【名著】努力論|幸田露伴 報われない人生を終わらせる革新的名著

 

 

胎動も阿波太郎です本日は明治時代に活躍
した文豪幸田露伴の努力論について紹介
いたしますどんな作品かといいますと報わ
れる努力の仕方と幸福に生きるための方法
について説いた人生論の古典的名著です
特に夢や目標を持って生きている方努力が
なかなか6言われず悩んでいる方自分を
思い切って変えたいと思っている方今すぐ
モチベーションを上げたい方にとてもオ
ススメしたい1冊です幸田露伴といえば
夏目漱石森鴎外とも並び称される日本近代
文学を代表する文豪の一人です努力論と
いうこの強烈なタイトルから耳が痛くなる
ような精神論を想像された方もいるかも
知れませんですが本書は明治末期という
時代の転換期に仕事を失ったり借金を
背負ったりして苦しんでいた人々を励まし
再び立ち上がってほしいという思いで書か
れたものなどです努力だけでも報われない
し才能だけでも報われないそんな不都合な
世界の中で一体どうをすれば私たちは自分
の思うような生き方を実現できるの
でしょうか誰もが気になるその答えを皆
さんと一緒にこの作品を読み進めていき
ながら一緒に考えていきたいと思います
それでは参りましょう幸田露伴努力論3
まずはこの動画の全体像からお示しいたし
ますはじめに著者である幸田露伴の人生と
この作品を読む上で知っておきたい知識を
簡単に紹介いたしますその後努力論の内容
を新しい自分を作る2つの選択しすぎと
いう感情の限界幸福を積み立てる3つの
秘訣というテーマに分けて進めていきたい
と思いますさあというわけでまずは著者に
ついて紹介いたします幸田露伴彼は
1867年現在の東京都台東区に生まれ
ました
1867年の日本といえばその翌年に明治
時代が始まるまさに時代の節目に当たり
ます幸田家は代々江戸幕府に使える大名
たちの世話係としてす提携を立てていたの
ですが幕府崩壊とともに生活の基盤が失わ
れその暮らしには余裕がありませんでした
しかし子供の将来を真剣に考えていた父親
は何とか学費を工面し習字や中国古典の
素読といった習い事をさせたといいます
素読というのは江戸時代からある学習法の
一つで簡単に言ってしまうと古典を何度も
声に出して読み幼少期のうちにそれを丸
暗記してしまうというものですもちろん
読むだけという作業なのでそこには文章を
子供に理解させようという意図は含まれて
いませんただ年を重ね酸いも甘いも
いろいろな経験をしていく中で子供の時に
何度も口にしていたあの子電話そういう
意味だったのかと少しずつ腹落ちしていき
やがて自分の人生に教訓として生かされて
いくのですこのような伝統的な学習によっ
て基礎教養を身につけたローハンは13歳
になると現在の都立日比谷高校である東京
府第一中学校に入学しますあいにく家庭の
経済状況が悪く翌年には10度退学となり
ますがそれでも彼は図書館に通い詰めて本
を読みあさりたった一人で学び続けたと
いいます15歳の時に父親の勧めによって
再び学校に入る機会を得ると露伴は現在の
青山学院大学である東京 a 学校に入学
そこでは主に英語と中国の古典や思想を
中心に学ぶことになるのでですが中でも
はくはと呼ばれる中国の書き言葉の一種を
覚えたことが後に小説家として活躍する上
で大いに役に立ったと言われています
しかしそんな中家庭の懐事情が再び悪く
なり入学してからまたもや1年で中途退学
となってしまいますその時の年齢わずか
16歳しかしご飯は自暴自気になることも
なくまずは学問よりも手に職をつけて生活
を安定させるべきだと思考を切り替え
当時需要のあった電信義手の養成学校への
入学を決めます電信義手というのは電気
信号を受け取ってそれをメッセージに変換
する職業のことです今の時代はスマホひと
つで簡単にメッセージを送ったりテーマを
したりできますが当時は人間が間に入って
電気信号の返還や回線の設定を行っていた
のです東京での現場実習を終えると露伴は
北海道の良い子町への配属が決まり電信
義手のプロとして働くことになるのですが
ようやくここで分2好きの彼に転機が訪れ
ますそれは北海道への赴任が決まった
1885年ちょうどその年に出版された
ある一冊の本との出会いでしたそれが坪内
逍遥の小説神髄本書は明治以降の日本文学
の一大潮流を生み出し多くの文豪たちに
影響を与えたと言われる小説論ですこの
作品で賞与は次のように語り文学界に衝撃
を与えます小説の首脳は人情だり整体風俗
これに次ぐ人情とは人間の情欲にて
いわゆる108本のこれなりちょっとを
固くて意味が取りづらいですが要するに
小説というのは人間の感情も欲望もさらに
は世の中の様子も飾ることなく見たとおり
描くものなんだと主張しているわけです
このように空想に頼ることなく物事を
リアルに表現することを写実主義といい
ます
江戸時代までの日本文学は主に勧善懲悪
もののようないわゆる聖人君子的な現実味
の無い人間が主な登場人物とて描かれてい
ましたそんな中等身大の生身の人間を描く
べきだと論じた商業の考えはこれまでの
日本文学の文脈にはない斬新なものだった
のです当時二十歳前後であったローハンは
この小説神髄に大いに触発され文学への道
という新たな未来を模索し始めますそして
電信技師として正式配属されてからに年後
なんと露伴は突然業務を放棄し北海道から
脱走します理由は色々あったようですが後
に彼は毎日が退屈で仕方がなくどうしよう
もないほどイライラするので逃げ出す意外
になかったんだと当時の心境を語ってい
ます若くして自分は社会の歯車になりきれ
ないと悟ったローハンは安定ルートたち
実家に居候をしながら執筆活動を始めまし
たその頃他の兄弟たちは正規の教育を受け
経済的な自立を果たしていたため露伴は
実家で非常に肩身が狭く自分が情けなくて
仕方なかったそうですしかしそんな口中を
味わいながらも東京に戻った翌年には処女
作梅雨だんだんを発表をし明治時代の文芸
雑誌京都の花への連載が決定しますそして
これが大きな評判となり小説家として幸先
の良いデビューを飾りますその後も快進撃
は続き彫刻師の悲しい恋の苦悩を描いた風
竜物や才能はあっても世渡りが下手な大工
の物語である五重塔といった名作を次々と
生み出し小説家として不動の地位を確立
さらには同時期に活躍していた尾崎紅葉と
人気を二分しやがて航路時代と呼ばれる
文学界に歴然と輝く一時代を築き上げます
そして晩年にあると日本の近代文学の重鎮
として大魯班と称されるようになり
1937年には次に70歳にして記念す
べき第1回目の文化勲章を受章しますこの
ようにして露伴は若き日のふーんと苦労を
乗り越え見事明治を代表する文豪として
その名を歴史に刻んだのですそんな彼が
書いた努力論はちょうど明治から大正に
切り替わる時代の転換期に発表されたもの
です当時は夢を持って自らビジネスを
始める人が多かったそうですが成功者は
ほんの一握りで大半は失敗し借金を背負
佐伯のめどが立たない境遇の人もたくさん
いたと言いますそこで露伴は本性2時報わ
れる努力の仕方や幸福に生きるためのスレ
をとき失意のどん底にあった人々に希望を
与え落としたのです
背景知識は以上となりますがここまで
よろしいでしょうかいよいよ今から本書の
中身に入っていきますひとつ目のテーマは
新しい自分を作る2つの選択肢ですでは
行きましょう
大晦日になるとその年をじっくりと
振り返り年が明けると将来の計画などを
立ててみたくなるものだしかし自分の理想
通りになることは極めて稀である多くの人
は年頭の志が挫折したことを恨んだり嘆い
たりするそして昨年はダメだったが今年
こそだと自分を奮い立たせたりするので
あるこのように人は何かにつけて新しい
自分を作りたかっているのだ今の自分去年
の自分おととしの自分これらがすべて同じ
自分であるならばその自分が受け取る運命
も当然同じであるしたがって新しい運命を
望むのなら新しい自分が作られなければ
ならないのだ何の進歩もなく同じ状態を
行く度となく繰り返していると時計の
ゼンマイのごとく力も緩み失われ次には
こう往復を得る望みさえ楽してしまう
つまり新しい自分をいかにつくるかという
ことは私たちにとって重要かつ緊急の課題
なのであるでは自分を新たにつくり上げる
にはどうすればよいのだろうかその方法は
2つありまず一つが他人の力を借りること
である自分以外の誰かの力を借り自分の
運命あるいは自分自身を変えた人は決して
少なくない尊敬できる人間賢く勤勉な人間
勢いのある人間こういった他人に身を寄せ
自らの心を託し
まるでその人の一部になった花のように
働きその人物とともに進歩していくので
ある他人の運命の分け前をもらいながら
自分の未来を切り開くことはアジルことで
も避けるべきことでもないむしろ立派な
選択肢の一つであるそれほど能力がある
ように思えなかった人物がた力によって
頭角を現し見事に変貌を遂げる事例など
世間ではありふれたことながらただその
自己改革を果たすためには一つ注意して
おかねばならぬことがあるそれは自分の身
を寄せている人の一部分であるという感覚
を決して忘れず維持し続けることである
つまり未熟なうちに朝市会を披露したり目
の前にある小さな利益に飛びつこうとし
たりしてはならないのだた力によって自分
を生まれ変わらせたいと本気で思っている
ならば昨日までの自分を一刀両断する覚悟
が必要であっ畑に新たな実を宿らせたけれ
ばまずはこれまでの自分の感情週間といっ
た雑草をすべて取り去ってやらねばなら
ないのだそれでもなおこれまでの自分に
未練があるのだからそれは矛盾といえる
だろう自分に執着するほど自分を良いもの
だと思っているのならた力で自己確信する
道を選んではならないのでははいこれ止め
ます他人の運命の分け前をもらって自分
自身あるいは自分の運命を変えてしまい
なさいというお話でしたその他人が自分に
とって尊敬に値する人物であり両者の間に
信頼関係があることを前提とするならば
思い切ってだよってしまった方が何事も
上達しやすく合理的であるといえますただ
その際の注意点として本書では自分への
未練も捨てることが強調されていました
日本には古くから茶道やブドウといった
芸能芸術における師弟関係のあり方の一つ
に周波理という考え方がありますまずは
指導者から基本となる方を教えてもらい
それを忠実に守るそれができるようになっ
たら自分なりの工夫を加え
徐々に形を破っていくそして最後に方から
離れてどうくそう的な個性を発揮していく
という学習ステップを踏んでいくわけです
要するにロ派はこの守破離の考え方と同じ
ように基本ができていない状態で自分の
やり方や考え方に固執していませんかと
そんなプライドは捨てていいダン自分を
空っぽにしたほうが近道なんですよとその
ように言っているわけですただそれでも
自分を信じて自分にこだわって突き進んで
いきたいんだという人もいらっしゃると
思いますそこでロ派は2つ目の選択肢とし
てた力ではなく自力での自己革新について
語り始めますではそこから続きを見ていき
ましょうどうしても自分を捨て去ることの
できない人がいるそういう人は自分自身で
新しい自分を作ろうと努力するしかない
しかしあらかじめ断っておくが自力での
自己革新は容易ではない他力とは比較に
ならないほど困難な道のりであるほとんど
不可能と言っていいだろうなぜそこまで
難しいと言い切れるかといえば今までの
自分が良くないから新しい自分を作ろうと
いうノリその作ろうという本林が自分の
ままだから難しいのは当然であるそれは
まるで翼に頼ることなく自分の足の力だけ
でさらにマイ上がろうとしているような
ものだ我流で囲碁や将棋が強くなるだろう
かそれは甚だ望みの少ないことで専門の岸
に頼って愛んだほうが速やかに上達する
自力で新しい自分を作れる人もいるだろう
がそれは少数であり大多数の人はた力を
あてにしながら進歩していくのである
しかし自分だけで新たな自分を作ろうと
することは実に交渉で偉大なことだ仮に
その結果が甚だ振るわなかったとしても
それは人として立派な仕事をしたという
いるだろうはい心食べます学校問2回中途
退学となりほとんど自力で運命を切り開い
てきたと言っても過言ではない露伴が地力
は絶対にやめときなさいと忠告しているの
は興味深いところです要するに人並みの
才能とセンスしかない人が一握りの天才の
ように自力で物事を上達させようとすると
ok か押しますよともっと地に足をつけ
て他人から基本を学ぶなり徹底的に研究を
して真似をするなり自分を空っぽにして
謙虚に学び取る段階が必要なんですよと
そのようにおっしゃっているわけですたり
気を使って泥臭く合理的に生きるからそれ
とも覚悟を決めて自力の美学を貫くか
どちらかが正解というものでもありません
が皆さんはどうお考えでしょうかさあ一つ
目のテーマがここで終わりました続きまし
て二つ目のテーマ好きという感情の限界に
移りたいと思いますではいきましょう
努力することと好きで行うことこの一件に
でいる両者を比べて考えてみたい好きで
行うというのは苦しいとかいやといった
感情がないということであるつまり自分が
したいからやっているのだと自分の意志と
感情が綺麗に重なり合った状態のことを
意味している一方努力とは嫌なことを
しのび苦しい想いにも耐えそれでもことに
当たるということだ自分の感情がやりたく
ないとどれだけ訴えをがそれでも自分の
意識の日を燃え上がらせ鞍上の水に負けぬ
よう熱してねしてやまないことを言うので
ある世界の文明は努力によって築かれたの
かそれとも好んで事を成すところから生じ
たのかこれは人によって当然解釈の異なる
問題であるしかし自分の好きなことで
あろうとそこに満足のいく成果を求め
続ける限り努力を避けて通ることはでき
ないなぜならどれほど自分にとって好きな
ことであっても何らかの事情によって苦痛
に感じたり辞めたくなったりする瞬間が
訪れるからだ2のとき自分の感情に
打ち勝ってゴールから目をそらさず目の前
のことに集中できるかどうかはまさに自分
自身の努力にかかっている人生という旅に
は座敷ですごろくをして花の都に到達する
ようなものではない好きだという気持ちが
いかに強烈でそしてそれをなず才能がどれ
だけ卓越していたとしても純粋な好きと
いう感情だけで大きな何かを成すことは
実際の人生ではほとんど起こりえないので
ある数々の障害や失敗は誰の人生にも
つきものでありそれを押し切って前に進む
力が必ず求められるナポレオン
アレキサンダーのような英雄 new と
コペルニクスのような偉大な学者彼らで
あっても好きという感情だけでその名を
歴史に刻んだのではない努力によって
輝かしい偉業を成したのであるましてや
才能もない僕も備わっていないそんな本人
にとっては努力こそが唯一の味方と言える
のではないだろうか入っこれ食べます
なるほど要するに好きなことを趣味程度に
やるのではなくそれを本気で突き詰めて
成果を求めたり生活をしたりしようと思う
のであれば腹をくくらなければいけません
と好きなことだからこそ余計に来るシート
か辛いといった感情にも当然なるでしょう
とただそのときに自分の意志の力で感情を
コントロールしたった1人で練習をしたり
作業したりできますかとそのように
おっしゃっているわけですもちろん北海道
から実家に逃げ帰ったローハンの
エピソードからわかるようにどんなことで
も耐え忍べばいいという話ではありません
彼の場合であれば学部読書執筆といった
自分の好きな事には人一倍踏ん張りがきき
ましたが電信義手の仕事や配属先での生活
には耐えられず2年でギブアップして小説
家に転身していますこのようなことから
努力とは本人の精神力だけに依存するもの
ではなく夢や目標によって引き出される力
であるとも言えますただ世の中には何の
努力もせず生まれた時から才能やセンスに
恵まれている人もいるじゃないか不公平
ですともしかしたらそのように思われる方
もいらっしゃるかもしれませんが露伴は
それに対し次のように述べます偉人の伝記
や歴史を見ると生まれながらにして才能や
勇気を兼ね備えあたかも容易に偉業を達成
したかのように書いてあるだがそれは事実
ではなくいかなる偉業も努力なしには成立
しえないのだ仮に a 最たる人間が簡単
になり化を成し遂げたと塩ではその優れた
才老はどこからやってきたのかそれはその
人物の親祖父母といった仙台の人々の努力
の体積がその人物の血液の中に宿りその
結果その人物に才能が引き継がれたので
ある入っここで留めますなるほど努力の
体積という面白い表現がありました要する
に才能ある人は才能ある人なりの努力が
必要だしもっと言えばその恵まれた才能も
先代の努力の歴史を引き継いでいるものな
んですとなので生まれた環境とか状況を
理由に凡人がどよくしなくていいという話
にはならないんですよとながらがて厳しい
ことをおっしゃっているわけですただ最近
では親が茶という言葉がよく使われている
ように両親の経済力や血筋によって将来の
方向性がだいたい決まってしまうという
論調も強くあまり共感できないよという方
も決して少なくないと思いますですが露伴
は努力だけで人生が6食われるとか黙って
努力しなさいとかそういった単純な力技で
読者をねじ伏せたいわけではありません
努力だけでも報われない才能があっても
報われないそれが世の中だということも身
に染みてよくわかっていますその上で彼は
報われる確率を上げるための人生戦略とし
て公往復3節という考え方を本書で提示し
ます具体的には席服文福植福この3つを
普段の生活の中に取り入れることによって
自分に候群がめぐってくるように生き
なさいと説いたのですさあというわけで
いよいよ最後3つ目のテーマ幸福を
積み立てる3つの秘訣に移りますではいき
ましょう幸福な人の多くは席服の工夫の
ある人であるふーんの人の多くは席服の
工夫がない人であ席服とはすなわち服を
押し日服を使い切らないことだ例えば今目
の前に大金があったとしようもしあなたが
これを浪費しすべて使い込んでしまえば
それは席服の工夫がだ糸井やる幸運1な
など人を訪れるという諺があるが誰しも
人生のどこから必ず幸運をつかむチャンス
が訪れるものだただその時に調子に乗って
出会った幸運を使い果たしてしまっては
いけないできる限り自らを抑制すること
こそが席服などである服を星6人は何度も
幸福に出会うが服を惜しまない人は
なかなか幸福にてや笑これは誰もが認める
事実であるがなぜそうなのかは誰にも
分からないしかしあえてこれを解釈する
ならば幸福を使い切らない人は他人から
愛されたり信頼されたりする一方で幸福を
欲望のままに使い切ってしまう人は注意
から危険な人間であると警戒されてしまう
からなのかもしれないはいここで留めます
関服とは自分に与えられた幸福を使い
尽くさないことであるということでしたが
要するに服というのは福があるところに
やってくるのであって服がないところには
行って来ないですとだから服を惜しむこと
なく
数すべて取り尽くしてしまうと服が巡って
来なくなるから気をつけてくださいという
お話です本書では席服の代表的実践者とし
て徳川家康の名前が挙げられています彼は
一度使った髪でさえも捨てずに取っておく
倹約家であったため自分の子孫たちに莫大
な財産を残すことに成功しましたそうが数
世代にわたり徳川家の経済を支えその結果
江戸幕府は約260年という長期政権を
築くことができたといいますさらに露伴は
地球上の動植物といった資源も貴重な服で
あると捉えそれを取り尽くしてしまえば
いつかその報いを受けることになると
エコロジカルな視点からも席服の質要請を
訴えていますつまり席服とは1個人だけで
はなく国あるいは地球全体の幸福に関わる
壮大な思想なのですでは幸福3節の2つ目
文福とは何なのでしょうか続きを見ていき
ましょう文福とあ自分が獲得した幸福を
他人に分け与えることである例えば今自分
の目の前に大きなスイカがあるとしよう
その全部を食べ尽くすのではなくその幾分
かを他人に分け与えそれを一緒に楽しむ
ことが文福なのでや言うまでもなくこう
いった行動は飢えた獣にはできないことで
ある人間特有のものであるつまり文福は
単に服を得るための一家常にとどまらず
人間ならではの美しい2コーラ態度でも
あることだ昔の電気をひもとくと優れた
武将たちがどの料理文福を行っていたのか
がよくわかる兵隊の数が多いにもかかわら
ず少量の酒しかなかった時ある武将は自ら
その酒を川に流し自分の部下たちと共に
その川の水を飲んだというそんな流れる川
の水をすす言ったところで誰一人負うこと
などできるはずもないしかしそれでもなお
自分ひとりで服を占有することに忍びなく
自分の塀とともに酒を分かち合おうとした
武将の心は実に暖かく試合の特に飛んで
いるといえるこのような文福によって兵
たちは酒に酔うことはできずとも武将の子
心意気と愛情によはざるを得ずその身を粉
にして主君のために働こうと奮い立ったの
である人の世は時計の振り子のようなもの
右に動けば左動き左動けば右に動いていく
これと同じおり自ら福を分け与えれば自分
にはた服が分け与えられるのであるこれは
仕事でも政治でもあらゆる社会に
当てはまる通りであるゆえに文福を疎かに
するものは人の上に立つことができないの
だはいここで留めます文福とは幸福を
独り占めするのではなく他の人にも
分け与えることであるそうですが本書では
その代表的人物として豊臣秀吉の名前が
挙がっています彼は手柄を立てた家臣には
非常に気前よく恩恵を与えるタイプの
リーダーでしたそのため家臣たちは自分の
手柄と秀吉の野望のために命をかけて戦い
それが英雄氏をスピーディーに天下人へと
押し上げた一つの要因になっていると本書
ではそのように語られていますとはいえ
惜しむことと分け与えることは相反する
ことであるためいずれにも偏りすぎず
バランスを考えながら実践した方が良いか
もしれませんでは最後の続服とは何なの
でしょうかさあ続きを見ていきましょう続
服とは将来にわたって幸福が続くよう幸福
の種を蒔いておくことである例えば今ここ
に一つ大きなリンゴの木があるとするその
リンゴの実を取り尽くすことなく器を健康
に保たせることが席服そして果実を自分
だけで独占せず人に分け与えるのが文福で
ある一方続服とはあるたりリンゴの種を
まきそれを成長させようとすることである
ぱかがリンゴの木の話ではないかとか
論じる人もいるかもしれないだが一株の木
であってもいずれは数百の実を結びまた
その実は2株数十株の木をうむよーり3時
は相互循環し果てしない騒動が繰り返さ
れるのである一株の木を植えることそれ
自体はほんの些細なことなのかもしれない
しかしその行為は無限に広がった果てし
ない未来へとつながっているのであるこの
ように幸福や利益の種を将来のために植え
ておくことによって世界はどれほど進歩し
またどれほど幸福を生み出してきただろう
かもし人類に続服の精神や好意がなければ
人間はイワナを獣と変わらなかったはずだ
より多くの人は幸福を手にしたいと願って
いるが実際にそれを手にするものは少数で
あるなぜなら多くの人は幸福を獲得しても
それを使い果たしたり分け与えることを
拒んだり未来やの種まきを忘れたりする
からだ米が欲しいければ稲を植えブドウが
欲しければぶどうの木を植えればいいこれ
と同様に幸福が欲しければ幸福を植えれば
よいのであるはい心食べますなるほど簡単
にまとめますと自分が今持っている
エネルギー
時間知識技術といったあらゆるものを駆使
して自ら社会に幸福を作り出して還元させ
ましょうとなぜなら今私たちが当たり前の
ように享受している分迷路豊かさとは
すべて先人たちの続服の歴史のおかげで
ありそれをここで食いつぶしたり独占し
たりしてはダメですと100年後200年
後の世界の幸福を願い今生きている私たち
が車9服を行って責任を持って未来へと
バトンを引き継いでいきましょうという
わけですまた実際にそれを行動に
落とし込むには当然それなりの共用
あるいは人としての徳が求められます従っ
て続服の実践者は社会に幸福をもたらす
だけではなく自分の身にも服が巡って来
やすくなるのですどれだけ努力してもどれ
だけ才能があっても報われないそんなまま
ならない世の中であっても人は必ず幸福に
生きることができるだから何があっても
幸福になる務めを諦めず力強く生きて
ほしいそれが努力という言葉に込められた
露伴のメッセージだったのかもしれません
今回の内容が皆様にとって何か一歩
踏み出すきっかけとなれば幸いですはいと
いうわけで幸田露伴の努力論以上でござい
ますいかがでしたでしょうか幸福とは自ら
の意志と努力によってつかむものである
この考えは洗うヒルティラッセルの3大
幸福論と共通する結論であるその類似性に
注目された方もいらっしゃったのではない
でしょうか一方露伴が唱えた幸福3節は
今日のエコロジー問題まで視野に入れた
独自の思想でありまさに東8番の幸福論と
言えるような内容でしたこの動画で興味を
持っていただいた方はぜひ本書を実際に手
にとっていただければ思いますこの動画が
面白かった参考になったという方は高評価
コメントなど頂けますと嬉しいですまた
チャンネル登録もよろしくお願い致します
ではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました
[音楽]

この記事を書いた人