見ればもう花はなくなって
いることに気づかねばならない
50歳近くになれば
江原を持っているものは40歳よりも前りぷ点火から名声を得ているものだ
こういった名人こそ己自身をよく心得ておいてしかるべきであり
より層はか今ロリ腹を持たせるべきだろう
くれぐれも自分の実を砕いて我も負けじと若者と同じような演技をすべきではない
自分自身のみの状態をよく認識し今自分が何をすべきかを理解しているそれこそが本物
の名人なのだ
そして50を越えいよいよ高齢人だったら何もしないという以外に手立てがなくなって
くる
麒麟も老いては駑馬に劣るという諺があるだろう
つまり怒り
優れた人物も歳を取れば普通の人にも勝てないということだしかし本当に優れた役者で
あれば
見どころは少なくなってもなお花が残っているものだ
我が父鑑みは52の時にこの世を去ったが亡くなる直前に駿河国の浅間神社でノー奉っ

そのヒロ猿楽は
まことに華やかであり身分の高いもの低いもの
一堂になって称賛した俺はすなわち我が父鑑みが真実の花を会得していたからにほか
ならない
たと枝葉が少なくなったおいた気になったとしても花1残る
私はその姿を確かにこの目で見届けたのだ
はい
ここで一旦と思います子どもから老人になるまで
細かく年齢別にアドバイスがされているのがわかると思います
つまり浮き沈みの激しい進退芸能の世界で生き残っていくにはその年齢に応じた戦い方
マインドが必要だと説いているわけですだいぶ端折って言いますが実際に読むとかなり
厳しい言葉が並んでいます
また集第2集
愛の若さゆえの美しさは真の花ではないとありましたがもしかしたらあの場面が
思い浮かんだんじゃないでしょうか
そうです当時12歳であった世阿弥が初めて
今熊野神社で義満の前で猿楽能を披露した
あの場面ですこれを契機に義満は感が水闇親子教え
することにしとくに世阿弥については他の貴族たちが嫉妬するほどの特別待遇をしたと
言いますつまり少年期の世阿弥は自分の花が咲き誇っていたわけです
ただ彼には自分以上に吉光から寵愛を受けていた同世代の役者がいたことや
燗阿弥のシドいう様々な試練と対峙する
中でこれは真の花ではないと自らを律し
ゲーの追求に勤しんだろうですまた父鑑みが死の間際に披露したのーり華が残っていた
とず闇は言っていました
つまり若者のような強さはない
艶もないしかしそこには年を重ねた人間にしか出せない色気や美しさがあったんです
それを世阿弥は置いた気に宿るは頭から花に例え
これこそ目指すべき真実の花でありそれを手にするための人生戦略を風姿花伝の冒頭に
磨いたというわけですはいというわけで次
二つ目の日数
いる鼻について見ていきましょう花とは一体なんだろうか
私はこの9年においてそれを伝えたいとまずあらゆる物事を花に例えた
その通りを知らなければならない花というのは四季折々に咲くものである
それを見ることで私たちはもうはるか
もう冬かと季節をしそしてはたその腹を美しいと感じる
つまり脳についてもこの通りが当てはまるのだ
人間の心に浮かび上がるあー珍しいという気持ち
物事ああ面白いと大気持ちこれは本質的に同じものだ
花そして面白い馬頭
足これら3つはすべて同じ心から発せられているものなのだ
花というものはえいえんには生きられない必ず家
しかし散るからこそそしてまた作からこそ
たまらなく面白く珍しい色だ
脳は消して一つのところにとどまり続けるものではない
次々と新しいものに変化していくだから人はそれを面白い
珍しいと感じるこれこそが腹というものなのだ
そしてもう1月する羽成ついて知っておいてほしい
秘すれば花なり秘せずは花なるべからずっつまり秘めているからこそそれ
が羽成なるのだもしそれを公のバリスタらしい
手の内を明かしてしまえばそれはもはや花ではな決めるか姫ないか
この境目は極めて重要だということを心に留めておくのだ
これは何も脳に限ったことではないあらゆる所芸能において
秘め事というものがそれは秘めて
おくことそれ自体に大きな意味があるからだ
あるものはそんなものを内緒にしていったい何になるというかもしれない
しかしそれは物事を秘めることの真の意味を理解していないのだ
見ている代わりこちら側度演出演技その手の内すべてが悟られていたらどうだろう
相手の心の中に
珍しい面白いそういった感情が果たして湧くだろうか
だから見てくれる相手のためにもどこに華があるのかはこちらが意図して伏せておか
なければならない
それによって演技を観る者はあ
今回はそうきたかと驚き感心し面白い珍しいと感じ取ってくれる
そしてそれがまた演者にとっての端にもなるのか
この日せる花というのはあらゆる勝負事の法則でもある
例えば強い者が弱い者に負ける時そんなてを使ってきたかと驚かされることがある
だろう
知っておけばなんてことはないしかし知らなかったがゆえに負けてしまう物事の
勝ち負けとはこういった秘めるか姫ないかで決まったりするものばのだ
ただ秘め事をする際には相手側にこいつは何やら秘め事をしているとと決して悟られて
はいけない
なぜなら相手を警戒させてしまうからだ敵が油断をし
対策を取れぬうちに叩きのめすそれが勝負事の鉄則だ
秘すれば花なり秘せずは花なるべからずこのことをよくよく心に留めておくことだ
はいここで一旦を止めます能楽師というよりも勝負師という方がしっくりくる
そんな世阿弥の思考が垣間見れたのではないでしょう
ワンパターン化すればお客さんから飽きられファンが離れていってしまう
コモディティー化すれば強豪と同質化され
埋もれていってしまうだから彼はそうならないように
常に面白さ珍しさを追求したのです
その上で決して自分の手の内は明かさないいせる花の重要性を説いたわけです
また観阿弥の死後世阿弥が新作の脳をバンバン作ったとお伝えしましたがこれはつまり
常に新しいもの珍しいもの面白いものを追求している何よりの
証拠なのですもっといえば父観阿弥の遺産だけを大事にしてそれをお決まりのように
繰り返しているだけでは自分たちは生き残れない
だから彼は危機感を持ってどんどん商品開発をしていったわけですねちょっと待って
ください
なんで能の世界なのにそんな敵を打ち負かすとか
バチバチした勝負事とかの
話になってるんですかそうやって疑問に思われた方もいるかも知れませんので一応補足
をしておきます
相撲の世界で力士が取組みを開始する瞬間のことを立ち合いと言いますが実は脳の世界
にも立ち会いという言葉があります
具体的には違う流派の役者が同じ舞台に
上がって芸を競いやそれが能の世界における立ち会いですそして世阿弥が生きていた
時代というのは猿楽ろ一座がゴロゴロひしめいていたため
立ち合いが一座としての命運役者としての命運を左右するほどの真剣勝負の場だったの
です
ですから世阿弥はこんなにも熱く戦いの極意を磨いていたというわけですはいでは次に
行きましょう
最後は因果の花です因果の端なりついて知ること
これは極めて重要なことだこのよろ一切は原因がありそして結果がある
例えば幼少期から蛍光津美
それによって名声を得たのであればそれは数々の傾向積んできた歴史が原因であって
名声というのはその結果だ
したがって良い結果を得たくばその原因をよく見つめなければならないただ時の運と
いうのも結果に大きな影響を与える重大な要素といいある
去年
が良かったけど今年はまったくダメだそういったことは実際にはよくあるものだ
こういった時の運というのは我々人間の力の及ばる範囲のものである
しかしそういったことが現実にはよくあるということはまずもって頭の中に入れておく
べきだ
誰だって調子がいいとき悪いときはあるが仮に悪い
時に勝負しなければならない時があった年を
この場合自分にとって最重要な勝負でないならばあえて力を抜き
勝敗を気にしないことだもしかしたら周りは一体どうしたものかと不思議に思うかも
しれないし
あきれてしまうかもしれないしかしやがてここぞという大一番が来たら一気に力を入れ
自分の強みを発揮するのだ興ざめしていた周りの人間たちもあぁそうきたかと驚かされ
最終的に正
火をつかむことができるだろうつまりこれが先ほど伝えた
珍しい面白いという日せる花のなせる業なのだ
そして調子が悪かったという原因がかえって良い結果を生むという因果の花の意味する
ところなのだ
大乗仏教の経典の一つ維摩経リはこんな言葉がある全額
フリじゃ焼一如つまり善も悪も本来別物ではなく
突き詰めれば一つのことだと説いているのだ本来良いとかを悪いとかそういった区別は
なによって定めるべきであろうか
ただそのときの時代の流れや常識タイミングや人の好み
様々なことの巡り合わせに
あるものだけなのかもしれないであればその時の大方の好みに応じてその時に
ふさわしい演じ方をするべきであろう
つまり相手の心に合わせてその時々に応じて最も適切なものを用いること
これもまた花なのである
この別紙6連は我が家の大事であり1台一人に限り送電する
たとえわが子1人といえども送電するにふさわしいサイロ
人格が備わっていなければ決して伝えてはならない
この書は多くの徳を積みゲーの奥にある花を極める
そのためのものではプレ暮れも秘伝とす
いるよーりはいここで風姿花伝はおしまいです
一座の存続のため世阿弥が立ち会い勝負に相当重きを置いていたということが全体の
文章からよく伝わってきます
特にど根性で全勝を目指せと無理強いをするのではなくきちんと時の運母校料理入れ力
を温存しながら勝負どころを3
極めて勝利せよというあたりはまさに策略家です
また最後り家柄や血筋ではなく本当に注ぐべき人間に継がせてやってくれと言い切る
ところには
世阿弥という人物の人間性その人らしさを感じ取ることができますそして最後の1文で
彼は秘伝貴殿と
2回繰り返して筆を
おくことになるのですがまぁ今風に訳すのであれば絶対に絶対に言うなよということに
なります
ただ今こうやって一般に知られるようになっていますがいったいいつから秘密が王役に
なったかご存知でしょうか
なんと20正規です明治時代になるまで
風姿花伝は存在すら明かされていなかったのです知っていたのは江戸幕府を作った
徳川家康といった将軍クラス後は脳の継承者だけだそうです
つまり世阿弥が生きていた15世紀から実利約四百年牛か電話
大切に対応
施設に守られてきたのですそして今能楽は
観阿弥世阿弥の遺志を継ぎ世界最古の舞台芸術として約700年という堂々たる歴史を
築いています今回の話で興味を持っていただいた方は実際に風姿花伝を選んでいただき
その上でノー直接楽しむ機会を持って頂ければと思います

網が伝えたかった花とは一体何だったのかぜひあなたの心で感じ取ってみてはいかが
でしょうか
はいというわけで風刺かね以上でございます a いかがでしたでしょうか
前回紹介した荒らせるが自分の世界を広げましょうというお話でしたので今回は
思い切って農をテーマにしてみました
なかなか今頃など
タイミングが難しいと思うんですが是非ご興味だけでも持っていただけたらなと思って
おります
また非業の死を遂げた人を現実世界に蘇らせて供養するというのをの世界観は実は最近
流行っている
姫つの刃の世界観とも重なっているのでそういう視点で最新のエンタメを楽しんでみて
もいいかもしれません
面白かった参考になったという方は高評価コメントなど頂けますと嬉しいです
またチャンネル登録もよろしくお願い致しますではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました

この記事を書いた人