【名著】茶の本|岡倉天心 ~日々の疲れとストレスを癒す、極上の哲学~

 

 

配当も阿波太郎です本日は明治時代に活躍
した美術運動家岡倉天心の代表作茶の本に
ついて紹介を致します先にお伝えしますと
この作品はお茶の解説書や啓発書ではあり
ません日本人の瓶敷行き方そしてこれから
の東洋文明のあり方などをさ可能という
切り口から世界に発信した歴史的名著に
なります文化芸術に関心のある方は
もちろんのことクリエイティブなお仕事を
されている方毎日がつまらないと嘆いて
いる方自分の生き方に迷いがある方にも
ぜひ手に取っていただきたい一冊です岡倉
天心といえばほ国語並みの英語力を武器に
世界を渡り歩きボストン美術館の不調を
任せられるほど西洋文化への造詣が深い
人物でしたまた彼が活躍した明治の日本は
国をあげて西洋化を推し進めていた
いわゆる文明開化の時代にあたります
しかし転身は西洋化というビッグウェーブ
に乗るのではなくむしろそのオーナー3に
向かって真正面から激しくぶつかっていき
ましたそして自身の生き方や数々の著作を
通し東洋の伝統的な人そこに宿っている
精神を訴え世界に衝撃を与えたのです一体
転身は代表作茶の本の中にどんな
メッセージを込めたのでしょうかまたそこ
から導き出されこれからの時代を生きる
ヒントとは何なのでしょうか彼が辿った
波乱の人生を振り返りながら皆さんとこの
問題について一緒に向き合ってみたいと
思いますそれでは参りましょう岡倉て真茶
のホさあまずはこの動画の全体像からお
示しいたしますはじめに本書を読むに
あたっての背景知識として岡倉天心が辿っ
た人生と当時の時代背景をざっと紹介し
その後に本書の中身に入ってまいります
具体的には煩わしい世界を生き抜く2つの
知恵アートに学ぶ表現力と対人関係力離宮
最後の茶会という3つのテーマに沿って
進めてまいりますさあというわけで早速
背景知識から見ていきましょう岡倉天使彼
は1862年貿易商の次男として横浜に
生まれました当時の横浜といえば江戸時代
から何百年と続いてきた鎖国の時代に終止
符は打たれ新たな自由貿易の拠点として
賑わい始めていた時期にあたりますその
ため横浜湖周辺には西洋諸国からやってき
た商人たちがひしめき合い日本とは思え
ないほど国際性が豊かな環境であったと
いいますキーとの輸出業務を営んでいた
点心の父親は日常的に西洋松林とやりとり
する機会が多く外国語習得の必要性を日々
感じていましたそこで彼は息子の転身を
アメリカ人宣教師が開いている塾に入れ
英語を身につけさせました父親から十分な
教育を施された点心は14歳になると新設
されたばかりの東京大学に第1期生として
入学しそこでとある西洋人との運命的な
出会いを果たしますその人物の名は
アーネストフェの多さ彼は日本政府から
東大の講師として招かれたアメリカの哲学
者で主に政治学哲学史経済学などを学生
たちに教えていましたまたフェノロサは
美術品のこれクターでもあり中でも日本の
絵画神社仏閣といった伝統美術に対し強い
関心を持っていました英語が堪能であった
点心はフェノロサの助手として抜擢され彼
の研究や美術品収集の手伝いをするにつれ
日本の伝統美術の美しさに惹かれていった
と言いますただ当時の日本といえばメール
二維新が終わった直後ですつまり誰もが
日本の伝統的な芸術はもう時代遅れであり
a ようこそが最新式でそれを真似する
ことが正しい色だと考えていたいわゆる
文明開花の時期にあたりますさらには対物
希釈と言ってなんと国民自ら自分の国の
貴重な文化財である寺院や仏像を壊して
回るという運動が全国的に行われていたの
ですこれに対しフェノロサはなぜ日本人は
古代ギリシャやローマの美術にも匹敵する
自分たちの文化や芸術を壊し西洋の真似事
をしているんだとショックを受け日本人の
誇りを捨ててはいけないと国民に訴えまし
たその上で彼は自らの足で古い寺などを
回りこれ以上日本の分風が強されないよ
保護活動を始めることを決意しますただ
土地勘もない言葉も分からない異国の地で
たった1人でやるわけには行きませんそこ
でフェノロサは当時文部省の役人となって
いた元教え子の転身に協力を呼びかけ両社
でタッグを組んで日本の伝統美術の復興
活動に乗り出すのですそんな彼らの主立っ
た成果としてまず挙げられるのが胡車児
保存法の制定ですこれは簡単に言いますと
神社仏閣にある宝物や建物を壊してはいけ
ないというルールのことでこれが発展して
現在の文化財保護法につながっています
つまり日本の文化財保護政策の礎は
フェノロサと転身によって築かれたのです
そしてもう一つ彼らの業績として忘れて
ならないのは現在の東京芸術大学の前身で
ある東京美術学校の設立ですただこの学校
は日本古来の日をほぼするという目的で
作られたため流行りの西洋美術ではなく
日本の美術を専門的に学ぶ教育機関であっ
たというところが重要なポイントになり
ますそして設立してから翌年転身は若干
28歳にして東京美術学校の校長となり
生徒たちと共に新たな日本画を創造をする
という運動を推し進めていきます卓越した
語学力と行動力を武器に自らの運命を
切り開きまさに絶頂をむかえていた岡倉
天心しかし30代半ばを過ぎたころついに
人生最大とも言えるしれんが彼を襲います
それは東京美術学校からの追放です自分で
月売上自ら校長を務めている学校をなぜ
追い出されてしまったのでしょうかその一
番の理由は
政府の方針転換です初めは国も転身等の
伝統美術を保護するという意向を汲んで
くれていたのですが文明開化の勢いに押さ
れるようにして西洋化路線やと強く舵を
切り始めたのですそして政府は東京美術
学校に対し日本だけではなく西洋美術も
扱って下さいでと強く働きかけを行います
が転身はその要求には怖じずかたくなに
抵抗を続けましたその結果国からも美術界
からも厄介な存在として孤立していき
さらにはトドメの一撃として女性
スキャンダルまで明るみに出てしまい彼は
追われるようにして東京美術学校を去る
ことになるのですまさに絶体絶命
しかしそれでも転身は立ち止まりません
でしたこの後彼は自分を慕ってついてくる
教え子達日本美術院という民間団体を
立ち上げ新たな日本画を創造するという
活動2歳注力することになるのですちなみ
にその弟子の一人にあの富士山の絵で知ら
れる近代日本うん画の巨匠横山大観がいた
のは有名なお話です彼らの新拠点は茨城県
最北端にある伊豆ら海岸断崖絶壁に白波が
砕け散る景勝地ですそしてちょうどこの
移転の年に転身は満を持して一冊の本を
出版しますそれが the book of
ティ茶の本というわけですただこの
タイトルから分かりますように茶の本は
日本人向けに書かれたのではなく西洋の人
に向けて英語で書かれた作品ですなぜ西洋
向けなのかまたなぜお茶なのかそれは点心
が西洋の1人も正しく日本人の精神や分か
を理解してもらいたいそのためにはお茶と
いう切り口が最も的確に伝わるであろうと
考えていたからですそしてもう一つお茶の
本を出版した1906年というこの
タイミングここも重要なポイントになり
ます実は茶の本が世に出る7年前にすでに
とある日本人が転身と同じように日本の
精神文化について説いた本を海外で出版し
ているんですそれが皆さんもよくご存知
新渡戸稲造の武士道ですこの武士道が出版
される前後に日清戦争と日露戦争という2
つの大きな戦争があったのですが日本は
それらに勝利したことによって世界かな
近代国家として認められ国際的地位が向上
したと言われていますそして西洋の人々の
多くは当時こう思ったそうですやっぱり
日本人は武士道の国だ侍魂を持った強い
近代国家等しかし転身はそれが嫌でした
戦争という野蛮な行為でしか文明国そして
認められないならば8番のままで構わない
日本には武士道よりももっと深くて美しい
文化があるそれがお茶なんだそのような
思いを持って彼はニューヨークで茶の本を
出版し茶道という日本の伝統文化とそこに
息づいている東洋の精神を世界に向けて
発信したのですスター背景知識は以上です
いよいよこれから茶の本の中身に入って
いきますひとつ目のテーマは煩わしい世界
を生き抜く2つの知恵ですでは行き
ましょう
茶はもともと薬として用いられやがて
飲み物となったものである中国では発生機
に優雅な遊びの一種として洗練され家や
芸術の並ぶ域にまで達したさらに日本に
入って15世紀にはついに火を極め崇める
宗教
すなわち茶道へと高められたのであるこの
世界は完全ではない誰の日常にもつまら
ないこと嫌なこと嘆かわしいことなどが
しかしその中に少しでも美しいものを
見出しそれを大切にしていこうという
穏やかで優しい試みこそ茶道の本質なので
あるさらに茶の哲学とは美しさの追求だけ
にとどまらない日本人の住居にふく料理
陶磁器絵画そして文学に至るまでありと
あらゆるものが茶道の影響を受けている
したがって日本の文化を学ぼうとするの
なら茶道の存在を知らずには済まされない
のだはいここで留めます
なるほど完全で非の打ち所のないものを
求めるのではなく付完全なものを受け入れ
その中に美を見いだすそれが茶道の基本
姿勢としてあるようです
ただちょっとイメージが湧きにくいのです
がここは後でまた出てきますので一旦
スルーしましょうまた日本の文化を学ぼう
とするならお茶は避けては通れないという
熱い主張がありました要するにお茶といっ
ても生桜の上流階級がたしなむ優雅な趣味
をイメージしないで下さいねと日本人でお
茶といったら日々の暮らしの中に息づいて
いる分からやっていしょくじゅう芸術文学
に至るまですべてに影響を与えている
いわば宗教のようなものなんですよと
おっしゃっているわけですその後転身は
古代中国で生まれたお茶がどのような歴史
を経て発展していったのかを解説し最終的
に茶の理想の頂点は日本という国で見出さ
れることになると結論付けますその上で彼
は茶道の根底に流れているある哲学の正体
を本書で明らかにしますはそこから続きを
見ていきましょう日本人にとって作動とは
単にお茶の飲み方の極意を説くものでは
ないそれは生きるすべを授けてくれる宗教
なのである例えば作動における茶室とは
人生という荒涼とした砂漠にあるオアシス
のようなものだ旅人たちがそこに集まり
ゲー美術鑑賞という共通の泉を分かち合い
疲れを癒すのであるその場には茶と花と会
がありそれらをモチーフとして即興劇が
織りなされる部屋の色調を乱すような色
動作のリズムを損なうような音調和を壊す
ような仕草や言葉といったものは一切なく
全ての動きは単純かつ自然になされる
そしてそれらの背景にはある1つの哲学が
潜んでいるそれが中国の三大宗教の一つ
同郷であるつまり茶道とは同郷が姿を変え
たものなのだ入っ心ためますご存知のよう
に西洋社会ではキリスト教大歯締めとする
宗教が多くの人々の心を支え
生活の基盤となっていますつまり転身は
そういった西洋の人たちの文化的背景を
理解した上で作動も実は人生を支えて
くれる宗教のようなものなんですとなぜ
なら作動には同郷の教えが息づいている
からなんですと相手が腹落ちしやすいよう
な説明をしたわけです同郷とは儒教仏教に
並ぶ中国の三大宗教の一つであり郎氏と
いう人物の教えがその思想体系の根本に
あると言われていますそして転身は茶道の
中に息づいている東京の教えを本書で2つ
紹介していますまず1つがあらゆる物事を
相対的に見るということですもう少し
分かりやすい言葉にしますと世の中に対し
ても人に対しても絶対にこうだという
思い込みをしないということになります
例えばかつて学校の運動部では練習中に水
をのいうことは悪であるという考え方が
社会通念のようになっていましたが今の
時代では全くそうではありません善も悪も
時代によって変わり人や環境によっても
変化するわけですこのような観点から同郷
では何事においてもこうあるべきだと枠に
はめて捉えないという考え方を大切にして
いるのですそれについて展示人は中国の宋
の時代より伝わる三聖宮さんという寓話を
用いて次のように説明を行っています
むかしむかしあるところに儒教仏教道教の
代表的人物である講師車課老師の3人がお
酢の入った壺の前に立っていましたそして
それぞれが自分の指を押すにつけ味見をし
たところ講師は酸っぱいといい釈迦は苦い
といい労使は甘いと言いましたというお話
ですここで出てくる押すというのは人生
そのものの例えだと思ってください要する
に現実主義者であった講師は事実をその
まま受け入れ酸っぱいと答えまた人生の
本質として苦しみに注目していた釈迦は
苦いと述べましたと一方人生いろいろある
けれどそれでもよいところを見つけようと
していた労使はこのオスは甘いと肯定的に
答えたというわけですつまり転身は茶道も
これと全く同じで茶室に入るときも茶道具
やかえ軸を見るときもどこかに美点良い
ところを見出そうとする精神が宿っている
んですとさらに言えばこの考え方は誰かと
接する時も社会を見つめるときも自分と
向き合うときも同じように応用することが
できますとだからこそ茶の哲学は生きる術
としても使えるんだというわけですそして
2つめの教えは不完全の美学です先ほど
作動は不完全の中で美を見いだすことが
基本姿勢としてあるというお話がありまし
たが実はこれも同郷の考え方から来てい
ますかつて労使は物事の本質は今日の中に
あると説きました今日というのはここでは
シンプルに何もない空間のことだと
イメージしてください
例えば今私たちの目の前にや感があるとし
ますではこの夜間の本質がどこにあるかと
いえば材質でもデザインでもありません
そこに液体を包み込む空間が存在している
ということなんです逆に言えばどんなに
材質がよくてもデザインがかっこよくでも
そこになりかを入れる空間がなければそれ
はもはや夜間ではない別の何かとなって
しまうわけですこの居の考え方をうまく
実践している事例として天心は本書で格闘
技を上げています例えば相手の弱点や無
防備に漬け込んで攻撃することを今日つく
と言いますが格闘技の世界ではわざと今日
つかせて相手を誘い込み体力を存分に削っ
てからトドメを刺すという理論として応用
されているのですさらに転身は芸術という
分野においても同様に虚の原理が働いて
いるとして次のように語ります作品の中に
自分の言いたいことのすべてを表現するの
ではなく空白を残しておくのだそうすれば
その作品を見たものが自分の想像力によっ
て作者の言わんとすることを補い作品を
完結させることができる本当に偉大な芸術
は見る者を釘付け西まるで自分も作品の
一部ではないかと錯覚を起こさせる力を
持っているのである hi call 止め
ますなるほど天神のいう優れた芸術とは
作者一人で完全に表現しつくしてしまうの
ではなく鑑賞者とともに完成されるもので
ありそこには同教における巨という考え方
があるのだというお話でしたこれを作動に
当てはめますともてなす側の亭主と
もてなしを受ける側のお客さんこの両者が
歩み寄って一緒になって日を楽しみ共同
作業によって癒しの空間を完成させると
なるわけです確かに音楽にしても映画にし
ても文学にしても自分が想像したり考察し
たりする余地が残されていた方が楽しめる
という方も多いのではないでしょうか
ちなみに西洋近代における芸術は作り手が
自分の感情や思想を遠慮なく爆発させる
いわゆる自己表現型の芸術と言われてい
ますつまりざっくり整理をしますと余白を
埋め尽くし完成された美を追求するのが
西洋一方不完全な日を重んじるのが東洋で
あるというわけですそして転身は今の内容
を踏まえた上で芸術鑑賞をするうえでの
極意を披露しますその内容は私たちの生き
方にも直結する内容でありとても興味深い
ものですぜひ注目していただきたいと思い
ますさあというわけで2つ目のテーマ
アートに学ぶ表現力と対人関係力に移り
たいと思いますではいきましょう皆さんは
同郷のことならしという話を聞いたことが
あるだろうかこれは大昔の中国のことで
ある龍門という家に森の桜ともいうべき1
本の桐の木が立っていたと声ある時一人の
選任がやってきてこの木から不思議なこと
を作ったしかしこのことはよほどの名人で
なければ受け付けない工場な楽器であった
しばらく中国の皇帝のもとに秘蔵され多く
の音楽家が演奏を試みだがことから出て
くるのは嘲るような不愉快な音ばかりで
全く歯が立たなかったそうだそこへ
とうとう琴引の祖父ともいうべき白河が
登場した彼は荒馬を並べるかのように
優しい手つきですーおっとことを撫でると
静かに件に増えたそして自然や巡り巡る
季節高い山やほとばしる水の流れを歌い
始めるとキリの木に宿っていた記憶の
ことごとくが一斉に目覚めたのだった
そして白河は愛の歌を歌ったすると森は
熱い想いを抱え物思いにしでも若者のよう
に打ち震えたさらに白河は調子を変え
たたかいのうたを歌ったことからは吉部波
だねの音踏み鳴らす馬のひづめの音そして
嵐の音が鳴り響いたこれらの演奏に恍惚と
して聴き入っていた皇帝はいったいどこに
こうした技術の秘訣があるのかとハクがに
尋ねると彼は次のように応えた兵科他の者
たちは自分自身のことしか歌おうとし
なかったから失敗したのですしかし私は何
について歌うかはことに任せましたそして
そうするうちにことが私なのかそれとも私
がことなのかわからなくなってしまったの
です廃校で留めます自分がことなのかこと
が自分なのかわからなくなってしまったと
ありましたがこれが先ほどの作者と鑑賞者
が一つになって芸術を完成させるという
東洋的芸術館のお話になりますでは転身は
この話から何を伝えたかったのでしょうか
さあでは続きを読んで確認をしてまいり
ましょう芸術鑑賞に必要なのは心と心が
共感し通い合うことだそのためには互いに
健常の気持ちを持っていなければならない
鑑賞者は作者の言わんとすることを
受け止めるにふさわしい態度を養いまた
作者自分のメッセージをどのように相手に
伝えるかを心得ていなければならないのだ
入っここで留めます
なるほど要するに鑑賞する側は初めから
批判するという前提で作品を見たりどれ
どれ私が見てやろうといった上から目線で
望んだりするのではなくて自分を空っぽに
して余計な思い込みを捨てて鑑賞して
くださいとまた削除者がはもう作品の中に
自己主張を詰め込みすぎたり自分の作品を
理解できない人はダメですみたいな態度を
とったりするのではなくて謙虚な気持ちで
どうやったら自分の意図が相手に伝わるか
を考え相手がじっくりと想像力を働かせ
感情移入できる余白を残してあげましょう
とそのようにおっしゃっているわけです
先ほど出てきましたこと引きの例で考え
ますと他の音楽家たちは自己主張が強すぎ
だせいでことに嫌われてしまいましたその
一方名人白河は自分が一歩引くことで
きょう作り出しその空間の中にことを
呼び込み見事な調和を生み出しました
つまり本書で示された芸術鑑賞のあり方と
は人間同士の関係構築と同じ考え方であり
ある意味ではコミュニケーションの極意を
示しているともいえるわけですそして転身
は次のように続けます傑作というものは
それに共鳴すると1個の生きた存在となり
まるで仲間同士のような絆で自分と結ばれ
ていると感じるものだ私たちに訴えてくる
のは腕よりも魂技術よりも人なのだその
呼びかけが人間的なものであればあるほど
私たちからの応答も深いものになる巨匠
たちと私たちの間に交わされるこのような
密かな交換があればこそ治安物語でも
私たちはその主人公たちと共に苦しみとも
に喜ぶことができるのであるはいこれ食べ
ます私たちに訴えてくるのは腕よりも魂
技術よりも人なのだとありました確かに歌
に背負えに背負う負ければ甘いほど感動
するかといえば必ずしもそうではありませ
んその表現者がこれまで歩んできた栄光や
挫折であったり喜び悲しみ怒り苦しみと
いった完璧ではない人間らしい部分に共感
したりすることで作品と自分がつながり
感動を覚えるわけですこのように転身は生
栄養の人々に対して双方が譲り合い
歩み寄ってつながる東洋的な芸術観を提案
した後最終章で人間の死に焦点を当て死生
観について話を進めます結論から言って
しまえば美しく生きてきた者だけが美しく
死ぬことができるこれが彼の死に対するか
外方ですそして転身はそれを見事に体現し
た人物として天下一の茶人千利休を上げ
ます並外れた美的感性の持ち主であったり
9は自分が美しいと感じるものを誰に何と
言われようと美しいと信じ抜くまさに真の
芸術家でしたまた天神によれば偉大な茶人
とは常に宇宙や自然との調和を考えて生き
ているのでいかなるときであろうとしへの
旅支度ができているといいますそんな利休
の子については諸説ありますが一般的には
時の権力者であった豊臣秀吉の怒りを買っ
た結果切腹を命じられ最後に茶会を催した
後地下愛したとされていますしかしそれは
ただの悲劇ではなくまるで一輪の花が散り
自然に還っていくような生命のはかなさや
美しさを感じさせる一つの芸術でもあるの
です多くの日本人の暮らしや精神に影響を
与えてきた以来ダル茶人千利休いいたい彼
はどのようにして自らその人生の幕を閉じ
たのでしょうかさあというわけで茶の本の
中でも特に印象深い出すと c 離宮最後
の茶会を紹介しこの動画を終えたいと思い
ますでは行きましょう
時の権力者であった豊臣秀吉は茶人千利休
を高く評価しており両社の攻防いう関係は
久しいものであっただが絶対君主との友情
とは常に危険をはらんだ名誉ともいえる
当時は裏切りが奉公した時代であり自分に
とってどんな近しいものであろうと信頼
できないような世の中だったそんな中利休
が秀吉ののブチャに毒を入れ暗殺を目論ん
でいると嘘の告げ口をした者が現れた秀吉
にとってそれが真実であろうとなかろうと
そのような疑いが生じた時点で直ちに死罪
に値するものであった激怒した秀吉の石を
覆せる州ではなく利休は命じられるがまま
自害せざるを得なかったのである自らしに
赴く運命の日利休は自分の弟子を最後の
茶会に招いた客たちは悲しみに沈みながら
指定された時刻に待合に集まった庭の路地
を眺めると木々は身を震わせ
派が擦れる音の中に亡霊たちのささやきが
聞こえてくるようだったやがて茶室から
珍しい高の香りが漂ってきて客たちに入室
を促した彼らは一人一人前に進み席に着く
とまもなくしてディ9が部屋に入ってきた
招かれた客に茶が振る舞われると主人が
最後り自分の茶を飲み干しだ定められた
作法通り利休は客たちの前に様々な品を
掛け軸とともに並べたそして一人一人に
それらを自分の形見として受け取るよう
伝えると茶碗だけを手元に残しこういった
この茶碗は不幸な定めを負わされたものに
よって汚されてしまった故に二度と人が
用いることがあってはならない
そして利休は茶碗を両手でつかみそれを
粉々に家破った社会が終わると客たちは
必死に涙をこらえながら最後の別れを告げ
部屋を出て行った
ただ一人もっとも身近にいた者にだけその
場に留まり最後を見届けるように頼むと
利休は茶会の服を脱ぎ畳の上で丁寧に
折りたたんでそれまで隠していた純白の子
に消毒姿を現したそして市の担当の輝く刃
をじっと眺めると見事な自省録を読んだ
よくぞ来たえええええんの剣を振ったを
貫きだるまをも貫いてお前はお前の道を
切り開いてきた
顔に笑みを浮かべ利休は未知の世界へと
旅立って行ったはいというわけであの本
以上でございます
いかがでしたでしょうか
茶道の内容というよりもその根底に流れて
いる歴史や思想に焦点が当てられている
大変端 y 深い作品でございましたまた
離宮最後の茶会は過去に紹介した
ソクラテスやセレカのラスト c も思わ
せるような劇的な内容でしたが何か心に
響くものがあったのではないでしょうか
今回紹介させていただいたのは作品の
ほんの一部ですのでご興味のある方はぜひ
本書を手に取って頂ければと思いますこの
動画が面白かった参考になったという方は
高評価コメントなど頂けますと嬉しいです
ただチャンネル登録もよろしくお願い致し
ますではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました
[音楽]

この記事を書いた人